お買い物
お酒がずらっと並ぶ商品棚の前で、谷汲は腕を組む。
今日は何を飲もうかと、仕事よりも真剣に悩んでいるようだ。
多種多様な酒がいくつかの島に分かれ、谷汲に選ばれるのを待っていた。日本酒、焼酎、ワイン、ウイスキー、ビール、酎ハイ。コンビニで買うよりも遥かに種類が多い。値段も手頃だ。先輩から貰ったビール券もある。よりどりみどりだった。
このスーパーではビール券をビール以外とも交換してくれるから、谷汲は余計に悩んでいた。既に飲んでおいしさが保証されているものを選ぶか、まだ飲んだことのない酒の未知を味わうか。うむむ、と谷汲は唸った。
優柔不断に迷い続けて、彼女は幼馴染に判断を仰ぐ。
「日和はどれがいいと思う?」
「私、お酒あんまり詳しくないし。まだ未成年だぞ」
「そっかぁ。そうだったね」
谷汲が身体ごと頭を捻って考える。
お金が無限にあったなら、全種類買って帰るのに。
谷汲の浅い思考を見透かすように、日和が目を細める。
「飲みやすいのなら何でもいいんじゃないの」
「うーん。晩御飯は何にするの?」
「お肉」
「……メニューは?」
「これから考える」
日和の宣言通り、買い物かごは空っぽだった。晩御飯に合わせたお酒を選ぶ方が、無数の選択肢を提示された今よりも選びやすい。まず、日和と一緒に晩御飯の材料を揃えに行くことにした。
カートを持って先導する日和について、谷汲はお肉コーナーへと向かう。鶏、豚、牛、しっかりと種類が取り揃えられている。慣れている日和がお肉のパックを見比べている横で、谷汲も値札に視線を向けた。一人で買い物に来るときはお酒を買いに来るときだ。それ以外のものには強い関心を向けたこともなく、値札に書かれた数字が適正なのかも分からなかった。
「これはどう?」
美味しそうだから、という理由で鶏の軟骨を手に取った。ヤゲン軟骨と書いてあるが、どこの部位なのかは見当もつかない。谷汲が突き出したパックを眺めて、日和が率直な感想を漏らした。
「ん。ちょっと安いね」
「じゃ、買ってよ。黒コショウ炒めにして」
「それはおつまみでしょ。おかずはどうするの」
「日和に任せる。我が家の料理人さま、お頼み申す」
「……もー、調子いいんだから」
日和は、頼られるのも決して嫌いじゃないのだ。
谷汲に擦り寄られても、日和は満更でもない顔をしている。谷汲が差し出してきたヤゲン軟骨を受け取った彼女は、それを買い物かごに入れる寸前で引っ込めた。棚に残っている同じ商品と見比べて、彼女の御眼鏡にかなったものと交換してしまう。なにがダメだったのだろう、と首を傾げた谷汲に、日和は周囲に他のお客さんがいないことを確認してから説明をする。
「あのね、ここ見て」
日和が指差すパックと、買い物かごに放り込まれたパックとを見比べる。どっちも鶏の軟骨だ。焼けば一緒じゃない? と言いかけた谷汲は、日和がパックを傾けたことでその違いに気付いた。谷汲が最初に選んだパックはトレイの底にピンク色の液が溜まっている。これは谷汲でも知っている。ドリップという奴だ。解凍したお肉から出るものだと思っていたが、そうとも限らないようだ。
「なるほどねぇ」
旨味成分が溶け出てしまっているお肉より、栄養素と共に保持出来ているお肉の方が美味しいだろう。その理屈は、料理をしない谷汲にも理解できた。ふむふむと頷いていた谷汲に、日和はダメ押しの情報を付け加える。
その指先は、パックに貼られた値札を指している。
「ちなみにお値段も違います」
「なぜゆえ?」
「グラム単価だから。軽い方が安いの」
「……? どういうこと?」
日和に促されるまま、谷汲は値札に記載された情報を読み解いていく。日和が買い物かごにいれたパックの方が、内容量が少ないようだ。グラム和で値段が変わるなら、値段が変わって当然である。
悪足掻きをしてやろうと、谷汲はパックに入っている軟骨を指折り数えてみた。本数は一緒でも、グラム数は違うらしい。それが十円単位の差になるのだから、なんとも不思議なものである。
「せせこましい」
「節約術って言ってよ」
「あー……。日和は几帳面だね」
「…………もうご飯作ってやんないぞ」
「大変申し訳ありませんでした、日和様」
「分かればよろしい」
結局、晩御飯は日和が決めた。
今日のメニューは焼き鳥丼風の親子丼だ。やや混乱するメニュー名だが、焼き鳥を作って、それを卵で綴じて丼飯の上に乗せる料理である。絶対に他の呼び方があるはずと思いながらも、谷汲は日和が提唱する通りに晩御飯を復唱した。料理の出来ない彼女にとっては、日和が作ってくれる美味しいご飯はすべて尊いものなのである。
焼き鳥丼風の親子丼に合うお酒を求めて、ふたりは再びお酒コーナーへと向かった。おつまみはヤゲン軟骨の塩コショウ炒めだ。フードペアリング理論を履修中の谷汲が弾きたした結論として、味の濃いおつまみには味の濃い酒をぶつけるべき。もしくは、さっぱりした風味の酒が美味しく感じる、というものがあった。そのどちらにも当てはまる、やや矛盾した存在を無数の酒が並ぶ商品棚から導き出す。
さっぱりした酒。
それは口当たりがすっきりしていて、飲みやすい酒が該当する。酎ハイに多い、フルーツフレーバーも良いだろう。それか、ドライ系を代表とする無香料のお酒も良い。
味の濃い酒。
それは酒のみでも味わえるほど、はっきりとした酒が該当する。つまみがなくても舌が痺れる程に味がある酒だ。あるいは、日本酒のような香りが強いのも悪くない。そして、このふたつの条件を満たしながら、まだ飲んだことのない酒を手に取った。
クラフトビールである。
ビール特有のさっぱりした喉越しがあるのに、味わいは千差万別の深みを持つ。まだ酒を飲み始めて日の浅い谷汲が感じている苦みも、今日の晩御飯くらいの脂っこさがあれば余裕綽々に流し込めるかもしれない。
「んふふ。楽しみ」
「なっちゃん、ホントにお酒が好きだね」
「そりゃあ、もう。美味しいから」
可愛いネコちゃんが描かれた、オレンジ色の缶を手に取った。まだ知らない味わいに、谷汲は鼻を微かに膨らませている。いそいそと財布からビール券を取り出して、それを日和へと手渡した。ついでに、深々と頭を下げる。
谷汲の杜撰な金銭感覚ではどれだけお金があっても足りないからと、家計簿の管理は日和に任せていた。今日みたいに晩御飯の買い出しをするときも、食費を入れた財布は日和が握っているのだ。
ビール券を受け取った日和は、微かに頬を緩める。
「他のお酒はいいの?」
「えっ? あっ、それじゃオレンジの缶酎ハイを追加で」
「ダメです。どっちかにしなさい」
「……ビールにします……けち」
テンションを悪戯に乱高下された谷汲が、日和の背中にくっついた。
拗ねて駄々をこねた小学生みたいに、日和を抱きかかえたまま店内を移動する。やや恥ずかしいけれど、この面白い谷汲を見られる機会は限られている。日和はマスクの下に笑みを浮かべたまま、レジへと向かった。
日和が会計を済ませ、マイバッグに買った商品を詰め込んでいく。谷汲は手伝うこともせず、じっと日和の仕事が終わるのを待った。谷汲に与えられた仕事は、送り迎えを兼ねた自動車の運転と、スーパーからクルマへの荷物の運搬だけである。重たいものは下、軽いものは上といった基本すら出来ない谷汲には、マイバックへの詰め込み作業すら難しいのだ。
買い物かごを乗せたカートを押して、駐車場へと向かう。荷物を後部座席に乗せ、日和が助手席へと乗り込んだのを見届けて谷汲が立ち止まった。まだ、何かが足りていない。休日、お出掛け、それを経ても足りないものがある。運転席のドアを開けた谷汲は乗り込むことなく、準備万端の日和へと声を掛けた。
「ごめん。ちょっと待ってて」
返事も聞かず、谷汲はスーパーへと戻った。
彼女が向かったのはアイスが並ぶ冷凍品売り場だった。ケースに並んだ色とりどりのパッケージの中から、真っ赤なパッケージを取り出した。駆け足でレジへと向かい、財布から取り出した小銭を突っ込んで会計を済ませる。クルマへと戻ってきた谷汲の手には、ふたり分のアイスが握られていた。
これが休日の醍醐味。
人生の贅肉とも呼べる、おやつの時間だ。
「アイス食べよ!」
谷汲が買ってきたのは、モナカの代わりに板チョコを使ったアイスだ。
パリパリとした食感が癖になる、谷汲お気に入りのアイスだ。何度か、日和への手土産に買っていったこともある。冬場だろうが関係なく食べたくなるほど、谷汲はこのアイスを信奉していた。
「ビール券で浮いたお金だからね」
言い訳をするように日和へと説明して、自分が先に包装紙を破く。チョコを齧ると、中からバニラアイスが顔を出した。この控えめな甘さが、谷汲には心地よいのだ。谷汲から渡されたアイスを、日和はじっと眺めている。一口、また一口と谷汲が口に運ぶのを日和は見つめていた。
「なっちゃんは幸せそうだね」
「ん? うん」
「……ふふっ。いいことだよ」
日和は微笑んで、自分のアイスを齧る。
じんわりと広がる甘さに、彼女は微かな罪悪感を覚えていた。
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