if…

私の名前は瑠海。幼い頃から、海が私のすべてだった。それは母の影響だと思う。母は、いつも優しく私に海の大切さを教えてくれた。私たちが住んでいた家は、海のすぐそばにあった。窓を開ければ、潮の香りが漂い、波の音が耳に心地よく届く。母は、よく私の手を引いて海辺を歩いた。その時間は、私にとって特別なひとときだった。


「瑠海、海は私たちの命そのものよ。命は海から生まれ、やがてまた海に還っていくの。」母はいつもそう言っていた。その言葉が何を意味するのか、幼い私には分からなかったけれど、母が海を深く愛していることだけは、感じ取れていた。母にとって、海はただの自然の一部ではなく、もっと特別な存在だった。


母が私に託してくれたペンダントは、小さな貝殻の形をしていて、海のような青い光を放っていた。母は、それを「海の守り」と呼んでいた。そのペンダントには何か特別な力があるように思えたけれど、母は「その意味は、いつかあなた自身が理解する時が来るわ」としか教えてくれなかった。私はただ、母が大切にしていたものだからという理由で、ペンダントを大事に持ち続けていた。


でも、母が私に教えてくれたことの中で、何かを隠しているような気配がいつもあった。母は私を心から愛してくれたし、私はそれを感じていた。でも、母は時々、遠くを見つめるような瞳をしていた。特に海を見ている時、その瞳は何かを懐かしむようで、同時に少し悲しげだった。私は、母が一体何を見ているのか知りたかったけれど、尋ねる勇気はなかった。


母は私に海の伝説を話してくれた。「ケートス」という海の精霊の話だ。母は、その物語をまるで現実のことのように話した。ケートスは、海の神様のような存在で、この島の均衡を保っている――そんな伝説だ。子どもの頃の私は、ただの物語だと思っていた。でも、母の話し方にはどこか現実味があり、いつしかその話が私の心に深く刻まれていた。


「ケートスは、この島を守るために存在しているの。そして、いつかその力を受け継ぐ者が現れるのよ。」母はそう言っていた。その時は、まさかそれが私のことを指しているとは思ってもみなかった。ただの伝説だと信じていたからだ。


母は、私が成長するにつれて、ますますその瞳に悲しみを宿すようになった。それでも、私への愛情は変わらなかったし、彼女はいつも私を優しく包み込んでくれた。だが、私が中学生になった頃、母は突然体調を崩した。病院に行っても、原因は分からないままだった。そして、その数年後、母は静かにこの世を去った。


母の死は、私にとって大きな喪失だった。彼女がいなくなった後、私は海に行くたびに、彼女の存在を感じた。まるで海の波が、母の声を運んでいるかのように思えた。母の言葉――「命は海から生まれ、やがてまた海に還る」という言葉が、深く胸に響いた。


その後も、私は母が残してくれたペンダントを大切にしていた。でも、母が何を伝えたかったのか、彼女が本当に何を見つめていたのかは、まだ私には分からなかった。


そして、あの日が訪れた。凪――彼が岬で海に溺れかけた時、私はとっさに彼を助けるために飛び込んだ。波が大きく打ち寄せ、彼の小さな体が海に飲まれていくのを見て、私の体は自然に動いた。その瞬間、海が私に何かを囁いているのを感じた。まるで、私が何をすべきかを知っているかのように、自然に彼を救った。


そして、その時気づいた。私はただの人間ではない――私には、ケートスの力が宿っているのだと。


母が話していた伝説は、ただの物語ではなかった。ケートスは実在し、その力が私に受け継がれていたのだ。凪を救ったことで、その力が完全に目覚めた。そして、私はその力を受け入れる運命にあった。母が私に託してくれたペンダントは、その象徴だったのだ。


それから私は、自分の運命を理解し始めた。私が凪を助けたことで、私はケートスの力を完全に受け入れることになり、この世から消える運命を背負うことになった。母が私にペンダントを託したのは、そのことを知っていたからだったのかもしれない。


「海は命を与えると同時に、奪う力も持っているわ。その力を理解し、受け入れることができる者だけが、海と共に生きられるの。」母がそう言っていたのは、この運命を示していたのだろう。


私は、凪を救うために自分の運命を捧げることを決めた。それが私に課せられた役目だったから。そして、彼がこれからどんな道を選ぶにせよ、私はその決断を受け入れる。


母の言葉、彼女の想い、そしてケートスの力――すべてが今、私の中にある。私はそのすべてを背負い、凪と共に新しい未来を歩むための道を選ぶ。

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