第2話

 ぼくは音の出所を探して部屋の中を見回した。


 彼女の右腕からだった。手首につけた、あのへんてこな腕時計がアラームを鳴らしているのだった。


「あっ、やばい、そろそろ時間だ!」

 彼女はそう言って、時計のアラームを止めた。


「時間?」


「外に遊びに行く時間だ!」


 彼女は窓の向こうの雨景色を眺めて、立ち上がった。


「そ、そうか……」


 帰るってことなのかな?


「おにいちゃんのおごりで、ファミレスにパフェ食べに行く時間だ!」

 けろっとした顔でそんなことを言う。


「いまホットケーキ食ったばっかりだろ!」

「食べたいんだもーん!」

 小首を傾げ、甘えた顔で言う。


「ファミレスなんかこのへんにないよ」

「なんでもいいから行こうよー。わたし外に遊びに行きたいよー。おにいちゃんと一緒に遊びに行きたいなー」


「えー、でも、雨降ってるし……」


 窓の外は本降りだった。


 というか、それより何より、そろそろ彼女の事情をホントにちゃんと聞いておきたかった。


 彼女と一緒にいるのは楽しいけれども、ちゃんとした事情がわからないと、どうにも落ち着かない。


 ホントにこのあたりできちんとした話を確認しておきたかった。


 そう思って、話題を戻そうとしたが──。


「雨なんか平気だもーん!」

 そういって彼女は、ぼくの首にしがみついてきた。


 ぎゅっ、とのしかかられて、その感触にぼくの心はときめいた。


 くっ……。なんて幸せな……!


 幸せな力が身体の中に駆けめぐり、なにもかもどうでもよくなっていくのを感じた。


 しかし、ここで乗せられてはいけないと思った。


 ここでデレッとしたら、今までと同じことの繰り返しだ。


 だから、ここは踏みとどまらないといけない。


 強い意志を持って。


 もう乗せられないぞ……!


 今度こそきちんと真面目な話をするんだ……!


 ぼくは彼女のじゃれつき攻撃に耐えながら、冷静な頭を取り戻そうとがんばった。


 しかし、次の攻撃がやってきた。


「雨なんか、おにいちゃんが傘差してくれるから、平気だもーん!」


 彼女はぼくの耳もとで言った。


「はやく行こうよおー、お兄ちゃーん」


 舌っ足らずの甘えた声でそういって、ぼくの身体にのしかかったり引っ張ったりして、ふざけてる。


 おにいちゃんが傘さしてくれる……。


 それはつまり、相合い傘ということらしかった。


 その瞬間、ぼくの脳裏に、雨に濡れないように、ぴったりと身を寄せて傘に入っている二人の姿が浮かんだ。


 心が動いた。


 その光景はぼくの心を掴んで離さない。


 脳裏に浮かぶ相合い傘に、ぼくはもう、すっかり魅入られてしまった。


 ここで相合い傘をやっておかないと、一生後悔するような気がした。


 これはやっておかないとだめだろう、どう考えても……。


 小難しい話はいつでもできるけど、相合い傘なんて、今日の今しかできないんだから……。


 そうだよ、そうに決まってる……。


 あたりまえじゃないか……。何を迷うことがあるんだ……。


 ぼくの心は、もう迷わなかった。


「しょうがないなあ……」


 ぼくは彼女を押しのけて、やれやれといった感じで立ち上がる。「わかったからあんまりくっつくなよ、暑苦しいから……」


 つとめて冷静を装いながら、うきうきとうなずいた。


「わーい、やったやったー!」

 彼女は無邪気に声を上げ、拍手をしながら、小さく跳ねる。


 嬉しそうに、花が満開にほころんだみたいな笑顔で、ぴょんぴょんと跳びはねる。


 思わずつられて、こちらまで笑顔になりそうな、そんな表情。


 はたして彼女が誰なのか……。


 一風変わった腕時計に、どことも知れない学校のセーラー服。


 自称「妹」の謎少女。


 誰なのかはわからないけど……。


 彼女の笑顔の幸せ感は、ホンモノだった。


 小難しい話で雰囲気に水を差して、この笑顔を壊すのはなんだか気が引ける。


 そんな気分にさせられてしまう笑顔だった。


「じゃあ、行こう! すぐに行こう!」


 彼女はぼくの手を引いて、スカートの裾をひるがえし、玄関を目指して小走りに行く。


 ぼくはやれやれ、という顔をしながら、彼女に手を引かれるままにいそいそとあとを追った。


「はやくはやく!」


 彼女にせかされながら、靴を履き、玄関の外に出て、ドアに鍵をかけた。


 そして、おもむろに傘を広げ、彼女に差し掛けた。


 彼女はぼくの腕に手を回す。


 二人で一緒に傘に入り、雨の歩道を歩いていった。


 それはすてきな感触だった。


 彼女は雨に濡れないように、ぴったりと身を寄せて、ぼくの腕を取って隣を歩く。彼女の栗色の髪が、ぼくの顔のすぐそばに。


 こんなすてきなシチュエーションなんか初体験のぼくは、彼女が誰なのかとか、そういう思いはもうどこかに吹き飛んで、今という瞬間の喜びにひたることでせいいっぱいだった。


 うん……。彼女の言うことを聞いてよかった……。いいぞ……。雨もたまには役に立つね……。これなら一年中雨でもいいかな……。


 そう思って、どきどきほんわかしていた。


 するとそこへ──。




 ド──────ン!!!




 背後からものすごい轟音が聞こえてきて、ぼくはびくっと身をすくめた。


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なぞの腕時計少女 座禅忍者 @zazenninja

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