旧友
いつもの仕事帰り、珍しく谷汲は家へ直帰しなかった。
クルマを走らせる彼女の目的地は、駅近くの大型商業施設だ。駅前のロータリーへ向かっても良かったが、定時で上がれた谷汲には、待ち合わせの時間まで少しの余裕がある。あまり長時間ロータリーにクルマを停めておくのは好ましくないため、谷汲は大人しく集合場所を近場のショッピングモールへと変えた次第である。
「よし、到着」
駐車場にクルマを停めた後、谷汲は待ち合わせの相手へと集合場所の変更を連絡した。
遊ぶ相手は、大野一葉だ。
予定が合えば、と話していたのが実を結び、晩御飯を一緒に食べることになった。本当なら日和も参加する予定だったけど、体調を崩して家で鼻を赤くしている。この前のお花見は大丈夫だったのに、この数日で花粉症が一気に辛くなったらしい。鼻をかみすぎて鼻血が出るかも、などと言い出す始末だ。
本当は看病してやりたいけれど、日和がそれを許さなかった。私のせいで予定が狂うのはヤダ、と谷汲に突撃を命令してきたのだ。そこで、谷汲は仕方なく彼女の意向に従っている次第である。
「……遅いなぁ、大野」
待ち合わせ時間の五分前だというのに、谷汲がぼやく。
自分が集合場所に早く着いたことを棚に上げているようだ。
とはいえ、普段の谷汲も時間にルーズな方なので、強く責め立てることはしない。
しばらく待ってみたが、大野が来る気配はなかった。約束の時間を過ぎ、十分が経過しても来ない。駐車場を行き交う人々を、ぼんやりと眺めて時間を過ごす。
色んな人がいた。親の迎えを待っていたのだろう中学生が、文句を言いながら駆けていく。友達とゲームセンターにでも行っていたのか、大きな荷物を抱えた高校生たちが声を張り上げている。知らないおじさんと、知らないおばさんが何やら言い争っている声も聞こえた。谷汲が興味を持ったことがないだけで、この街には色んな人がいる。それぞれに生活があって、それぞれに悲喜こもごもの毎日がある。誰も知る由はない、世界の姿である。
うとうと、船を漕ぎ始めたところで窓をノックする音が聞こえて顔を上げる。
髪を派手な色に染めた、谷汲の元同級生がそこにいた。
大野一葉。懐かしくとも、態度の変わらない相手だ。
「ちっす。ごめん、電車一本乗り遅れた」
「連絡くれれば良かったのに」
「いやー。電車の中で走ってたから、全然余裕なくて」
「……それ、意味なくね?」
「たはー、バレたかー」
呆れ顔の谷汲が指摘すると、彼女は悪びれた様子もなく肯定した。
大野は外見こそ派手だが、中身はとても普通だ。谷汲の基準では、むしろ地味と言ってもいい。そのギャップが面白いと思う人は多いらしく、色んな子からいじられていたのを覚えている。だが、彼女の隣に誰がいたかは思い出せない。気付けば他人と距離を取り、一人の時間を作ろうと苦心していたような気さえした。
まぁ、過去のことはどうでもいい。
「はよ食べて帰ろ」
「えー、寂しいこと言うなよ……あれ、ピヨっちは?」
「日和は花粉症が酷くてダウンしてる」
「あららー。残念」
言葉ほどには落ち込んでいない大野がクルマに乗り込んできた。
相変わらず派手な髪色だ。もう日が暮れて暗くなってきたのに、彼女の周りだけ少し眩しい気がする。助手席に座った大野はシートベルトを締めると、スマホを取り出した。華やかな音楽と共に、画面に色鮮やかな映像が流れる。どうやら、何かのゲームを起動したようだ。可愛くて胸の大きな女の子が、画面を縦横無尽に駆け巡っている。大野が好きそうなゲームだ。
「ねぇ、ご飯は何にすんの」
「谷汲におまかせー」
「じゃ、大野のおごりで寿司」
「待った。今から真剣に考えるから」
慌てて画面を切り替えた大野が、近隣の飲食店を検索し始めた。
谷汲も、今日食べたいものを考えてみることにした。
都会ほど発展していないが、谷汲が住む街には大抵のものが揃っている。中華、フレンチ、和食。食べたいと思ったものは、大抵食べることが出来る。選択肢が多いというのは良いことだ。駅の近くにはチェーン店も多くあるし、郊外にも個人経営の飲食店が点在している。この前、潰れたかどうかで先輩と喋っていた中華料理屋も、街の中心部からやや離れたところにあった。
「で、どこ行くの」
「あと少し悩ませて……」
「もー、お腹減ったんだけどー」
大野がおすすめの店を教えてくれるのを待つ間、谷汲は手持無沙汰だった。クルマを発進させるわけでもなく、大野の尻を叩くでもなく、ただじっと待っている。大野は必死にグルメサイトをスクロールしながら、ああでもないこうでもないと呟いていた。スーパーで買ってきた谷汲のジュースが空になった頃、ようやく大野は目的地を決めたらしい。
「ここだ!」
「……おっ、あの中華屋か」
「そー。ここ、移転したんだよねぇ」
大野が示したのは、この前先輩と話していた中華料理屋だ。
元々、大野が連絡をくれたことで話題になった場所である。大野も移転することを知っていたようだが、谷汲は先輩に教えてもらうまで潰れてしまうものだとばかり思っていた。懐かしい味に喉がごくりとなる。
「いいね。行こうか」
「おねしゃーす! ついでにおごって」
「ヤだよ」
「ケチ。社会人の癖に」
頬を膨らませた大野を無視して、谷汲は自動車のエンジンを掛けた。
カーナビはなくとも、助手席に座った大野が教えてくれる。目的地までの道順を把握した谷汲はアクセルを踏み込んだ。
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