談話
懐かしい友人との出会いも、谷汲の日々を劇的に変えることはない。
大野との再会から数日経って、谷汲は部屋でゴロゴロしていた。今日は晩御飯を作るのを手伝わせてもらったから機嫌がいい。メニューはハンバーグで、元となるタネは日和が丹精込めて作ってくれたものを使った。谷汲は成形した肉塊を焼いただけだが、それでも日和の手伝いが出来て嬉しかった。
「いやぁ、お酒が進むなぁ」
「飲みすぎはダメだよ」
「大丈夫。一本だけにするから」
ちょっとだけ焦げたハンバーグを食べながら、谷汲が飲むのは少し度数の高いレモン酎ハイだ。いわゆるストロング系に分類されるお酒で、普段はあまり飲まないようにしているお酒だった。だけど、今日は強めのお酒が飲みたい気分だった。日本酒に合うおかずではないし、ワインは買ってきていない。だから、と押し入れに仕舞っていたお酒の備蓄から取り出したのがこのストロング系の酎ハイだ。
試しに飲んでみた日和は、そのアルコールの強さに顔をしかめている。
今日も日和は、お酒を飲まずに白いご飯を食べていた。
「日和、全然お酒飲まないよね」
谷汲の言葉に、日和は箸を止める。
日和は、谷汲がお酒を飲むことに否定的な意見を述べることが多い。アルコールが身体に悪いことを、ちゃんと理解しているのだろう。酔った谷汲の世話をするのは楽しくもあり、面倒でもあった。うへへと不明瞭な笑いを漏らす幼馴染に机の下で軽くチョップした。でも、谷汲は嬉しそうに笑うだけだ。
あまりアルコール飲料が得意でない日和は、お酒に強い体質である谷汲を羨ましがっている節がある。身体に悪いことを知っていても、幼馴染があまりに楽しそうにしているので、思うところがあるのだろう。
羨望と嫉妬、許容と否定を混ぜこぜにして、日和は微妙な顔になる。
「なっちゃん。私は、お酒がなくても平気な体質なのです」
「えー。それは、ちょっとつまんないなぁ」
「お酒なんて飲まない方がいいんだよ。へろへろになるし」
「それが楽しいんじゃん。日和がお世話してくれるし」
なはは、と飛ばした冗談の感触を確かめて谷汲が笑う。
日和は軽く肩をすくめるばかりで、それ以上は何も言わなかった。
ご飯を食べ終えたら、少しの休憩を挟んでから洗い物の時間だ。汚れの少ないものから、多いものへ。汚れが多い者を洗う時は、最初に水で濯げる汚れを落としてからスポンジで擦る。
慣れてくれば、それなりに楽しい仕事だ。
当初は日和からの指摘を受けることも多かったが、何度も洗い物を担当したことで谷汲のスキルは徐々に成長してきている。洗い終わるまでにかかる時間も、随分と減ってきた。それは使う水の量が節約できていることにも繋がる。そのうち、ひとりで洗い物を担当させてもらう日が来るかもしれない。
皿洗いを終えた後、ハンバーグを焼いていたフライパンを洗う。しつこい油汚れに苦戦して、谷汲は何度もスポンジをこすりつけた。
赤茶色に濁る泡と水を見下ろして、谷汲は腕に力を込める。何度もスポンジを往復させるうち、不意に大野の話をしたくなった。懐かしい友人に会っただけだとしても、それを日和と共有しておこうと思ったのだ。理由は特にない。ただ、珍しいことがあったから、程度の理由である。
「ねぇ、日和」
「はい。どうしたの」
「実はね、――」
先日、高校時代に仲が良かった相手と会ったのだ、と話をする。
日和は、興味深げに耳を傾けていてくれている。大野は日和とも交流があったから、当時を懐かしんでいるのかもしれない。
何はともあれ、話を聞いてくれる人が居るというのは嬉しいことだ。日和は相槌を打ちながら、時折質問を交えてくれる。
「髪型とか、どうなってた?」
「相変わらず目立つ色だったよ」
「へー。変わんないねぇ」
「しかも、痛バッグまで持ってた」
「いた……?」
日和が首を傾げる。
一言で言えば、好きなアニメキャラの缶バッチなどを全面に飾り付けた鞄のことだった。一応、正確な言葉の意味を探るため、日和はスマホで検索をかけてみた。だけど、ネットで紹介されている説明は、谷汲が教えてくれた知識の範疇を出ない。
こんなものを持ち歩く人がいるのか? と人目を避けたがる日和は首を傾げたままの姿勢で固まってしまった。
「うーん。不思議な文化だね……」
「あのね、日和。痛バッグというのは……」
見かねた谷汲が、大野の名誉のためにも説明をつけくわえることを選んだ。
痛バッグを持つのは、何も自分の推しへの愛をアピールするためだけじゃない。好きな物がいっぱいあれば、それだけで人生は豊かになるのだ。例えば、スマホの壁紙を自分の好きな画像に変える人は多いだろう。谷汲の職場での例をあげれば、欲しいクルマを待ち受けにしている人や、家族の写真を待ち受けにしている人も少なくない。谷汲の先輩は、旦那さんと旅行にいったときの写真を待ち受けにしていた。
根本は、それに等しい。
「つまり、自分好みにアレンジする行為なわけね」
「ふむ。……ふむぅ」
同じ缶バッチを大量につける意味は? と言い掛けた言葉を、日和はぐっと飲み込む。それが無意味なことに思うのは、日和が外野だからだ。ケーキにホイップクリームが乗っていれば嬉しい。山盛りに乗っていれば、更に嬉しい。そういう感覚なのだろう。
「難しいねぇ」
「だよねぇ」
きっと、日和は痛バッグの文化をちゃんと受け止められていないだろう。谷汲が語ったような明るい側面だけじゃなく、同担への威圧を込めて痛バッグを作る人だっているだろう。それは、仕方がない。そういうものだ。
それでも日和は、谷汲の説明に頷いた。
そういうものもあるのか、と自分なりに嚙み砕いてくれた。本当に、日和は聞き上手だと思う。喋るのが苦手な分、日和は人の話を聞くのに慣れているのだろう。日和の優しさに甘えて、谷汲は話を続けた。
「それでねー、また遊ぼうって話になって」
「へー。いいね」
「日和も一緒にどう? 予定は未定なんだけど」
「うーん……大野さんならいいかな……」
「ん。まぁ、暇なときにでも誘ってやろうぜ」
日和を自分だけのものにしたい気持ちと、日和の可愛さを自慢したい気持ち。それらがまだら模様を描きながら内心に渦巻いていることを自覚しながら、谷汲はなんてことない顔で笑う。
日和が望むなら、いつでも何でもかなえてあげたい。
谷汲は、そんなことを考えながら欠伸を漏らすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます