なめこ

 お風呂を出た後、自動販売機でお茶を買って休憩スペースへと戻った。

 自販機には他にも、アイスなどが売られている。全身を温めた後に食べるアイスがなぜ美味しいのか、その答えは永遠の謎の方が楽しそうだ。

「ふぁー。ここにしよ」

「なっちゃん、あんまりだらけないの」

「いいじゃん。気張る方がマナー違反だって」

 休憩所の畳に転がって天井を見上げる。改装の際に塗り直したのか、剥げていた塗装も綺麗になっていた。あのボロボロな天井も味があったのにな、と昔を思い出してみる。綺麗で清潔な方がお客さんんも喜ぶし、客足も増える。お客さんが増えれば設備投資にもお金が使われて、更に居心地のよい空間になる。当たり前の話だから、谷汲は古い記憶に固執するのをやめることにした。

 懐古は、それまで。

 今は、今を楽しもう。

 谷汲の他にも多くの人が思い思いの格好で休憩していた。同じ様に寝転がっている人がいれば、軽食を片手に談笑している人達もいる。日和は何をしているのだろう、と視線を向ける。彼女はぼんやりしていた。

 その瞳は何を見ているのか、と日和の目線を辿っていく。何もない壁に突き当たった。どうやら日和も、何か考え事をしているわけじゃないらしい。ただ、のんびりしているだけのようだ。

「……あ、そうだ。なっちゃん」

 不意に振り返った日和と目が合った。

 いそいそと身体を起こした谷汲は、幼馴染の腹の虫が鳴いたのを聞く。おおよその事情は察しがついたが、やや頬を朱に染めた日和に発言の続きを促した。

「お昼ご飯、どうする?」

「施設内に食事処があるから、そこにしよう」

「お会計はよろしくです」

「はいよー。もう行く?」

 こくこくと頷く日和と一緒に立ち上がって、休憩所を出る。

 館内を進み、一階のお食事処へと向かった。このスーパー銭湯に併設されている施設で、温泉に入っていなくてもご飯だけ食べに来る人もいるらしい。館内着と外の服を着ている人が入り混じっていた。店員から案内された席に座り、メニュー表を前に少し悩む。伝票を持って待機していた店員さんに時間が掛かることを告げると、彼女は別の仕事へと戻っていった。

 ふぅ、と日和が肩の力を抜く。

 やはり、知らない人が近くにいる状況は苦手なようだ。

 メニューを眺めていた日和が、困ったように腕を組む。

「なっちゃん、どれがオススメなの」

「んー、丼物かなぁ。売れ筋だし」

 例えば、かつ丼は谷汲もオススメの一品だ。甘いダシと卵でとじたカツは揚げたてのサクサクで、とても美味しい。高校時代、自転車を漕いでまで遊びに来た際もよく食べていたものだ。ボリュームがあって、子供から大人にかけて人気のある料理だった。次点でのオススメはネギトロ丼だろうか。名前に反してサーモンが乗っているのが、この店のネギトロ丼のポイントだった。ネギトロもご飯をすっぽりと覆っていて、お値打ち感がすごい。

 谷汲の説明を聞き終えた日和は、きゅぅ、と小さく鳴いた。

「選べないなぁ……」

「じゃ、選ばなかった方は、また来たときに食べなよ」

「なっちゃん、たまに賢いこと言うね」

「いつもでしょ」

 うふふ、と笑いながら日和のジョークを受ける。

 呼び鈴を鳴らして、谷汲が注文を済ませた。結局、日和はネギトロ丼を選んだ。

 谷汲が選んだのはネバネバうどんのセットだ。粘りがつよいなめこ、とろろ、オクラの乗ったうどんだ。ミニ親子丼もついてくる。お小遣いの少ない学生でもお腹いっぱいになるような値段設定で、なおかつ美味しい。高校の頃、谷汲がこのスーパー銭湯に足を運んだのも、ここのご飯が美味しかったからと言うのが大きい。

 お冷やを飲んで待っていると、すぐにお盆を持った店員が現れた。ふたり分の料理が手早く机の上に並べられていく。日和は目を輝かせて、その様子を見つめていた。店員が去った後、ふたりして手を合わせた。いただきますと声を揃え、箸を手に取った。

「美味しそうだね」

「ん。懐かしい」

「なっちゃん、常連さんだったの?」

「高校の頃ね。最近はご無沙汰だった」

 つるっとした食感の麺を、ずるるっ、と音を立てて食べる。

 懐かしい味だ。家で日和にうどんを作ってもらうときも、きつねうどんとか、てんぷらうどんだから。なめことオクラは食感がよく、とろろののど越しも抜群だ。美味しくて、会話も忘れてうどんを啜り続けた。ダシを蓮華ですくって、ひとくち。鰹節の風味が広がって、ふぅ、と思わず息が漏れた。

 そして、日和に見られていることに気付いた。

「ども」

「いや、美味しそうに食べるなと思って」

「久しぶりに食べるから。ネバネバのうどん」

「食レポが下手だね……ていうか、ネバネバ系好きなんだ?」

「納豆は得意じゃないけど、野菜とキノコは好き」

 もぐもぐと口を動かしながら、日和の質問に答える。

 思えば、好きな食べ物が何かとか、好きな色は何とか、そういう話をしてこなかった。なんとなく隣にいて、それとなくお喋りをして、気付いたら一緒にいるような関係だった。だから、考えてみれば相手のことをよく知らないのだ。付き合いが長い幼馴染だから分かることもあれば、それゆえに聞いてこなかった基本的な情報もある。

 これから先も一緒なら、もっと知っていかないといけないだろう。

 日和も同じように考えているのか、彼女は谷汲に問いかけてきた。

「好きな野菜は?」

「……小学生みたいな質問だなァ」

「仕方ないじゃん。そーいえば、ちゃんと聞いたことないと思って」

「んー。あんまり考えたことないんだよな……」

 ぱくぱくとネギトロ丼を食べ進める日和を眺めて、谷汲が頬杖をつく。

 美味しいと感じる食べ物と、好物とは別だろう。日和が作ってくれるのは全部美味しい。谷汲の好みな味付けだし。でも、それが好物ってわけじゃない。多分。そう考えて、谷汲はぐっと考え込む。食べ物、口に含むもの。それらのなかで、彼女が一番の多幸感をもたらすものと言えば。

「お酒……?」

「うーわ。真面目に質問したのに」

「だって、何も思いつかなくて」

「特定のものじゃなくて、ジャンルでもいいんだよ」

「じゃ、やっぱりお酒かも」

 にしし、と今度は冗談だと分かった上で同じ答えを出した。

「野菜かなぁ。オクラとか茄子とか。夏野菜が好きかも」

「なるほど。メモっとこっと」

 かきかき、と擬音を口にした日和が空中に手を動かした。

 あれやこれやと話をするうちに、谷汲の器からうどんがなくなる。ミニ親子丼もしっかりと食べきった。おつゆまで飲み干して、谷汲は満足そうに手を合わせる。やや遅れて日和もご飯を食べ終えた。いっぱいになったお腹を擦りながら、彼女は小さく欠伸を漏らした。

「これ、お風呂入ったら爆発するんじゃない?」

「かも。食休みが必要だね」

「いや、それでも入るんかい」

 つっこみを受けながら、谷汲は席を立つ。

 会計を済ませてから、もう一度休憩所へと向かった。

 谷汲が好きなもの。そこに、銭湯が確かに含まれていると分かって、少しだけ嬉しくなった。

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