宣託

 洗濯物の手間は、畳む作業にある。

「マジで?」

「大マジです」

 ふんすと腕を組んだ日和が堂々と言い切ったのを見て、谷汲はそうなのか、と素直に頷くことしか出来なかった。個人差はあれど、日和が一番面倒だと感じているのが畳む作業らしい。そう聞くと、なぜか不思議な気分になる。

 日和は畳むとか、そういう細々した作業の方が好きだと思っていた。二年も一緒に住んでいる、それどころかずっと長い付き合いのある幼馴染でも、知らないことは多いものだ。

「それじゃ、洗濯の手順を説明します」

「いや、そのくらいは分かるので……」

「……ホントに?」

「やっぱ分かりません。教えてください」

 谷汲が秒で折れると、日和はくすくすと笑った。

 洗濯は時間のかかる仕事である。

 まず洗濯機を回す。終わったら部屋干しとベランダ干しに分けて吊るす。乾いたら取り込む。シャツを畳み、パンツを畳み、最後にはタンスへ仕舞い込む作業のすべてが時間と労力を要するのだ。もちろん、靴下や色のつく服を分ける作業も必要だ。だからこそ、面倒な仕事なのである。

 洗濯して、干して、そのまま着替えるならば畳む手間と片付ける手間を省くことが出来る。だから谷汲は洗濯物を干したままにしておけばいいと思っていたのだが、そうは日和が許さない。彼女は持て余す時間を使って、下着の一枚に至るまで丁寧に畳んでタンスへと片付ける真面目ちゃんだった。

「好きで畳んでいるのかと思った」

「ダメだよ。部屋においといたら、ご飯の匂いも移るし」

「……そーいうもんなの?」

「なのです。ほら、やるよ、なっちゃん」

「よろしくお願いします」

 せっかくの休日を利用して、谷汲も洗濯物の手伝いをすることにした。洗濯機に色々と放り込んで、洗剤を入れて、あとはボタンをポチポチと押していくだけだ。これで後は機械任せである。それでも久しぶりの洗濯に疲れたのか、谷汲は作業が終わるなり、ぐったりとソファで横になっていた。

 テレビでは、主婦向けの情報番組が流れている。日和は、谷汲の腕を枕にしてテレビを眺めていた。穏やかな休日である。そのままうとうと眠りそうになった谷汲を、ちっちゃな手が揺すってくる。谷汲が微睡続けていると、その手が彼女の頬をつまんだ。痛みはないが、目を覚ますには十分な力だった。

「ふぁふぁよ……ほぁーあ」

「なっちゃん、ガチ寝するとこだったでしょ」

「ごめん。で、どったの」

「洗い終わったよ、服」

 日和に連れられて、脱衣所に備えつけた洗濯機の元へ向かう。脱水まで終わった洗濯物が、ドラムの中で幾重にも重なっていた。洗濯かごを抱えた日和が、それらをぽいっと投げ入れる。谷汲も拾い上げるのを手伝って、そのまま物干し竿の元へと移動した。

 洗濯にも、日和なりのこだわりがある。

 まず、下着は屋内に干す。

「当然の配慮です」

「なるほど」

「……まさかとは思うけど」

「いや流石の私でも分かります絶対やりますとも」

「ホントかなぁ」

 ジトッと睨みつけてくる日和の視線を交わしながら、谷汲は洗濯物を仕分けた。

 洗濯物を干すときは、周囲の他人の視線を気にした方が良い。近所に怪しい人がいなくとも、リスクは限界まで絞っておいたほうが良いのだ。下着泥棒の中には、クルマに乗って行動圏を広げてまで獲物を見定める悪い奴がいるとも聞く。そうでなくとも、女性だけで暮らしていると知れば悪知恵を働かせて近寄ってくる輩がいないとも限らないのだ。

 谷汲が趣味で買った、男物の洋服を干していく。

「これ、格好いいんだよなぁ……」

「なっちゃん、似合うよね。それ」

「うん。店員さんに男物ですが、とか言われてびっくりしたけど」

 それから、日和の服をハンガーに掛けて吊るしていった。風になびく様子を眺めると、なんだか気持ちが晴れやかなものになる。一通りの洋服を干し終えた谷汲は部屋へと引っ込んで、仕分け忘れていた下着類へと手を伸ばす。自分が普段身に着けているものを先に、そして日和が着けているものを後に。洗濯ばさみで止めようとして、不意に谷汲の止まった。日和が見ている目の前で、吊るした自分の下着と、手にした日和の下着を見比べる。

 しばし固まった後、谷汲は日和の胸元へと視線を向けた。

「へぇー……」

「な、なに?」

「いや、日和の方が大きいんだと思って」

「今更? 知らなかったの?」

「だって興味なかったし」

 うぐ、と喉を詰まらせた日和が顔を真っ赤に染める。

 どうやら自分の胸にコンプレックスがあったらしい。恥ずかしそうに俯いた日和が、上目遣いに谷汲を窺う。その顔はどこか期待するような表情をしていた。谷汲は気にする素振りもなく、日和の下着を吊るして洗濯を終わらせてしまった。むすっと頬を膨らませた日和が、ぷいと顔を背ける。谷汲は、そんな幼馴染に気付くことなく、さっさと籠を片付けてしまうのであった。

「よぅし、終わった」

 一仕事を終えて満足気な谷汲の胸元へと日和が突撃していく。そして、彼女の胸へ向けて見事な頭突きを披露した。面食らいながらも、がしっと日和を抱きかかえた谷汲をそのままベッドへと押し倒す。日和の耳は赤く染まっていた。

「下着の話、スルーしないでよ」

「日和の方がでっかいって話?」

「そう! それ! 気にしてるんだから!」

「えぇ……だったら、なおのこと蒸し返せないじゃん……」

「なっちゃんだからいいの。与太話にして消化したいの!」

 ポカポカと胸元を叩かれ、果たしてどうしたものかと谷汲は首を傾げる。

 別に胸の大小には興味がないのだ。代償に得るもの、失うものがある話でもないし。ただ日和が気にしているというなら、その悩みを解いてやりたいと思う。谷汲にとって日和は、大切な幼馴染だから。

 ふぅ、吐息を吐いて谷汲は覚悟を決めた。

 二枚の並んだ下着を指差して、問いかける。

「日和、おっきいね」

「でしょ」

「……だからどう、という話でもないけど」

「……本当に? そうなの?」

「そうじゃない? え、日和は一家言あるの?」

「ないですけどぉ……」

 うむむ、と考え込む日和の顔が面白くて、谷汲は小さく吹き出した。

 そのまま、日和の手を取る。

 日和が驚いている隙に、谷汲はそのまま腕を引いて彼女を抱きしめた。ぎゅうと密着した身体から温もりが伝わってくる。柔らかな感触も、心地よい匂いも、全てを感じ取ることが出来る。小さな頃からずっと一緒だった。だけど谷汲は日和の発育について思いを馳せたことなどなく、彼女が思い悩んでいたのだろうことも気付かずに過ごしてきた。それでも、日和がこうして甘えてきてくれるのならばそれで良いではないか。

 谷汲は、日和の頭を撫でた。

 不服そうな日和が本当は何を考えていたのか、その答えに思い当たらないまま谷汲は日和のことを見つめ続けるのだった。

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