囚われの少女

 忘れ去られた遺跡。

 大理石のような石材で作られた巨大な空間がそこにはあった。

 天井は極めて高く、横幅も人が走り回ってもなお余裕がある。

 壁や天井には一切の継ぎ目がなく、およそ人間が造れるようなものではないのは明らかだ。


 光源はただ一つ。

 天井の中央から突き出ている無数の水晶が発光し部屋全体を明るく照らしている。

 

 そんな遺跡の中心にある祭壇で眠っている少女がいた。


 とても美しい少女だった。

 少女の髪はとても長く、腰にまで及んでいる。色は残雪のような銀髪だ。

 肌は雪原のように白くキメが細かい。十人が見たら十人が美しいと称賛するだろう。

 それほどの美しさが少女にはあった。

 

 加えて身につけているドレスもその少女の魅力を際立たせている。

 純白のドレスを着た少女はまるで雪の妖精だ。

 ドレスには氷の結晶を思わせる刺繍が散りばめられており、その印象を加速させる。


 そんな少女は、遺跡の中にある祭壇の上に囚われていた。

 首と手足には漆黒の枷と鎖が付いており鎖は少女の背後にある漆黒の像へと繋がれている。

 

 その像は、美しい少女とは対照的に禍々しい。

 人型ではあるものの巨大な体躯を持ち、頭からは角が生えている。

 

 少女がこの場に閉じ込められてから既に三年が経過していた。

 誰も助けになんて来ない孤独な日々。そんな日常の中で少女の心は摩耗し、疲弊していった。いまでは一日中眠りについている事が多くなった。

 

 たとえ起きていても虚な瞳で虚空を見つめているだけ。

 かつてあった輝く様な笑顔はいまや面影すらない。

 

 そんなある日、変化が起こった。

 

 遺跡には一つだけ扉がある。少女が閉じ込められてから一度として開いた事のない扉が。

 そんな扉が今、重厚な音を立てて開いていった。

 

 眠っていた少女は目を覚まし、虚な瞳を扉へと向けた。

 

 扉を開けて現れたのは闇を纏った少年だった。頭のてっぺんから足の先までを真っ赤な血で濡らしている。

 手には巨大な大太刀を持っていた。


「……だ……れ?」


 少女の口から掠れた声が漏れる。

 閉じ込められてから初めて出会った人間に少女の瞳は僅かに光を取り戻した。

 もしかしたら助けに来てくれたのかもしれないと一縷の望みを賭けて。

 

 しかしそんな少女の希望はすぐに打ち砕かれた。

 

 少年は濃密な殺意を少女に叩き付けた。


「――ッ!」


 少女は今まで感じたことのない殺気に息を呑んだ。

 

 かつて戦ったどんなに強力な魔物でさえこれほどの殺気は放っていなかった。だがこの少年の殺気はかつて感じた殺気がお遊びに感じる程に強烈だった。

 

 少女は自分とそう変わらない年齢の少年がこれ程までの殺気を放っている事実に戦慄を覚えた。


「グゥオオオオオオオオオオオオオ!!!」


 少年の咆哮が遺跡全体を揺らし、衝撃波となって少女を襲った。


「きゃっ!」


 少女の身体が僅かに浮き上がり吹き飛ばされた。背後にあった漆黒の像に叩きつけられ息が詰まる。痛みを堪えつつ顔を上げるといつの間に接近したのか大剣を振り上げた少年の姿があった。

 

 咄嗟に少女は手で頭を庇った。それは大剣という凶器相手にはあまりに無力で小さな抵抗でしかなかった。

 このままでは待っているのは悲惨な結末だ。

 

 しかしそうならなかった。大剣が振り下ろされた直後、少女を繋ぎ止めている手枷とぶつかった。

 耳障りな音を響かせながら大剣と鎖が拮抗する。一見すると鎖に勝ち目など無い。だが結果は逆だった。

 

 拮抗の後、大剣にヒビが入り砕け散った。


 少年が扉の前まで飛び退る。その直後――。


「くっ」


 少年は苦悶の声を漏らしながら頭に手を当て膝をついた。

 纏わりついていた闇が濃度を増し、少年に絡みつく。

 その様子を少女がじっと見つめていた。

 闇が少年を覆い尽くし、渦を巻く。


「……君は操られているの?」


 その声に答える者はいない。少女は瞳を閉じて一度、深呼吸をした。


 ここで諦める事は簡単だ。だけど目の前には一筋の希望がある。

 それに死ねない理由があった。

 少女の脳裏に大切な家族の顔が浮かぶ。かけがえのない繋がりだ。

 あんな事件があって生きているかはわからない。

 だけど妹だけは生きていると少女は信じていた。そういう約束だったのだ。

 所詮は敵とした口約束。守られるかなんてわからない。

 だけどもし生きているのなら。


 ……私は死ねない! あの子のためにも!

 

 その後、開けられた瞳には強い輝きが宿っていた。


「……君は私が助けるね。だからどうか君も…………」


 ――私を助けて

 

 たった一つの願いだ。閉じ込められてから三年間。どれだけ願っても叶わなかった夢。諦めかけていた願い。

 少女はそれを少年に託した。

 

 少女は手を胸の前に翳し己の剣を呼ぶ。


「ラ=グランゼル」


 虚空から氷が出現し、形を変えていく。

 そうして現れたのはクリスタルの剣。氷を思わせる装飾が施されており、光を反射して薄蒼く輝いている。


「悪いのはその闇よね。なら私が停める」


 そう告げると剣の切先を少年へと向けた。


ブリジリアアルメス


 少女が一言呟くと、虚空から氷で出来た無数の鎖が出現した。

 その全てが少年目掛けて飛んでいく。


「グゥオオオオオオオオオオオオオ!!!」


 少年が吼えた。

 彼の手にはいつのまにか闇を凝縮して作りあげられた大太刀が握られていた。

 少年は大太刀を振りかぶると少女目掛けて投擲した。

 大太刀が、鎖を粉砕しながら飛翔する。


「なっ!」


 少女はまさか剣を投げるなんて思っておらず驚愕の声を漏らした。

 しかし、以前の自分ならこの程度予測できたはずだとも思った。

 何年も閉じ込められていて感が鈍っている。

 その事実を認めながら鎖の制御を一度手放し、手を前に突き出した。そこに魔術式が記述される。


 ――氷属性防御魔術:絶氷盾華ぜっひょうじゅんか


 手の先から少女の魔力を養分にして蒼く輝く氷の華が咲いた。

 透き通る蒼い花弁を八枚持つ華だ。その一枚一枚が人一人を覆えるぐらいに大きく頑強だ。中心にはダイヤモンドを彷彿とさせる氷塊が嵌め込まれている。

 

 直後、華と大太刀が衝突した。

 絶氷盾華の花弁が一枚甲高い音をたてながらヒビ割れていく。

 

 この魔術、絶氷盾華は中心の氷塊のダメージを花弁が肩代わりする。許容量を上回るダメージを負うと花弁が砕けて散るのだ。散った花弁は氷の欠片となり中心の氷塊を強化する。いわばダメージを負う毎に堅くなる盾だ。

 

 しかし絶氷盾華の本質はそこではない。

 

 まず一枚目の花弁が散った。氷の欠片がキラキラと宙を舞い、大太刀に纏わりつく。続けて二枚目、三枚目と花弁がひび割れ散っていく。砕けた花弁の量に比例して大太刀にまとわりつく氷の欠片の数も増えていく。

 四枚目が砕けた時、大太刀に変化が起きた。

 氷の破片が大太刀にまとわりつき、ビキビキと音を立てて表面を凍らせていく。

 

 これが絶氷盾華がただの防御魔術ではない所以であり本質だ。そして五枚目の花弁が砕けると同時に大太刀も粉々に砕け散った。

 

 少女は新たに氷鎖を生み出し意識を少年へ向けた。


「……!」


 しかし少女が見たものは少年の周囲に広がった闇だった。

 先程見た時よりも闇が大きく、濃密になっている。

 空間を満たすほどに溢れた闇が次第に無数の刀へと変化していく。


……まずい。


 少女の頭が警鐘を鳴らしていた。

 あの黒刀は凝縮された魔力の塊だ。内包している魔力量はラ=グランゼルには遠く及ばずとも並の魔剣を遥かに凌ぐ。

 

 そんな黒刀が空間いっぱいにズラリと整列している。

 

 その上、少女は囚われの身だ。約三メートル四方の祭壇内でしか動けない。

 あの量の黒刀が一斉に攻撃へ転じたらとてもではないが避けるのは不可能だ。

 

 少年が腕を掲げた。すると全ての黒刀がその切先を少女へと向けた。

 絶氷盾華で二、三本は防げるだろうがそれ以上はとてもではないが無理だ。

 黒刀に対抗するには格上であるラ=グランゼルでないと勝負にすらならない。

 

 ならばと少女はラ=グランゼルを構え魔力を注ぐ。湯水の如くラ=グランゼルへ魔力が流れていくなかで複数の魔術も準備する。

 

 以前はラ=グランゼルの顕現に魔力の大半を持っていかれたためこんな事をすれば直ぐに魔力が枯渇していた。

 しかし魔力というものは使う毎に総量が増えていく。そこに個人差はあれど必ず成長する。

 

 少女は鎖を断ち切るために何度も魔力を使ってきた。魔力枯渇の症状で気絶しながらもだ。

 加えて少女には才能があった。それは生まれ持った特異体質。魔力の成長量が常人とは次元が違っていた。

 

 それでもなお鎖は断ち切れずに近頃は諦めていた。とは言え少女の魔力総量は囚われた時の何倍にも膨れ上がっていた。


――氷属性強化魔術:白銀装甲はくぎんそうこう

――氷属性領域魔術:極天氷原きょくてんひょうげん

――無属性強化魔術:身体強化


 一瞬で遺跡内の気温が氷点下にまで下がる。石室全体に霜が降り、息が白くなる。普通ならば外気に触れた肌が凍傷を起こし、体温が奪われ行動に支障を来たすレベルだ。

 

 だが極天氷原のデメリットを白銀装甲がメリットへと転化させる。


 少女の着ているドレスの上に白銀に輝く鎧が現れる。その姿はまるで神話に語られる戦乙女のよう。

 

 白銀装甲の効果は気温に応じた身体強化だ。低ければ低いほど強くなる。

 しかし少女は万全を期すために加えて無属性強化魔術の身体強化も使用した。

 

 そして少年の腕が振り下ろされた。黒刀が衝撃波を撒き散らしながら殺到する。

 凄まじい速さだが身体強化のおかげで動体視力の上がった少女はしっかりと見切っていた。

 飛来した黒刀にラ=グランゼルを叩き付ける。すると一撃で黒刀は黒い靄となって霧散した。

 続いて二本三本と黒刀を霧散させていく。


……いける!


 次々と黒刀を霧散させていき、その数が百を超えた。

 このまま行けばものの数秒で全ての黒刀を消滅させることができる。

 しかしそれは少年が動かなかった場合だ。


「……!」


 少女の首筋にピリッとした電撃が走った。

 すぐさま星剣に注ぎ込んでいる魔力を大幅に増やし横薙ぎに振り払った。

 黒刀がまとめて霧散していく。それを見届けもせずに少女は後方へ飛び退った。

 

 直後、黒刀の振る雨のなか空中でその一本を掴み取り少年が飛び込んできた。

 少年が振るった黒刀が少女の鼻先を掠める。

 少女はなんとか避ける事ができたが、隙ができてしまった。

 

 降り注ぐ黒刀が少女を襲う。

 少女は咄嗟に星剣を手放し右手の指を鳴らす。それと同時に左足のつま先で地面を叩いた。

 そのアクションが引き金となり簡易魔術が発動する。


――氷属性防御魔術:氷壁

――氷属性攻撃魔術:氷槍山


 少女と少年の間に分厚い氷の壁が出現すると同時に少年の足元から氷の槍が無数に飛び出す。

 しかしこんなものは一瞬の時間稼ぎにしかならない。

 氷壁は黒刀に粉々に砕かれ、氷槍山は少年が纏う闇を貫く事すらできなかった。


「くっ――!」


 手放した剣を意識し、一瞬で手元に呼び戻す。氷壁を砕いた無数の黒刀が目前に迫る。

 少女は自らの剣にありったけの魔力を注ぎ込む。そして黒刀が少女を貫く、その寸前。

 少女は自身に扱える最大の技を使用した。

 

ティリウス時よブリジリア凍れ!!!」

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