第2話
その公園の名を「
が、そんなこと
そして、母はそんなところで鍵を落としたと言う。宿題もせずにテレビを見ていた聡美に拒否権はなく、見つかりっこないという反論は当然無視され、哀れ辰野聡美は鍵を探しに三千里。
公園について五分もしないうちに母から連絡が来た。
嫌な予感はしていた。
ごめーん、かばんの奥の方に隠れてたみたい。
そんなふざけたメールを受け取っても携帯を地面に叩き付けなかったのは、自分のものではないこともあるし、弁償するお金がないこともあるし、たとえ自分用でなくとも携帯を持たされるのは嬉しいことだったからだ。やっぱり専用の携帯が欲しいと聡美はいつも思う。クラスでも塾に行っている子の何人かは持ってるし、中学になったら買ってもらうと言ってる子も多い。なのに母は、はいはいそのうちね、と笑って誤魔化してばっかりである。
公園内のスピーカーが、四時の到来を無慈悲に告げた。
白状すると母からメールが来たのは、もう三十分も前のことである。今の今まで携帯の写真機能で遊んでいたのだ。飼い猫を捨てるにはちょうどいい場所なのか、白、茶、ぶち、三毛と、次々に視界に映る猫を片っ端から撮っていた。一匹だけ、ちらりとしか姿を見せなかった黒猫も撮っておきたかったが、どうしても見つからない。
地面に落ちている小石を軽く蹴飛ばす。
メールの文面を思い出しながら、聡美は出口へ向かって歩いている。あんた財布持って行ったでしょ、ついでにおつかい頼むわね、お金は立て替えといて、あ、タイムサービスには絶対間に合うように。思い出すにつれてむかっ腹が立ってくる。猫の愛らしさに一時撤退していた怒りが、再び理性を侵食し始めた。歩調が乱れる。口元がひきつる。駄目だ、落ち着けあたし。懸命に自分に言いきかせながら、携帯を取り出してデータフォルダを開く。
猫可愛い。
少し落ち着いたので深呼吸。すーはーすーはー。よし。
胸ポケットに携帯を仕舞いこみ、出口から足を踏み出した。一歩、二歩、
三歩目でそれに気付いた。
坂の上から馬鹿が来た。自転車に乗って突っ込んでくる馬鹿は不幸なことに知り合いである。同級生でクラスメイトで幼馴染の
一発で頭に血が上った。
こっちのセリフだ、と聡美は思う。押さえ込んでいた母への苛立ちは、押さえ込む必要のない清水への怒りに丸ごと化けた。ばぁーかばぁーかこっちだって放課後までお前のバカ面など見たくなかったというより二度と見たくないとっとと失せろ目ざわりよそういやあんた今日の掃除の時間サボってたでしょ―――
違う。そうじゃない。
悪口というのは先手必勝であり、基本的にあとから何を言っても負け犬の遠吠えでしかない。自分はすでに先手を取られた。ならここで有効なのは大量の罵詈雑言ではなく、一撃必殺のカウンターのはずだ。聡美は「これだ!」と思う言葉のナイフを選びとり、深く深く息を吸い、清水を真っ向睨みつけて今
このままでは当たる。
思考を一時中断する。自転車は一向にスピードを緩める気配がなかった。それに気付いた聡美は見事な動きをみせる。普通チャリンコが猛スピードで突っ込んできたら多少は身体がこわばるだろうに、聡美のバックステップには危なっかしいところがまるでない。実に落ち着いたものである。公園出口まで避難しながら、復活した聡美の怒りは前にも増して燃え盛る。聡美は、過剰なくらい驚いている清水を知らない。わざとだとしか思えない。あんまり腹が立ったものだから、さっき言うはずだったセリフまで忘れてしまった。これにも腹が立つ。気の利いた
「あぶないじゃないバカ!!」
このひと言で清水は我に返った。右耳がきーんと鳴ってる。ハンドルを握る手が汗ばんでいるのを感じる。思わず止めていた呼吸を再開する。心臓が跳ねていた。
最初に感じたのは聡美にぶつからなくて良かったという安堵であり、次に自分の前方不注意と驚きすぎを反省し、最後にその二つの事実に対する照れくささと腹ただしさを同時に覚えた。顔面が紅潮していくのが自分でもわかる。焦る。いやいや別に聡美の心配をしてるわけじゃない。単純に危ないからだ。そうに決まってる。
スカートめくりはさすがにガキっぽいな。わざと掠めてビビらせればよかった。と、そんなことを考えながら清水は、後ろにいる聡美が今どんな顔をしているのかものすごく気になっている。自転車のスピードは徐々に落ちてきているのに、ペダルを
だから前方に注意しろというのだ。
自転車の進行方向から急速に逸れ始めた清水の意識が、ついに半回転して後ろを向いたその瞬間、目の前にいきなり、
黒猫。
ブレーキを引いた覚えはなかった。だが多分引いたはずである。焦げくさいにおいとこの世の終わりを告げるかのようなブレーキ音。横倒しになった視界の中でなぜか青空が見え、黒猫のしっぽが見え、一瞬聡美と目があった気がして、
ガードレールにぶち当たり、清水は宙を舞った。
間の悪いことに車が来ていた。ぐんぐん迫るバンパーにこの世の終わりを告げるかのようなクラクション。はっきりと憶えている光景はそれが最後であり、清水は再び宙を舞った。痛みも衝撃も感じなかった。当たり前である。痛みも衝撃も、つまるところ脳みそが受信する電気信号であり、そこで形成される意識が「痛い」と感じなければならず、そのとき清水の意識は銀河の果てまではじき飛ばされていたのだから。
そして、清水は銀河の果てでそれを見た。知ってしまった。この世に神はいないのだと。
そう。この世に神はいない。夢と
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