決着

 星剣ラ=グランゼルの秘剣、ティリウス時よブリジリア凍れ

 そもそも星剣とは星の力が具現化した剣だ。世界に一振りしかなく、所有者は星が選ぶと言われている。


 ラ=グランゼルが司るは停止の概念。

 

 そんな星剣であれば僅かな時間だが時を停止させる事が可能だ。

 

 ティリウス=ブリジリアの効果で世界が色褪せる。

 同時にラ=グランゼルの所持者である少女以外が停止した。


「はぁ……はぁはぁ」


 少女は膝をつき、肩で息をする。

 ティリウス=ブリジリアは魔力総量が増える事で使えるようになった秘剣だ。

 しかし強力すぎるが故に代償は大きい。ティリウス=ブリジリアを使うためには魔力総量の殆どを使用する事になる。

 なので少女の魔力は残りわずかだ。


 少女は目眩を堪えて立ち上がった。


 時間はあまりない。というのも時を止められるのは少女の体感時間にしてほんの十秒しかない。その間に対策を考えなければならないからだ。

 

 少女は息を整えながらも高速で思考を巡らす。


 ……まずはこの状況をどうにかしないと。


 目前で静止している黒刀。これは立ち位置を変えるだけで避けれる。問題は後続の黒刀だ。

 頭上に視線を向けると黒刀の数はあと百程度。そこで少女はふと思った。


 ……あの数の剣をこの子はどうやって躱したの?


 少年はあの黒刀の乱舞の中、斬り込んできた。何かカラクリがないと自分諸共切り裂き自滅するのは目に見えている。しかしそうはならなかった。

 

 チラリと少年を確認すると、確かに少年にも黒刀が当たっていた。しかし、少年の纏う闇に触れていた黒刀が闇と溶け合っていた。


……なるほど。この闇に触れると消えるのね。いえ、戻ると言った方が正しい……のかな?


 ならばまだ希望はある。と少女はラ=グランゼルを構えた。

 ティリウス=ブリジリアの効果時間内に少年の心臓に星剣を突き刺して殺す事はできる。

 しかしそれでは少女の目的が果たせなくなる。

 

 少年を助け、自分を助けてもらうという目的が。


 だからできない。

 

 ふと、ここからの脱出を諦めてしまった時のことを思い出した。どうやっても鎖が破壊できずに諦めかけていた日のことだ。


……あの時、諦めなければもっとやりようはあったよね。


 心の中で後悔ともつかぬ念が浮かび上がる。

 今よりもすこしだけ魔力量が多ければ、魔術の研究を続けていれば。そう思わずにはいられない。

 

 しかし、それはもう過ぎた事だ。

 

 今すべきことは後悔に思いを馳せる事ではない。

 少女は少年の前に移動した。無数の黒刀を少年で遮るように。

 そして少年をよく観察する。

 見れば少年が纏う闇は胸の中心から溢れ出ているようだった。


 ……これを封印すれば正気に戻る?


 確証はないが、心臓を突き刺すよりはマシに思えた。


「ふぅ」

 

 少女は息を吐き意識を研ぎ澄ませる。そして胸の中心目掛けてラ=グランゼルを突き入れた。


 しかし、止まっているはずだった少年の目がギョロリと動いた。


「なっ!」


 少女の驚愕を他所に、少年はラ=グランゼルの刀身を腕で掴んだ。

 そして世界に色が戻る。


 迫り来る黒刀は全て少年に吸い込まれた。しかし少女のラ=グランゼルは少年に掴まれている。


 ……まさか時間停止中に動けるなんて!


 少女は咄嗟に星剣を離し、魔術を発動する。


 ――氷属性攻撃魔術:氷槍乱舞


 少年に向けて至近距離から五つの氷槍が放たれる。対する少年は腕の一振りだけでその全てを撃ち落とした。


 しかしその一瞬を作り出すことこそが少女の狙いだった。


 ……戻って!


 少女の願いに応じてラ=グランゼルが手の中に戻る。少女はそのまま横薙ぎに振るった。


 ――キィイイン。


 甲高い音を立ててラ=グランゼルが弾かれる。見ればいつの間にか少年の手には黒刀が握られていた。

 少女は即座に体制を立て直し、首を狩る斬撃を叩き込む。


 ……殺す気でやらないとダメだ!


 少女は認識を改めた。

 しかしそれでも少年は最小限の動作で対処する。その上、反撃までして来る。

 返しに繰り出された横凪の斬撃を回避しつつ少女は唇を噛む。


 ……強い。


 まるで正気には見えないが、剣筋は達人の域に達している。


「くっ!」


 少年が振り下ろした剣を真正面から受け止める。凄まじい衝撃に手が痺れ、数歩後退を余儀なくされる。

 背後にはすぐそばまで漆黒の像が迫っていた。このままではジリ貧だ。

 かといって囚われの身である以上、少女には逃げ場も無い。打開策もなければ魔力も残り僅かだ。

 

 しかし少女は諦めない。

 

 少女を閉じ込めた帝国宰相の言葉が正しければ背後にあるのは魔王の封印だ。

 

 今の時点で勇者が召喚されているかはわからない。

 

 勇者召喚の鍵である聖女も少女が捕らえられるまでは現れていなかった。ここに囚われてから現れたのかどうかは知る由もない。だがもし現れておらず勇者と聖女が不在の時に封印が解かれれば世界が滅びる。


 ――世界なんて滅びてしまえばいい


 心の中の悪魔が嗤う。


 ――なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの?


 何度もそう思った。なぜ自分なのかと。


 ――私は大切な家族と民達と幸せに暮らしたかっただけなのに。


 ラナの生まれた国、グランゼル王国は平和な国だ。

 近年大きな戦争もなく、民達も豊かに暮らしている。

 天才、星剣適合者、賢王女。そして氷姫。様々な異名で呼ばれた少女が王位を継げば、これからもずっと平和に暮らせていたはずだった。

 

 少女も周囲からの期待に応える為、努力を重ねてきた。いかに天才と呼ばれようと努力を怠れば才は埋没する。剣術の修練、魔術の研究、帝王学と数多の、それこそ血の滲むような努力を重ねてきた。

 

 しかしそれは踏み躙られた。

 「世界のために」なんて聞こえのいい言葉によって少女の人生は封印された。

 

 少女は憎悪した。帝国を、世界を。

 自ら命を断てば世界を滅ぼせるのではないかと考えたことすらもあった。

 

 しかし、もしも。もしも人質にされた妹が生きていたらと考えるとどうしても最後の一歩が踏み出せなかった。

 喉元に剣を突きつけるたびに愛しの妹の顔が脳裏をよぎった。


 ……だから諦めるわけにはいかない!


 どれだけ困難な道のりでも死ぬことだけは許されない。


「はぁあああ!!!」


 裂帛の気合いを乗せて剣を振るう。何度防がれても絶え間なく斬撃を叩き込む。

 しかし、少年は無駄のない動きで少女を追い詰める。少年の剣技に派手さはない。ただただ堅実な剣だ。

 剣を振るう度に少女の次の動きを的確に潰してくる。このままでは少年の剣が少女に届くのは時間の問題だ。


「……」


 少女は考える。この状況をひっくり返せる手を。少年の剣を防ぎながら思考を巡らす。

 

 その時、チラと少女の眼に祭壇が映った。

 先程、黒刀の乱舞に粉砕された祭壇が少しずつ再生している。その様子はまるで時間を巻き戻しているかのようだった。


 ……そうだ。この祭壇は……。


 少女が鎖を壊そうとした時、その余波で祭壇を何度も破壊した。

 時には魔王の封印である漆黒の像が倒れるぐらいに破壊し尽くしたこともあった。

 だが、少女が魔力枯渇による気絶から目覚めた時には何事もなく元の形に戻っているのだ。

 

 そこで少女は一つの仮説を立てた。

 これはとてつもなく分の悪い賭けだ。賭けに負ければ命はないだろう。世界も滅びるかもしれない。しかし刻々と追い詰められている中、何もしなければ死ぬだけだ。もはや選択肢はない。


 ……ごめんね。アイリス。


 少女は心の中で最愛の妹に謝った。

 諦めるわけにはいかないのに、こんな賭けに出なくてはいけない。

 少女は自分が不甲斐なかった。


 だけど少女は覚悟を決めた。自分の考えを悟らせないように本気の斬撃を繰り返しながら残り僅かな魔力を練り上げる。チャンスは一度。出し惜しみはしない。

 

 そしてその時はきた。

 少年が振るった刀が少女のラ=グランゼルを弾き飛ばす。

 クルクルと回転して飛んでいく様子が少女にはやけにスローに見えた。

 

 少年が惚れ惚れする程の流麗な剣捌きで切先を少女に向ける。

 次の瞬間、少女の心臓目掛けて鋭い突きが放たれた。


「ぐっ!」


 少女はそれを避けずに受けた。

 胸を突き刺す鋭い痛みに悲鳴をあげたくなるが唇を噛んで必死に堪える。


 ……ここが勝機!


 練り上げていた魔力を解放する。動きの止まった少年の腕を掴み魔術を発動した。


 ――氷属性結界魔術:氷縛ひょうばく


 少年の腕がみるみる内に凍りついていく。それは少年の身体を侵食していく。少女をも巻き込んで。


「捕まえた」


 少女は呟くと心の中で念じて星剣を手元に転移させた。


「お願い! 正気に戻って!」


 少女は唯一動く左腕で星剣を少年の胸目掛けて突き刺した。


シグネスト停止ブリジリア氷結!!!」


 少年の胸に巨大な氷の結晶を模した刻印が刻まれた。

 それと共に少年に纏わりついていた闇が霧散し、少女が作り出した氷も溶けた。

 そしてラ=グランゼルも空気に溶けるようにして消えていった。

 

 少年は糸の切れた人形のように倒れ込む。その身体には傷一つ付いていない。

 

 対して少女は胸に黒刀が突き刺さった箇所から血が溢れている。黒刀は既に消えているが、明らかに致命傷だ。


 少女の意識が朦朧とし全身が寒気に包まれる。


……ここからが……賭け。仮説が……正しければ……。


 そうして少女は意識を手放した。




 少女が意識を失ってから僅か数分後、それが起こった。

 流れ出た血液が時を戻すかのように少女の身体へと戻っていく。胸に負った傷が何事もなかったかのように元に戻っていく。

 

 傷だけではなく着ている衣服までもが。

 そして復元が完了してから僅か数秒で少女は目を覚ました。

 少女は意識を取り戻した後、すぐに身体を確認した。

 そこにあるはずの傷が無くなっていることにホッと息をついた。


「……勝った」


 少女の仮説は正しかった。

 祭壇が復元されるのならば自分自身も同様に復元されるのではないかと考えたのだ。そうであればこの三年間、食事を必要としなかったことも説明がつく。

 もちろん無機物である祭壇と人間である少女では復元の難易度は違う。

 それに死に至るほどの傷も何事もなく、治ってしまった事に少女は薄ら寒いものを感じる。


「本当にこれはなんなんだろう」


 少女は魔王の封印に手を付いた。

 

……これは本当に封印なのだろうか


 そう疑問に思う。

 人間の復元なんて物を可能にする。それがどれほど荒唐無稽な物なのかは魔術に詳しい少女なら理解している。

 類稀な回復魔術の使い手であれば部位欠損でも治せるというがそんな魔術師なんて世界で数人いるかいないか。

 グランゼル王国随一の回復魔術の使い手であった妹でもそんな芸当はできない。


……いやそもそもこれは回復魔術なの?


 少女は試しに祭壇をラ=グランゼルで削り取る。

 しかし、やはり数分で時を巻き戻すように復元された。


 ……やっぱり魔術にできる範疇を超えている。これは魔法に限りなく近い。ならこの封印も魔法なの?


 考えていても答えは出ない。


 ……今はこれからのことを考えよう。


 少女は倒れている少年に視線を向けた。

 はたして彼は敵か味方か。それは定かではないけれど……。


「いい人だといいな」


 少女は期待を込めて少年の目覚めを待った。

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