1−1−4. ヒロインについて
衝撃の出会いから30分後、僕たちは空港に向かうタクシーに乗っている。
佳奈さんの台詞が挨拶だったと分かるまで3分、家の中に入ってしまった佳奈さんに声を掛け勇気づけること5分、返事が返ってきて玄関から出てくるまでに10分。
登校する条件として、
「人混みが苦手なので、タクシー呼んでほしいです…、お金は払うので。」
と言うので、美咲が端末からタクシーを呼び、3人でタクシーに乗ったのが5分前のこと。
佳奈さんは登山にでも行くのか、というほどのリュックを載せ、
「お金なら、これでお願いしまう…」
と財布から3万円を僕に渡して眠ってしまった。
15歳の僕らがタクシーなんて、と思っていたが佳奈さんは慣れたように乗ったし、何よりこれだけのお金をスッと出せるなんて、何者なんだ…。
初めてのタクシー、初めましての女の子、慣れない状況だけれど、それ以上に僕を緊張させているのは
「ぐぅ~か〜ぐぅ〜か〜」
耳元で低く響くいびき、仄かに残るシャンプーの匂い、くすぐったい長髪、下手に掴むと折れてしまいそうな細い肩。
30分前に初めて会った女の子が僕の肩に寄っかかって寝ている。
肩に伝わる肌の感触と、「女の子もいびきってかくんだな〜」という衝撃が僕を襲っている。
「空港まではどのくらいかかりますか?」
「この時間は混んでいなければ、1時間ってところだね〜」
この状況で1時間。入学前に、こんな試練が待っているなんて思いもしなかった。
「拓海ったら姿勢良くしちゃって、お手洗いなら駅で済ましておきなさいよ」
「いや美咲!絶対分かってて言ってるでしょ!」
「なんのことだか。あ、運転手さん。右折の時は気を付けて曲がってもらえますか?」
「ああ、分かっているよ。甘酸っぱいねえ、おじさんは忘れてしまったドキドキだ。妻や娘たちも、昔はああやって僕の肩で寝ていたんだけど…」
「ご家族も運転手さんの苦労を分かってくれる日が来ますよ」
「お嬢ちゃんありがとう。上の娘が中学に上がる年でね、『お父さんの入ったお風呂には入りたくない』だなんて」
「そんな、お父さんの汗と涙が家族の成長を支えているっていうのに」
「分かってくれるかい?妻もいつの日からか、『おかえり』も言ってくれなくなった。俺と妻にもああやって肩を寄せ合った日々があったんだ…グズン」
いやいや、運転手さん泣き始めちゃったし。
人が困っている状況でセンチメンタルにならないでほしいよ。
美咲もティッシュを渡して、運転手さんの苦労話を頷きながら聞いてるし。
隣で眠る謎の同級生は起きる気配も無く、口が触れる二の腕辺りが徐々に濡れてきているのを感じる。
初対面の異性の肩でよだれを垂らして眠る女子高生と、女子高生になだめられながら運転する一家の父。
そんな混沌とした車内で過ごした時間は、受験の後悔も、新しい環境への緊張も、昔乗ったガソリン車の排気ガスのように、車外に排出させてくれた。
いや、良いことのように表現したけど、排気ガスが環境問題を起こしていたように、僕の学園生活には悪雲が迫ってないか?
ひとまず願うのは、僕の学園生活がドラマやアニメなら、ヒロインはよだれを垂らして眠らない人でありますように。
混沌を乗せたタクシーは、悩める父ならぬタクシードライバーが予見した通り1時間ほどして国際空港にたどり着いた。
「ありがとう。君が励ましてくれたから、家族と距離が開いても毎日頑張ろうと思える」
「いえ、冷たく見えても心は繋がっていますよ」
美咲は1時間掛けてタクシードライバーに生きがいを与えていた。
いや、本当にずっと話してたよ!握手までしてるし…
2年の付き合いの僕には分かる。美咲は完全に面白がっていた。
その結果、1時間も人生相談に乗ることになっていれば訳ないけど…。
支払いもしてくれてるし、そっちは放っておくとして。
「か、佳奈さん…」
こちらはこちらで本当に1時間、僕の肩の上で眠っていた同級生を起こす。
「佳奈さん、空港だよ!」
空いている左手で、佳奈さんの右肩を軽く叩く。
「ふぅん…」
声というか息が漏れて、目が薄っすら開く。
「ここ、どこ…?」
「空港に着いたよ」
「ぇ…え…?え!!」
目を完全に開いて、僕と目が合う。
数秒目が合った後、まっすぐ前を見て動かなくなる佳奈さん。
僕も僕とて、目のやり場と掛ける言葉に困っている内、
「さあ、出るわよ」
美咲が掛けた言葉で二人とも我に帰り、無言でそそくさとタクシーを降りた。
「さて…時間は11時半、集合が14時だから早めのお昼にしましょうか?」
「う、うん」
「なによ反応が悪いわね。佳奈ちゃんは食べたい物ある?」
「ちょっと食欲が…、あいや。しょ、消化にいいものでお願いします」
「分かったわ。チャットや通話でもタメ口だったじゃない。敬語じゃなくてもいいわよ」
「はい…」
「全く、二人共しめっぽいわね」
いや、原因は分かってるでしょ!
同級生との出会いが気まずいこと続きだよ。
タクシーが来た時、佳奈さんが後部座席に座ったのを見て、無言で助手席に乗った美咲のことも恨めしく思えてきた。
結果、どうなっているかと言うと、元凶の美咲を戦闘に、右斜め2m後ろに佳奈さん、その対角に僕、という正三角形のポジショニングで歩くことになっている。
僕と美咲が話そうと近づくと佳奈さんが下がり、佳奈さんが話しかけられて近づくと僕が下がる、というスポーツだったら称賛ものの位置取り。
ポジションチェンジを繰り返すこと数分、蕎麦屋に到着した。
美咲が先頭で店員さんとやりとりをし、案内されたテーブル席で手前の席に座る。
「あ…あぅ」
「あ、佳奈さんお先どうぞ」
「は、はい…」
沈黙。ここのポジショニングは全く決まらなかったが、僕が美咲の隣、佳奈さんが美咲の前に座る。気を使ってメニュー表など渡すが、全く目が合わなかったのは言うまでも無い。
注文後、全く喋らない二人をよそに美咲が切り出す。
「佳奈ちゃん。仕事はキリがついたの?」
「はい。あ、うん!ちょうど昨日の夜に最終チェックして、入稿が済んだよ」
「良かったわ。一昨日電話した時は、見通しも分からなかったから。声だけで、ひっ迫が伝わってきたわ」
「毎回あのくらい追い込まれるんだけど…、あでもいつもは自分の予定なんて無いから、今日までにやらなきゃ、限界を越えろぉー!って燃えて、新鮮だったなぁ」
「佳奈ちゃんの書いた小説、最新刊まで読んだわ。学園物だけど、一人一人の背景と正しさや悪の曖昧さが深いところまで描いてある」
「え、分かる??担当編集さん以外の出版社の方にはウケが悪いみたいなんだけど…、これが私の色だ!って譲れない部分なんだ」
何やら盛り上がり始めた。完全に置いてけぼりだ。
「え?ちょっと待ってよ。僕を置いていかず整理させてよ」
「あれ?伝えてなかったかしら?佳奈ちゃんは小説家なのよ」
「聞いてないよ、聞かされたのはタクシーのおじさんの人生相談だけだよ!」
「あとは乙女の寝息かしら?」
「ネタにするのは早いって!せっかく掴みかけた会話のきっかけ断ち切りにこないで!」
視界の左隅に映る佳奈さんは、俯くを通り越して首を折り曲げている。
90°以上首を曲げている人も初めて見たが、
「ア〜、ビッチビッチクソクソワタシハダレトデモネルオンナ…」
壊れたロボが念仏を唱えている様子。いや、そんな状況身たことないけれど。
美咲は我知らぬ顔で端末を操作している。
あまり端末を触らない美咲が珍しい。
一つ一つの動作の遅さから田舎のお婆ちゃんを思い出していたところに、僕の端末にURLが届く。
開いてみると、『新人賞 現代社会に一石を投じる超新人作家 累計50万部突破!』という記事。
「最近は、アニメ調の表紙で文庫本も違和感がなくなって、分類は曖昧になってきたけれど、出版社から見てもライトノベルっていう枠になるのかしら」
「う、うん。私の人生はアニメと一緒だったから、絵を付けてもらえるライトノベルの文庫から出版したかったんだ」
再起動に成功した様子の佳奈さんが会話に戻ってくる。
「シリーズ11冊で50万部は凄いんでしょう?」
「出版社としては成功になるのかなぁ〜、昨日上げた最終巻の12巻で60万部いけばってところだけど、内容が向いてなかったのか、アニメ化まではいけなかったから、次の作品では目指せアニメ化!って」
好きなことだからか、たくさん話してくれるようになった。
僕には半分も分からないけれど、でも何となく佳奈さんの肌が白く細い容姿や、タクシーに乗る時に持っていた大金の理由は分かった。
どんな人か分かんなかったけど、僕と同い年で働いているだけじゃなくいて、自分の身一つで競争の世界でお金を稼いでるなんてすごいや。
端末のチャージ料が残ってたら、僕も佳奈さんの作品を読んでみよう。
昼食の側が届いてからも、佳奈さんの作品のことや、玄関先での謎の挨拶の元ネタ?だと言うアニメを一緒に見ている内、互いに打ち解けていった。
佳奈さんとは、まだ目は合わないけど。それは、高校入学における僕の最初の宿題だと思うことにしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます