なぞの腕時計少女

座禅忍者

第1話

その日は夏休みの午後で、家には誰もいなかった。


 雨も降っていたし、遠くで雷も鳴っているような、天気の悪い日だったから、まさに勉強にうってつけって感じで……。


 だから、ホントならぼくは、二階の自室にこもり、一人静かに塾の問題集を解いているはずだった。


 ぼくはクールな真面目少年で通っていたし、受験を控えた中学三年生だったし、夏を制するものは受験を制す! って塾の先生も言っていたから。


 だからホントは、一人静かに、問題集を解いているはずだった。



 それなのになぜか……。



「あっ! すっごーい! おにいちゃんすっごーい!」

 ぼくの隣の座布団に、ぺたんと座る正体不明の女の子。


 彼女にせがまれて、ぼくはリビングでうきうきとプレステなんかをやっていた。


 ぼくはこの、内心のうきうき感を表に出さないようにしながら、コントローラーを操作して、モナコのヘアピンを走り抜ける。


「すごいよ、一位だよ!」

 テレビ画面を指差しながら、彼女は言う。


 少し舌足らずな感じの話し方をする子だった。年頃はぼくと同じくらい。小柄で、栗色のくせっ毛で、このへんでは見かけない学校のセーラー服を着ている。


「まあ、これくらいは普通だよ」

 クールに言いながら、ぼくは自己ベストを更新の、ぶっちぎりの一位でゴールした。


「すごいねすごいね!」

 拍手してくる。


「まあね、簡単なゲームだから」


「すっごーい! やっぱおにいちゃんってかっこいいね!」

 彼女は声を上げて、ぼくの首に抱きついてくる。


 ぼくは伸びそうになる鼻の下を鋼鉄の意志で押さえ込みながら、「あんまりくっつくなよな……」と押しやる。


「すごいすごい!」

「それよりさ……」

「うん」



「きみ、誰なの? まじで……」



 ぼくはおもむろに尋ねた。


 楽しげにゲームなんかやってるけど、ぼくは彼女が誰なのかさっぱりわからないのだった。


 さっぱりわからない女の子が、ぼくの家に押し掛けてきて、やたらなついて、あまえて、べたべたしてくるのだった。


「だからさっきから言ってるじゃん。わたし、みふぃだよ。おにいちゃんの妹の」

 彼女はさらっとそんなことを答える。


「いや、ぼくには妹なんかいないんだけど……。一人っ子だし……」

「だってわたし、これから生まれるんだもの」


「これから生まれるのに、なんできみはいるの?」

「未来からタイムマシンで来たんだもの」


「だからそれが……。わからないっていうか……」


 ぼくはうつむき、自分の額に手をやった。理解できない。彼女はなんでそんなでたらめを言うのか。


 彼女の話は、突然玄関にやってきたときから、「タイムマシンでやって来た」の一点張りだった。


 そのタイムマシンとやらも見せてもらった。彼女のタイムマシンは右腕についていて、腕時計の形をしていた。


 その上に蚊取り線香みたいな渦巻きが浮かんでいて、ゆっくり回転しながら、虹色の光を放っていた。


 なんでも、彼女が夏休みの工作で発明したらしかった。自分で発明したタイムマシンで、発明記念にぼくのところにやってきたのだという。


「おないどしのおにいちゃんと遊びに来たんだよ!」

 そんなことを言って現れた。



 まあ確かに時計は珍しいけど……。なんか浮かんでるし……。


 

 しかし、そんな話が信じられるわけがない。

 ふざけてる。

 この状況、さっぱりわからない。


 彼女は誰なのか……。何をしに来たのか……。なんでぼくは、彼女と楽しくゲームなんかやってるのか……。


「な、なあ、マジで聞きたいんだけど……。ホントのところ、きみ、誰なの?」

 聞いてみた。


 彼女はにこっと笑って、

「そんなことより、わたし、ホットケーキが食べたいなー」


「ホットケーキ?」

「おにいちゃんの作った、ホットケーキが食べたいなー」


 そういってまた、ぼくの首にしがみついてくる。

 ふわっといい匂いがして、ぼくの心臓は、ととん、とスキップする。


「いや……。そんなの作るのめんどくさいし……」

「たーべーたーいー!」


 彼女はぼくに抱きついたまま、のしかかるように体重をかけてくる。


「たーべーたーいー!」

 言いながら、今度はぼくの身体を引き寄せる。


「たーべーたーいー! たーべーたーいー!」

 彼女はリズミカルにいいながら、ぼくに体重をかけたり、引き寄せたりをくり返す。


 ぼくの心臓はスキップしすぎて、どんどんどん、と走り幅跳び。

 これ以上そんなことをされたら、どうにかなってしまいそうだった。


「しょうがないなあ……」


 ぼくは彼女を押しのけて、やれやれといった感じで立ち上がる。「ちょっと待ってろよ、いま作ってくるから……」


「やったあ、さすがおにいちゃん! たーのーしーみー! たーのーしーみー!」

 彼女はそんなことを言って拍手をしてる。


「たーのーしーみー! たーのーしーみー!」


 その声とリズミカルな拍手を受けながら、ぼくはステージに向かう芸人みたいに、台所に向かって送り出されていった。



 謎だった。



 彼女はリビングのテーブルで、ぼくの作ったホットケーキを、最高のごちそうみたいな顔をして、もぐもぐと幸せそうに味わっている。


 頬には食べかすまでつけていた。


 そういう様子を見ていると、悪い気はしないんだけど……。


 ぼくは自分のぶんのホットケーキを食べながら、考える。


 彼女の事情は、何度聞いても、タイムマシンとか、そんな話ばっかりだった。


 追求してもっと真面目な話をしようとすると、


「おにいちゃんにあまえちゃおーっと!」


 彼女はそんな感じでぼくに抱きついてきたりする。


 そんなことをされると、ぼくは、

「よ、よせよ……」

 なんて調子に、クールを装いつつも、身体の中に幸せな力が駆けめぐって、

 ま、まあいいか……。なんか楽しいし。深いことはあとで考えよう……。


 必ずそんな気にさせられてしまうのだった。


 それでごまかされ、ずるずる今まで来てしまった。

 

 何かを聞こうとするたびに、


 甘えられ、せがまれて、


 一緒にテレビ見たり、トランプをしたり、


 勉強するところを見せてみたり、


 学校の話を聞かせたり、腕立て伏せやって見せたり、ゲームやって見せたり、ホットケーキ作ったり……


 そんなことをくり返していた。


 真面目少年を通していて、女の子が家に遊びに来たことなんか一度もないぼくには、彼女はやっぱり魅力的だったし、おねだりを断る冷徹さなんか、持ち合わせようがなかった。



 でも、このままずっと一緒に遊んでいるのもなんだかおかしな話だ。



 そろそろ、きちんと確かめておかないと……。


「な、なあ、あのさあ……」

 ぼくはホットケーキを食べ終わり、声をかけた。


「ん?」

 彼女は瞳をぱちくりさせて顔を上げた。


「あのさあ、真面目な話、きみって一体……」


 ぼくがそこまで言ったとき、



 ピピー! ピピー! ピピー!



 部屋の中に、なんだか変なアラームの音が鳴り響いた。


 なんの音だろ?



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