001 Shall we dance?
かつては100名近い在校生を誇っていながら、今や全校生徒僅か3名という悲惨も悲惨、廃校寸前だと言いつつ、あまりにも山奥にあるがゆえに、あまりにも街が遠いゆえに細々と生き残っている学校である。
その校舎は今どき珍しい全て木造建築の古式ゆかしいもので、成人である
『まぁとりあえず、雨宮先生の授業は明日からだから、今日は子どもたちの様子を見学しているといい。あ、廊下を走ってたりしたらちゃんと諭してあげてよ。教師として』
校長は先程、凍にそう言っていたが、もはや廊下を走るなと注意で事足りるものではない。廊下を
凍は抜き足差し足忍び足と脳内で反芻しながら廊下を進んでいく。途中、通りかかる教室の扉の窓から中を覗いてみても、子どもの姿は見当たらない。部活動で残っているはずだ、と確かに校長は凍に伝えた。凍は立ち止まって、手に持っていた紙を広げた。校舎の見取り図とこの村の地図を両面印刷したA3の紙をくるくる回して、現在位置に合わせてみる。生徒が普段授業を受ける教室は外れだった。残るは。
たたたたた。
たたたたた?
凍は思考を中断して顔を上げた。視線の先には、全力でこちらに
回避か。それとも止まりきれなかったことによる負傷を避けるため、ここは逃げるべきか。凍が決断を下す前に突進少女はぴたりと静止した。乱れた髪を慣れた手付きで後ろにやり、大きく1回深呼吸をしてなから、スカートを両手で軽く持ち上げ、左足を後ろに下げ、深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかりますわ。わたくしは生徒会長兼地域文化研究会会長の
佳奈子は目線だけをこちらに向けて、凍の名前を読んだ。恭しく、やんごとなき御令嬢さながらの
「こちらこそ。はじめまして、トウノさん。漢字表記は遠野物語の遠野かな?」
「いえ、方角の東に野原の野ですわ。そちらですとトオノ、になるんじゃありませんこと?」
「おおこりゃあ失礼。トウノとトオノみたいな間にあるウとオは、伸ばす音として曖昧になるのが日本語の常というものだが……東野さんのように明瞭な発音をトオノとして捉えたことを鑑みると、どうにも自我というものが抑えきれなかったらしい。名前は大事だからね、重ねてお詫びするよ」
立て板に水を流すがごとく。つるつると喉越しの良い喋り方で凍は畳み掛けた。やや面食らった様子の佳奈子だったが、口元に手を当てて、鈴の転がるような声で笑いはじめた。オーホッホ、という笑い方ではなく、年相応の可愛らしい庶民的な笑い方である。ひとしきり笑い終わると、彼女は目元に滲んだ涙を白魚のような指先で拭って、口を開く。
「ふふ、ほんっとに賑やかで愉しい御方ですわね。──ねぇ、先生。もしかして怪談がお好きかしら」
「ああ好きだとも。怪談は僕の人生そのものと云っても過言といえば過言だが、僕の中ではそのつもりでいるよ」
「それは大変都合がよろしいこと。では先生、わたくしたちの部室にぜひいらして。お茶でもしながらお話しましょう」
「お誘いいただいて光栄だよ。ちなみに、東野さんの所属する部活はなにをするんだい」
ぱちくり。
虚をつかれたような顔で、佳奈子は大きく目を見開く。瞳が零れ落ちそうなほど開いたまま、佳奈子は首を傾げた。凍もそれに合わせて、同じ方向に首を傾げる。凍が服の下に仕舞っていた銀のネックレスが重力に従って外にすり抜けた。
「ご存知ない? わたくしたちの敬愛する顧問の宮崎先生の代理としていらしたのに?」
「地域文化を研究するというざっくりした文字通りの活動内容以外を全く知らなくてね。宮崎先生は『生徒についていって見守ってやればいい』とだけ引き継ぎしていかれたから」
「宮崎先生は非常におおらかでいらっしゃいますものね。そういうことなら仕方がありませんわ」
佳奈子は窓の外の大きな桜の木に視線を移す。瑞々しい緑の葉をつけた枝は、風に揺られて音を奏でていた。言葉を発しているようで、人間には解すことのできない、自然の中の暗号じみた特別なやり取り。開いた窓から、絶えずそれが流れ込んでくる。
佳奈子の亜麻色の髪が、一部反射で金色に変化する。半袖の白いセーラー服のトップスが、彼女を向日葵畑の白いワンピースをまとう少女に塗り替える。風をはらんだ髪を抑えて、凍の方に視線だけをよこした。
「幽霊、妖怪、怪談、怪異──日本では様々にそれらを表現する言葉がありますが、一言西洋風に言うならオカルト、というのが的確かしら。わたくしたちは俗に言うオカルト研究会、この集落に存在するオカルト的な噺を収集、解析、実証するのですわ」
「わたくしはそれがたまらなく好きですの。子どもだから許される特権を行使しきってから、大人になりたいんですの」
「例えば、ねぇ先生。よく、桜の木の下には死体が埋まってると言いますわ」
お嬢様はそれ以上を言わない。しかし、彼女の瞳が口よりも雄弁に、その先を語る。白紙には何も書かれていないようでいて、全てが決定している。凍は、彼女が描いた脚本通りに、あくまでも貴公子らしく、片手を差し出す。
「東野さん、僕と──たとえ
佳奈子は、向日葵がほころぶような笑顔を浮かべる。ゆったりと凍の手に自分の手を近付ける。触れる寸前に、紙1枚分だけの隙間を残して、手の動きを止めた。生徒は生徒で、教師は教師であるからの隙間である。
「ええ、よろこんで。……では、
お嬢様が踏み出した1歩は、天国に届きそうなほど軽く、奈落の底まで落ちそうなほど重たいものだった。
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