QU - "Qu'est-ce que c'est?"

花見

 待ちに待ったお花見日和だ。

 澄んだ青空に春風が心地よい。陽射しは暖かくて、過ごしやすい日になっていた。

 遅れてアパートの階段を降りてきた日和を迎えて、谷汲はクルマへと乗り込む。今日は市内にある都市公園に向かう予定だ。昔、お城の本丸と二の丸があった場所らしい。小綺麗に整備された公園で、市が管理を担当している。お花見の時期には、子供連れを中心に多くの市民が集う憩いの場所になっていた。

「日和、花粉症は大丈夫?」

「うん。薬飲んだら、ヘーキになった」

「市販薬も意外に効くんだねぇ」

「普段飲まない分、聞きやすいのかもね」

 お喋りをしながらクルマを走らせること、およそ十分。目的地の都市公園に到着した。駐車場は混み合っていたが、なんとかスペースを見つけてクルマを止める。荷物を用意して、ふたりは公園の広場へと向かった。

 咲き誇る桜は見頃を迎えていて、そこかしこで写真を撮る人の姿が見える。谷汲も視線を奪われるほど、見事な景観だった。

「色んな人がいるねぇ」

「まだ春休みだからね」

「なるほど。だから子供も多いんだ」

 日和は公園の方で遊んでいる子供達に目を向けているようだ。彼女ほど小柄なら、あの中学生っぽい子達に混ざって遊んでいても違和感はないかもしれない。ま、本人に提案したら怒られそうなので、谷汲は黙っておくことにした。

 老夫婦もいれば、友人同士で遊びに来ている人もいる。老若男女問わずに人気があるのは、とても良いことだ。市民からの支持を得ていれば、市も整備に本腰を入れる。来年以降も、この広場でのお花見を楽しむことが出来るだろう。

「あ、なっちゃん。あれ見て」

「……おっ。屋台だ」

「お祭りじゃなくてもやってるんだね」

「うん。そういえばって感じ」

 谷汲はすっかり失念していたが、公園の隅に簡素な屋台で出店が出ているようだ。たこ焼きや人形焼きなど、メニューは基本的なものしかないし店舗の数も少ない。それでも、ふらりと遊びに来た人にはありがいだろう。木陰にシートを敷いた谷汲が、ごろりと横になる。日和は持ってきたお弁当をいそいそと用意し始めた。

「良い感じだね、なっちゃん」

「そうだね。天気も良いし、絶好のお花見日和だよ」

「こういうのを、平和っていうんだろうね」

 ぽつりと呟いて、谷汲は目を閉じた。

 日和がくすくすと笑う声が心地よい。

 平穏に微睡みながら、谷汲は春の気配を楽しんだ。

「はい、なっちゃん。準備出来たよ」

「ありがとう。……おいしそうな匂いがするね」

「ちょっと張り切って作っちゃったもんねー」

「ふふん。私も卵焼き、頑張った」

 弁当箱代わりのタッパーに並ぶのは、定番の品々だ。

 谷汲が作った卵焼きは少し焦げているけれど、味付けは日和が監修してくれたおかげで完璧だ。唐揚げは昨日の晩御飯の残り物だが、衣に一工夫を加えたおかげで冷めてもベタつかず美味しく食べられる。他にもタコさんウィンナーを作ったり、プチトマトを詰めたりした。

 楽しく作って美味しく食べる。とても理想的なピクニックだ。

「これでお酒が飲めれば……!」

「ダメです。なっちゃんは運転手でしょ」

「そうだけど。歩いて来ればよかったね」

「いや、遠いよ! お弁当のおかず、腐っちゃうじゃん」

 そこまで暖かくないし、とも考えたが荷物をいっぱい抱えて歩くのも面倒だ。

 今回のは、ただの愚痴である。谷汲は起き上がって、お手拭きで手を拭いた。

 割り箸を手に取った谷汲は、まず自分の焼いた卵焼きに手を付けた。表面がやや焦げてしまっているが、食感はそれほど悪くない。甘めの出汁巻き玉子だ。谷汲の好みを知る日和が、ちゃんと調整してくれたようだ。続いて、足の千切れたタコさんウインナーを口に運ぶ。しっかり火を通すためにフライパンの上で転がしていたら、なぜか足が飛んで行ってしまったのだ。

「料理って難しいね」

「なっちゃん、タコさんの足を細かくしすぎなんだよ」

「でも、タコって八本足じゃん」

「こだわるねぇ……」

 谷汲は、ちまちまと食べ進める。美味しいので、いくらでも食べられそうだ。

 一方で、日和は唐揚げをおかずにおにぎりを頬張っていた。谷汲が握ったおにぎりである。日和がオススメする料理サイトのレシピと睨めっこしながら、頑張って握った。だから、日和が美味しそうに頬を緩ませているのを見ると、なんだか誇らしい気分になってくる。胸の奥がくすぐったくなるくらい、嬉しいのだった。

「そういえば、おにぎりとおむすびの違いって何?」

「うわ、急だね、なっちゃん」

「疑問とは日々の間隙に生まれるものなのです」

「いや、知らないけど……調べてみたら?」

 日和に促されて、谷汲はスマホの電源を入れた。

 と、忘れる前にピクニック中の日和も写真に収めておいた。おにぎりを頬張った瞬間の、頬を膨らませた状態を撮られてしまって日和は唇を尖らせる。

「もー。撮るなら言ってよ」

「自然体の写真がいいの」

「むぅ。そういうもんですかねぇ」

 まだ文句を言い足りないようだったが、日和は口を閉じてしまった。

 おにぎりとおむすびの違いを調べる谷汲の手元を、日和も覗き込む。だが、あまり良い成果は得られなかったようだ。辞典で調べれば同じものを指すと書いてあるし、よく分からない団体は独自の解釈であれやこれやと根も葉もない噂を書き連ねている。個人のブログも調べてみたが、それぞれが思い思いの見解をまとめあげていて、どうにもよく分からなかった。

 普段から食べられていた握り飯がおにぎりになって、お供え物としての縁結びに使われていたものが、おむすびと呼ばれるようになった。谷汲はそう結論付けて、今日の調査を終了した。調べ終わってみれば特別に共有したくなるような大発見もなく、谷汲はスマホを放り出してお弁当を食べるのに戻った。

「なっちゃん、興味ないことには白々しいよね……」

「ん? ふぉふうはほ?」

「食べながら喋らないの。ほら、お茶」

 幼馴染に世話を焼かれながら、谷汲はお弁当を味わった。

 ふたりでお昼ご飯を食べて、お腹が落ち着くまで休憩する。お花見スポットとして有名なだけあって、公園内は多くの人で賑わっている。みんな楽しげにお喋りをしたり、写真を撮ったりしている。この平穏な日々に、シートを敷いて寛ぐのは贅沢なことのように思えた。お花見というのは、日常の隙間で非日常を楽しむイベントなのだろう。

 ぼんやりと人の流れを眺めていると、見知った顔を見つけた。

 向こうもこちらに気が付いたようで、軽く手を上げて近づいて来る。

「せんぱーい。どうもー」

「名草もいたのね。あと、日和さんも」

「……! ども、です」

 一度しか会っていないのに名前を憶えられていたことに吃驚したのか、ワンテンポ遅れて日和が挨拶をした。日和にとっては馴染みの薄い相手だが、飲み会でふらふらになった谷汲を迎えに行った際、会ったことがある人だった。

 彼女は、谷汲の勤め先の先輩だ。年齢は二十代後半だろうか、綺麗な黒髪と冷たい印象を与える美しい容貌が印象に残る女性だ。ただ、その怜悧な雰囲気は、先輩が喋り始めると徐々に薄れていく。皮肉めいた喋り方の底に、どこか愛嬌を滲ませる人だった。今日の先輩は落ち着いた色のブラウスを着ていて、スラッとしたシルエットのジーンズを履いていた。デザインの関係かもしれないが、随分と脚が長く見えて、日和には少し羨ましかった。

 やや緊張した面持ちの日和を置いて、谷汲が先輩に話し掛ける。

「先輩は、ひとりで?」

「いえ。旦那も一緒」

「……どこにいます?」

「その辺。桜の写真が欲しいんだって」

 インターネットで得られる適当な写真で済ませればいいのに、と先輩は肩をすくめた。

 彼女の視線の先には、桜に向かってデジカメを向ける旦那さんの姿があった。遠目から見ても分かる不思議なオーラがあるけれど、かといって特別にすごい人と言うイメージはない。なんだか変わった人だった。先輩も旦那さんも手ぶらなのを見て、谷汲は首を傾げる。そして、公園の隅っこで屋台がやっているのを思い出す。

 じゃあね、と手を振って離れようとする先輩を呼び止めて、浮かんだ疑問を素直に尋ねる。

「先輩って、この辺の人?」

「まぁ、そこそこ近いわね」

「あ、じゃ家でお昼食べてきたんですか。それとも屋台とか?」

「いえ、まだよ。これから食べに行くところ」

「……この辺、飲食店ありましたっけ」

「ふふっ。隠れ家みたいな喫茶店があるの」

 そこのオムライスが絶品でね、と先輩が言葉を続ける。

 先輩に喫茶店の名前を教えてもらって、スマホで調べる。確かに、表通りから離れた場所に喫茶店がある。マップアプリで確認しても、お店の看板はやや分かりにくいところにあるようだ。メニュー表も有志の人が撮った写真がある。思っていたよりもお値打ちなお店だった。高校生でも、好きな子なら通えるくらいの金額だろう。

「へぇー。ありがとうございます。日和、今度行ってみよう」

「うん」

「名草、日和ちゃん。ひとつ忠告しておくけど、大盛だけはやめておきなさいね」

「え? なんでですか?」

「……とんでもない量が出てくるから」

 それ以上の説明はせず、先輩は踵を返して旦那さんの元へ向かっていく。

 その背中を見送りながら、谷汲は首を捻った。大食いに自信がある知り合い、いただろうか。とりあえず人数が多ければ問題ないかと、旧友へとメッセージを投げる。次のお休みか、仕事終わりで都合のいい日にオムライスを食べに行こう。谷汲が決意する横で、日和は谷汲の先輩の後ろ姿を眺めているのだった。

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