if XIX
夏休みも半ばを過ぎ、暑さがピークを迎えた。僕たちはそれぞれの日常を送りながらも、心の中では岬での出来事が常に引っかかっていた。特に瑠海の姿が消えたあの日から、何もかもが元通りに見えながらも、僕の世界はどこか空虚なままだった。
斉藤と高梨、綿津見くんも同じだった。僕たちは時々会って、何気ない会話を交わしたが、どこかしらぎこちなさが残っていた。何か大事なことを言い残したまま、進むべき道が見えないまま、ただ時間だけが過ぎているような感覚が続いていた。
「なあ、綿津見。最近、どんな感じ?」斉藤がある日の夕方、ふと声をかけた。
「まあ、普段通りさ。」綿津見くんは短く答えたが、その表情はどこか考え込んでいるようだった。
「岬でのこと……やっぱり忘れられないよな。」僕が言うと、全員が黙り込んだ。
「そうだな……でも、瑠海のこと、僕らはもうどうすることもできないのかな?」高梨がぽつりと呟いた。
その問いに対して、誰もすぐには答えられなかった。僕たち全員が心の中で、あの時瑠海を助けるために何かできたんじゃないか、まだ方法が残っているんじゃないかと考えていた。けれど、確信が持てるものは何一つなく、ただ空虚感だけが残った。
***
その後の数日間、僕は自転車で島をあちこち巡りながら、静かに思索にふけっていた。岬のこと、ケートスのこと、そして何より瑠海のことが頭から離れなかった。彼女は本当に消えてしまったのか? それとも、まだ僕たちの手の届く場所にいるのか?
ある日、僕はふと岬に向かってペダルを漕ぎ始めた。何かを期待しているわけじゃなかったが、ただその場所に行かずにはいられなかった。
岬に着くと、海風が吹き抜け、広がる青い海が僕を迎えてくれた。しかし、その美しい風景も、今の僕には何か物足りないように感じられた。
「瑠海……」
静かにその名前を口にした瞬間、僕の胸の奥で何かが揺れた。彼女の笑顔、声、そしてあの岬での出来事が鮮明に蘇ってくる。彼女をこのまま忘れてしまうことは、どうしてもできなかった。
「どうすればいいんだ……」
僕はその場に座り込み、静かに海を見つめた。風が優しく吹き抜け、まるで僕の問いかけに応じているかのようだった。
***
夏休みは少しずつ終わりに近づいていた。僕たちは再び岬に集まることを決めた。今度は、何か決定的なことを知るために、もう一度集まろうという共通の意識があった。
「もうすぐ夏も終わるんだな。」高梨が言った。
「そうだな。何も解決してないけど……でも、まだ何か残ってる気がする。」斉藤が遠くを見つめながら答えた。
「僕もそう思う。まだ終わってない。きっと、何かが起こるんだ。」僕は静かに答えた。
その日は特に何も起こらなかったが、僕たちの心には何かが揺れ始めていた。瑠海と再び会えるかもしれないという淡い希望と、同時にその期待が裏切られるかもしれないという恐れ――それが僕たちを静かに揺さぶっていた。
***
そして、夏休み最終日が迫っていた。
この数日、綿津見くんは少し距離を置いているように見えた。彼はいつも通り優しくて穏やかな態度を保っていたが、どこかで何かを隠しているような気配を僕は感じ取っていた。
「綿津見くん、何か隠していることがあるんじゃないか?」僕はある日、思い切って彼に声をかけた。
彼は少し戸惑ったような表情を見せたが、やがて静かに頷いた。「ああ、凪。実は……話さなければならないことがあるんだ。ずっと迷っていたけれど、今日こそ君に伝えなければならないと思ってる。」
「何のことだ?」僕は彼に問いかけた。
綿津見くんは少し遠くを見つめながら言葉を選ぶようにしていた。そして、彼がゆっくりと口を開いた。
「瑠海のことだ。彼女がこの島に来た理由……それは君を助けたことによるものだった。君が小さい頃に岬で溺れたとき、彼女は君を救うために現れた。その代償として、彼女はこの世の均衡を保つためにケートスの力を受け継ぎ、この世から消えてしまう運命にあるんだ。」
その言葉に僕は驚きと困惑を隠せなかった。「そんな……それじゃあ、瑠海は最初から……?」
「そうだ。彼女はその運命を知りながら、君を助けたんだ。彼女は君を愛していた。そして、それが彼女の選択だった。」綿津見くんの声は穏やかだったが、どこか悲しげな響きがあった。
僕はその言葉を噛み締めながら、彼女のことを思い出していた。あの日、彼女が僕に見せた笑顔は、そんなにも深い決意に満ちたものだったのか。
「でも、なぜ君がそのことを知っているんだ?」僕は不思議に思って問いかけた。
綿津見くんは静かに続けた。「実は、僕もこの島の運命に深く関わっている存在なんだ。この島は、昔から自然や海、そして星々の力で守られてきた。僕はその均衡を保つための存在なんだ。だから、瑠海のことも知っていたし、君がこの島に戻ってくることも分かっていた。」
その告白に僕は言葉を失った。綿津見くんがこの島の守護者のような存在であること、そして彼が僕や瑠海の運命を知っていたこと――すべてが繋がり始めた。
「それじゃあ、君は僕たちのことをずっと見守っていたんだな……」僕はぽつりと呟いた。
「そうだ。君が瑠海とどう向き合うかを見ていた。そして、君に伝えなければならないことがある。」綿津見くんは僕をまっすぐ見つめて言った。
「何だ……?」
「もし、君が本当に瑠海と一緒にいたいと思うなら、そのための方法がある。ただし、それには大きな代償が伴う。それは、この世界の均衡を崩すことになるかもしれない。そして、僕自身が消えるかもしれないんだ。」
その言葉に僕は動揺した。「君が……消える?」
「そうだ。僕はこの島の神様のような存在だ。もし君と瑠海がこの世界で一緒になるなら、その均衡が崩れてしまうかもしれない。そして僕は、消えるだろう。」
僕はその言葉を聞いて混乱した。綿津見くんが消えるなんて、そんなことを想像することすらできなかった。
「でも、どうしてそこまでして僕たちを……?」僕は彼に問いかけた。
綿津見くんは微笑んだ。「君たちが幸せになることが、僕にとっても一番の願いだからさ。もし並行世界に君たちを飛ばすことができれば、君たちはそこで一緒に暮らすことができる。僕はこの島の均衡を保つために消えるが、君たちは新しい世界でやり直せるんだ。」
僕は綿津見くんの言葉に動揺していた。彼が消えてしまうかもしれないという事実に、どう向き合えばいいのか分からなかった。彼は僕たちを見守ってきてくれた存在であり、僕たちのためにすべてを捧げる覚悟を持っている。それなのに、僕たちが幸せになるために、彼を失うなんて考えたくもなかった。
「綿津見くん……本当に、それしか方法はないのか?」僕は必死に彼に問いかけた。
「残念ながら、それが唯一の道なんだ。君と瑠海がこの世界で一緒になることは、この島の均衡を崩してしまう。だが、並行世界――ifの世界に君たちを送り出すことで、その均衡を保つことができる。君たちはそこで新たな人生を始めることができるが、僕はこの世界での存在を失うことになる。」
その言葉に僕は胸が苦しくなった。「でも、それじゃ君が……」
綿津見くんは静かに首を振った。「大丈夫だ、凪。僕はこれが僕の役目だと思っている。君と瑠海が一緒にいるためには、この選択が必要なんだ。僕もこの島と共に存在してきた者として、その使命を果たす時が来たんだよ。」
僕は何も言えず、ただ彼の顔を見つめた。彼の目には、決意と穏やかさが宿っていた。それが彼の本当の想いであり、覚悟なのだと感じた。
「凪、君が選ぶべき道は明らかだ。僕たちが出会ったのも、この運命を迎えるためだったんだ。」綿津見くんは静かに続けた。
僕は頭の中で何度も考えた。瑠海を取り戻すために、僕は何を選ぶべきなのか。彼女と一緒にいるためには、綿津見くんが消えてしまうのだろうか?
その時、ふと瑠海との思い出がよみがえった。小さい頃、彼女が僕を助けてくれたあの瞬間から、すべてが始まっていた。彼女はずっと僕のそばにいてくれて、僕を守り続けてくれた。それでも、彼女は僕にそのことを告げず、ただ僕を見守っていた。
「瑠海は……どうして僕に何も言わなかったんだ?」僕は綿津見くんに尋ねた。
「彼女は、君が知ることでこの世界の均衡が崩れることを恐れていたんだ。彼女がケートスの力を引き継いだことを君に伝えると、運命が確定し、すべてが終わってしまう可能性があったからね。それが彼女の苦しみでもあった。」
その言葉に僕は胸が痛くなった。瑠海がずっと一人で抱えていた運命――それを僕が理解しなければならない時が来たのだ。
「凪、決めるのは君だ。君がどうするかで、この先の未来が決まる。瑠海と一緒に新しい世界で生きるのか、今この現実を受け入れるのか。」綿津見くんの声が静かに響いた。
僕はしばらく沈黙していたが、やがて静かに口を開いた。「分かった……僕は瑠海と一緒に生きたい。彼女が選んだ道を尊重し、僕もその選択をする。」
綿津見くんは穏やかに微笑んだ。「それが君の選択か。分かった。では、準備をしよう。」
綿津見くんは静かに言い、僕たちは彼の言葉を受け止めた。周囲の風景がいつもと変わらず、静かな夏の終わりを告げているかのようだったが、僕たちの心はこれから迎える運命に向かって大きく揺れていた。
これで全てが変わる。瑠海との未来を選び、綿津見くんの提案を受け入れることで、僕は彼女と一緒に新しい道を歩むことになる――
その覚悟を決める時間が、今ここに迫っているのだ。
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