第3話

 三年分の回想が終わり、錦坂中学校二年六組出席番号十二番の清水孝文しみずたかふみはゆっくり目を開いた。

 校内放送用のスピーカーからは放送部員が趣味丸出しのアニメソングを垂れ流し、あたしのリクエストがちっともかからないとぼやく女子がいて、その隣の女子はだったらあんたが放送部員になりなさいと冷静に切り返す。チャイムが鳴った途端、ボールを抱えて飛び出していった男子がいる。これはグラウンドの場所取りのための生贄いけにえであり、昼休みまでに弁当を食い終わる鉄の掟があった。台風が近づいていて外は雨なのに、誰もそれを指摘する者がいない。風邪を引かないことを祈ろう。校則クソ食らえで携帯ラジオのイヤホンを耳に突っ込み、週刊誌片手にパンをかじってる猛者がいる。どうでもいいが、気紛れで担任が顔を出したらどうするつもりであろうか。あとの連中はいつも通り友達と机をつき合わせて、いくつかのグループに分かれている。遠くのクラスまで遠征に行く者、隣のクラスからメシ食いに来る者、そのせいで自分の席で弁当食う予定が押しのけられて流浪の民になる者。弱肉強食の悲劇である。


 二学期初めの、いつもの昼休みだった。


 そして清水は、自分を含めて計六人の男女と弁当を広げている。ぶつ切りになっていた会話の切れ端をたぐり寄せ、回想によって導きだされた答えと結び、「うん」と小さく頷いて清水はおごそかに告げた。


「――まあつまり、この世にいるのは作者だ」


 沈黙が下りる。


 清水の隣、染井雅司そめいまさしは片腕で頬杖をつき、空になった紙パックをストローでしつこく吸っている。どうしたもんかと紙パックをべこべこさせながら思案に耽っている。まず染井が地雷を踏んづけた。つき合っている弥生やよいと来月のお祭りに行く約束をしていたが、ついでだからとみんなの予定を聞いたのがまずかった。


 その隣、守畑徹平もりはたてっぺいは頭を抱えて苦悩している。何を隠そうとどめを刺したのは守畑である。祭り? 興味ないなぁそういえばあのー、とそんな感じで話を逸らせばよかったのに。ははは無理むり清水は神社出入り禁止くらってるから、そう正直に応えた自分を力いっぱい呪いたい。握りしめているゴミは購買の人気商品、限定二十個のてりやきチキンサンドの袋で、苦労して手に入れたのにどんな味だったのかまるで思い出せない。


 その正面、川部千絵かわべちえは少し椅子を後方にずらし、完全に傍観者の目つきで残りの五人を眺めている。やれやれ、最近落ち着いて食事もできない。通りかかった女子の袖を掴まえてひと言。ちょっと今から騒がしくなると思うけど気にしないでね。


 その隣、堀田弥生ほったやよいは真剣な顔で、弁当箱をのぞきこんでいる。もぉー、お母さんったらグリーンピースは入れないでって言ったのに。でもハンバーグも入ってるから今回は許しちゃお。


 そしてその隣、つまり一回りして清水の正面、辰野聡美たつのさとみは黙ってうつむいている。よく見れば肩が細かく震えているが、寒いわけではない。泣いているわけでは決してない。あ、今箸が折れた。それを見た守畑はごくりとつばを飲み込み、弥生は割り箸を出してあげようと鞄のジッパーに手を伸ばす。カウントダウンが始まる。3、2、1、


 聡美、炸裂。


「いい加減にしなさいよこのキチガイ!!」


 折れた箸の切っ先を喉もとに突きつけられても、清水はまるで動じない。「ふん」と鼻で笑って、


「そういうセリフは、おれの首から凶器をどけてから言え」


 その冷静な態度が、聡美の神経を逆なでにする。こんな大声出してみっともないと頭の片すみでちらりと思うが、突沸した感情はそう簡単に冷めない。


「あんたが今から黙るならすぐにどけるわよ。――だいたい何が凶器よ、ただのお箸じゃない」


 清水は黙らない。


「いーや黙らん。それに会話がなかったら作者はどうやって行数を稼ぐ?」


 またそれ。


 本気で刺そうかと一瞬思う。邪魔をした理性がわずらわしく、持っていた箸を苛立たしげに床へ投げ捨て、聡美は椅子を蹴倒して立ち上がった。自分の歯軋はぎしりの音をどこか遠くに聞いた。「作者教」とも言うべき清水の説を初めて聞いたのは三年前で、あのときも清水と派手に喧嘩した。それを思い出して聡美はなんだか泣きたくなってくる。悔しいのか悲しいのかすらわからない。何も変わっていない。誰も成長などしていない。自分も清水も三年前と同じことをしている。


 口を開けば、罵り声が勝手に流れ出る。聡美はまだ、あることに気付いていない。


「食事時まで、あんたのイカれた与太話聞きたくないの!」


「お前ってば、意地でも認めようとしないのな」


 こうなると顔を見ただけで殴りたくなってくるので、わざと焦点をぼかす。まだ気付かない。


「意地になってのはあんたでしょ! そんなに電波トークがしたかったらオカルト雑誌にでもハガキ投稿して前世の仲間でも捜しなさいよっ!!」


「落ち着いて人の話を聞け。前世なんて関係ないだろ。――おれが言ってるのは作者だ作者。つまりおれとお前を含めた登場人物とその舞台、物語を書いてる物書きのことだよ」


 ――誰が登場人物よ。


 耳で聞いた言葉を脳みそが理解するより早く、脊髄せきずいが瞬間的に反発する。まだまだ気付かない。


「くっだらない! そんな、」


 ようやく気付いた。


 ゆっくりと周囲を見渡す。とりあえず「さっちゃんこれ使って」とさっきから弥生が差し出してる割り箸を受け取る。教室の後ろで数人の男子が紙ボールで遊んでいる。こっちが気付いてないとでも思っているのだろうか。わざとらしい世間話を続けながら、ほとんどの生徒が聡美と清水の一挙一動を注視している。


 いつものことだった。教科書に載っている十字軍遠征より、身近で勃発する宗教戦争の方がよほどおもしろい。二年六組で時々思い出したように起こる二人の口論は、日に日に過激さを増している。いつ手が出るのか、どちらが先に出すのか、決着がどうつくのかは皆の気になるところなのだ。一緒に弁当を広げていた守畑と千絵はとっくに避難し、視界の端に染井が弥生を引きずっていくのが見えた。


 さすがに恥ずかしい。声のトーンを落とし、その分渾身の毒をこめて吐き捨てる。


「悲観主義の運命論者って大っ嫌い。そういう奴は自分の人生生きていくキアイが足りないのよ」


 それを聞いた清水はわずかに眉をひそめる。幾分尖った声で、


「嫌いで結構。人の信仰にケチつけんなよ野蛮人」


「誰が野蛮人よ! あんたのが信仰? はっ! へたな新興宗教よりよっぽどタチが悪いわ」


「仏のご縁と言おうが神の導きと言おうが一緒だろ? ――だいたいそう悲観したもんじゃない。『登場人物が作者を動かす』っていう言葉もあるし、実際おれは作者のプライバシーすら口にできるぞ。身長は165センチ、体重52キロ、私立大学4年生、眼鏡をかけた老け顔で、彼女いない歴あ痛ん」


 飛んできた紙ボールが直撃し、清水は顔をおさえてうずくまる。目にでも当たったのか涙目で立ち上がり、床に転がった紙ボールを拾い上げて窓の外へと投げ捨てる。うわーひでーという声を無視して椅子に座りなおす。


 その様子を見ていた聡美は、意識して可哀相なイキモノを見る目つきをつくる。


「そんなの、全部あんたの妄想でしょ」


 言い切った。


 自分の優位をみんなに印象付けることが肝心だ、と聡美は思う。清水が自論を撤回することはまずない。しかし、目的は言い負かすことではなく清水をピエロに仕立てあげることだった。周りの空気を味方につけ、だんだんと追い詰めて、清水を嘲笑と失笑で叩きのめし、そのうち作者などとは恥ずかしくて口に出せないようにしてやる。


 そんな聡美の決意もつゆ知らず、清水は何がおかしいのかにやにや笑い、


 いきなり廊下の方を向いた。


 思わずつられる。聡美と教室の生徒の半数が、糸でつながっているみたいに同じ方向へ首を振る。廊下側の窓から行き交ってる生徒の姿が見える。二人連れで歩いている女子。窓からこちらをのぞいている男子。ダンボール箱を抱えてよたよた歩いている女生徒は同級生には見えない。一番奥の生徒会室に用がある一年生だろう。


 清水がぼそりとつぶやく。


「三秒後にこける」


 こけた。どっ散らかった箱の中身は大量のプリントで、二人連れの女子がきゃーきゃー大騒ぎし、こちらをのぞいていた男子も慌てて足元のプリントを拾い始め、肝心の一年生はごめんなさいとすいませんを交互に繰り返している。騒ぎは教室内に感染し、ひそひそ話の波が広がっていく。


 形勢が傾いてきた。聡美は「偶然に決まってるじゃない」と一蹴するが、ひそひそ話は止まない。


 充分に注目が集まったのを確認して、清水は再び口を開く。


「予知だ予言だと言うつもりはない。もちろん偶然でもなければ予測したわけでもない。――順序が逆だ。おれのセリフの後にあの生徒の行動が書かれたのだ。これぞまさしく作者の意思!」


 椅子から立ち上がり、両手を広げる。


 ノリノリである。


「主人公だと自覚しろ! 筋書きを先読みしろ! 都合が悪けりゃ書き直させろ! 作者なんぞ物語あっての存在なんだ。こっちで主であっちが従に決まってる!」


 控えめな野次が飛ぶ。おぉーと小さな歓声が上がる。清水はさらに調子づく。


「みんなも心のどこかで気付いてる。昔からわかってるんだ。だから理不尽な目にあった時、不幸な出来事があった時、しんどい時、苦しい時に誰もがこう叫ぶ!!」


 演説口調で声を張り上げ、黒板の上20センチのところにあるスピーカーをびしりと指差した。


 スピーカーが発狂した。


 希望を捨てるな明日があるさ悪の軍団を打ち倒せと歌っていたヒーロー戦隊の紅一点が即死して、凄まじいノイズのあとにヘリウムガスを吸ったような声で、


『責任者出てこおおぉー―――――――――――いっ!!』


 皆、唖然。


 携帯ラジオを聞いていた男子生徒が、異常な声にイヤホンを耳から引っこ抜いた。この時点で教室内の全ての生徒が、清水と聡美の口論に巻き込まれたことになる。一瞬の空白、直後に響き渡った「えぇえーー!?」という言葉は歓声だったのか悲鳴だったのか疑問だったのか判別がつかない。蘇生したヒーロー戦隊の紅一点が、振り返るな勇気を燃やせ正義は滅びることはないと歌う中、興奮して隣近所と肩をつつき合い、まだまとまらない自分の意見を手前勝手に言い合う。おいおいマジかよまさか故障だろでもひょっとして嘘――。


 形勢は逆転していた。


 聡美は唇をかみ締め、火を吹きそうな視線で清水をにらみつける。なにか仕掛けたのは間違いない。方法などいくらでも思いつく。しかし自分がそれを指摘しても、それこそ苦し紛れの抵抗にしか見えないと聡美はわかっていた。放送室にしろスピーカーにしろ、なんらかの証拠は残ってるだろうが、捜しているうちに昼休みは終わってしまう。


 興奮している皆の目を、一発で覚ますことができるインパクトが欲しかった。怪しいといえば清水の持ち物が一番くさい。が、清水は余裕の笑みを浮かべながらも聡美が一歩踏み出すごとに一歩だけ下がる。付け入る隙がない。


 そのとき、今までは傍観者だった千絵が動いた。後ろから聡美に近づいていく。


 背中をぽんと叩かれ、驚いた聡美が振り返ったときにはまだ背後にいたはずである。しかしその後、聡美は千絵がどこにいるのかあっという間に把握できなくなった。カメレオンのように野次馬連中に溶け込み、清水の背後に姿を見せたと思ったら、五秒後には自分の斜め後ろに立っていた。


「なに?」


 静かにたたずむ千絵にじっとり湿った視線を送るが、千絵は澄ました顔で「これ清水の」と右手に持ったものを見せてきた。財布とハンカチとタバコの箱ぐらいの小さな黒い物体。プロかあんたは。


 ――助かったけど。


「え?」


 清水が目を丸くしている。


「おい、ちょっと待て。それ絶対」


 おれの、そう続くはずだった言葉は投げ返された財布とハンカチに押し潰された。同時に残りのひとつが教室の後ろへと舞う。私物を受け取りながらも、清水の目は教室後方へ飛んでいく放物線を追っていく。問題の物体をキャッチしたのは弥生であり、にこにこしながら両手で飛び付いた様子を見て「犬みたいだ」と思った生徒に罪はない。


 千絵から渡されたそれを、弥生はしげしげと見つめた。小さい。黒く見えたのはビニールテープで、ぐるぐるに巻いてある。ところどころ電線みたいなのがはみ出てる。端っこにあるのは多分スイッチだと思い、ろくに考えずもせずに押した。


 スピーカーが再び発狂した。


『責任者出てこおおぉー―――――――――――いっ!!』


 呆れたことに一番ビビッたのは弥生だった。スイッチを誰かに押し付けようとしたが、そんな怪しげなもの誰が受け取るというのだ。弥生のまわり、半径一メートルのぽっかり空いた空間の中で、唯一染井だけが隣に控えているが、さっきから机にへばりついたままぴくぴく痙攣けいれんしている。頼りにならない彼氏もいたものである。


 遠巻きに取り囲む野次馬の視線は、弥生とスピーカーを往復する。何かを期待するようなその雰囲気に、逆らうような根性を弥生は持っていない。怯えた表情で目をつぶったまま再びスイッチを押す。自棄を起こしたのか押しまくる。


『責任者出てこ――責任者出てこー責任者出て責任者責任せきせせせせせせせせせせ責任者出てこおおぉー―――――――――――いっ!!』


 死に際の絶叫のあと、力尽きたスピーカーはついに沈黙した。もはやヒーロー戦隊紅一点も蘇生せず、かすかなノイズすら聞こえない。


 教室の温度が下がっていく。


 教室の片隅で、染井は笑うべきか呆れるべきかも判断できず、まだ机にへばりついて震えている。ここまで凝った真似をする清水に、感心していることだけは確かだ。染井の後ろから、無責任にもスイッチを放り出した弥生がこっそり近づいている。このわき腹を指で突っついたら堤防が決壊することだけは確かだ。そう思っている。


 染井の反対側、同じく教室の片隅で守畑は清水の冥福を祈っていた。罪悪感もある。自分が上手く話題を逸らせていればこんないさかいは起こらなかった、とここまで同情して不意に気付く。ちょっと待て。だったら清水はいつこの仕掛けをしたんだ。もしかしたら最初から今日、辰野聡美に喧嘩をふっかける気だったのかもしれない。きっとそうだ。なら自業自得じゃないか。守畑は同情をあっさり捨てさり、野次馬連中へ加わった。その斜め後ろに傍観者の立場に戻った千絵がいる。二人ともお互いの存在に気付かず、事態の推移を静かに見守っている。


 清水の真正面、聡美はどこまでも透明な表情を浮かべている。口元は微笑んでさえいる。すでにやることは決まっていた。にらむことも怒鳴ることもせず、全身の力みを捨てて、立ち位置をわずかに変えて、右手を軽く握りこんで。


 ぽつりとつぶやく。


「――で・・・・・・・・・なにか言い訳は?」


 清水は全く怯まない。顔色ひとつ変えない。全て予定通りだ、一足す一は二で、二掛ける二は四なのだと言わんばかりの口調でふんぞり返る。


「これもいわば伏線を回収するためのひとつの手であり、読者に登場人物への親近感を湧かせることができる非常に有効な手段で、こういったちょっとお間抜けな事態になることで非現実的な舞台が一気に泥臭く」


 最後まで言わせるつもりはなかった。


 聡美の拳がうなりをあげ、胸がすく痛快な音が響く。


 やんややんやの大喝采。大騒ぎする声に混じってブーイングと払戻金が飛び交う。昼休み終了のチャイムが鳴っても興奮冷め止まぬ様子で、自分のクラス、席へと散っていく野次馬たち。そのうちの誰かの腕が、携帯ラジオにいつまでもぶらさがっていたイヤホンコードに引っかかり、コードが抜けた。


『――台風14号は依然として強い勢力を保ったまま日本列島を北上中で、各地に多大な被害を与え、現在大雨・洪水警報が――』NHKでも聞いていたのか、番組の切れ目なのか、陰気な気象予報士が教室内にわかりきった天気を予報する。


 ――嵐が来るな。


 誰かが、そんな当たり前のことをつぶやいた。

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