閉じた宇宙を開くとき⑥
初めに動いたのはスコーピウスだ。
「っ!」
ルイテンは目を見張る。ルイテンの視界から、一瞬にしてスコーピウスの姿が消えたのだ。
ファミラナは歯を食いしばる。体を反転させ、ルイテンの背後に向かって
ガツンと、音が響く。
「やはり、ついてこれるようだね」
ルイテンの背後には、スコーピウスがいた。
まるで瞬間移動のように現れ、刃を振り下ろしていた。
ファミラナはそれを、
ルイテンの目では、それを捉えることができなかった。肌が粟立つ。
「ルイ、あの子をお願い」
ファミラナはルイテンに声をかける。
ルイテンは頷き、ヴィオレを見た。
「あはは、面白ーい。私に勝てると思ってるのー?」
ヴィオレはルイテンを見て笑う。
「逃げ道は塞がれてるのにー」
ルイテンは、鳥籠のように広がった稲妻を見る。
本物の稲妻であれば、一瞬で消え去ってしまうはず。それが絶えず維持されているのは、ヴィオレの不可思議な力によるところだろう。
となれば、一瞬でも集中力を削げば、稲妻は消えるのではないか。
「クロエ、下がって」
ルイテンはクロエに指示を出す。クロエは頷き、ネクタルを抱えてルイテンから離れた。
ルイテンは拳をかまえる。腰を落とし、臨戦態勢となる。
「……その目、嫌いだなぁ……」
ヴィオレは呟く。
ヴィオレを中心に風が吹く。それは光を巻き上げ渦を巻く。
「抗ったらどうにかなると信じてる、その目。君には似合わないよ。君はさ、自信なんてなさそうに、うじうじしてるのがお似合いなんだよ」
ヴィオレは片手を突き出す。それに従うかのように、光を纏った突風がルイテンに襲いかかった。
真正面からぶつかるそれに対し、ルイテンは顔の前に両腕を掲げ、身を守る。だが、軽い体は簡単に煽られて、踏ん張る両足は後方へと滑る。
「ぐ、ぅ」
ルイテンは横っ飛びして突風から逃げ出すと、ヴィオレに向かって駆けた。距離を詰め、拳を振りかざす。
ヴィオレは宙にガラスを生み出した。ルイテンの拳は、割れないガラスに阻まれる。
右、左、繰り返し拳を繰り出すが、次々現れるガラスのバリアに、そのどれもが阻まれる。
拳を引き、回し蹴りを繰り出せば、それさえも阻まれてしまった。
「今度はこっちからいくよー!」
ヴィオレは声をあげる。
ルイテンの目の前に、ぷかりとシャボン玉が浮かぶ。それはみるみるうちに大きくなり、そして弾けた。
バチンと音がした瞬間、ルイテンは弾き飛ばされた。体は二転三転と床を転がり、背中を鳥籠にぶつける。
途端に、耐え難い痛みが体中を駆け巡った。
「あぐっ……!」
ルイテンの体は強ばり、ぱたりと床に倒れた。痛みはほんの一瞬だったがあまりに強烈で、髪が焦げた不快なニオイが鼻を突き刺す。
「ルイ……!」
クロエはたまらずルイテンに駆け寄る。肩に手を触れると、ルイテンは鋭い悲鳴をあげた。肌が焦げているのだ。
「ルイ!」
ファミラナはそれを横目で見る。たまらず声をあげるが。
「よそ見していていいのかい?」
スコーピウスの声が、耳元で聞こえた。
ファミラナは飛びずさる。一瞬遅れて、エストックが空間を貫いた。刹那でも遅ければ、ファミラナの体は貫かれていただろう。
スコーピウスは、ファミラナを休ませてくれない。縦に、横に、猛速度の見えない刺突を繰り出してくる。
ファミラナは
ファミラナは防戦しつつ考える。スコーピウスの弱点は何か。
考えついたのは、歓楽の魔女の存在。
『止めさせなさい!』
『でないと、寒い思いをしますよ』
ファミラナの
スコーピウスの刃が、ファミラナの頬を傷付ける。焼けるような痛みにファミラナは顔を顰めた。
だが、テレパシーを止めない。
『これを止めさせなさい。スコーピウスに、止めろと。言いなさい!』
だがヴィオレは何処吹く風で。寒気など微塵も感じていないかのように、笑って首をこてんと傾げた。
『私には、寒気なんて効かないよ。
あなたの
ファミラナは目を見開く。
ヴィオレの声が、寒気を伴って頭に響く。自分の
見えない刃が振り下ろされる。それはファミラナの胸を袈裟斬りにした。
「あぁぁあ!」
ファミラナは堪らず叫ぶ。あまりの痛みにくずおれた。体中汗が滲むのに、傷口は灼熱のように痛いのに、体は冷たくて仕方ない。
どくどくと流れる鮮血が床に落ちる。それをどうにか止めようと、左手で強く傷口を押さえた。
「ファミラナさん!」
クロエが声をあげる。
ルイテンも、クロエも、立ち上がれない程に傷を受けてしまった。
「さて」
スコーピウスは、エストックの切っ先をファミラナに向ける。今にも突き刺さんと、ファミラナに迫る。
ファミラナは歯を食いしばって、力を振り絞る。
「お願い、殺さないで!」
ファミラナに覆い被さるように、
クロエが、ファミラナの体にしがみついたのだ。
「お願いです……二人を殺さないで……お願い……」
スコーピウスは足を止める。ファミラナとルイテン、そしてクロエから目を離し、ヴィオレに顔を向けた。
「如何なさいますか」
「烏はいらない。魔女と鯨の子さえいれば、私はそれでいいよ」
ヴィオレはファミラナに興味がないらしく、そう言ってルイテンに近付いた。
ルイテンの体は未だ動かず。しかし、意識ははっきりとしていた。
ルイテンは先程、咄嗟の判断でクロエに指示を出した。ファミラナのところに行って庇うように頼んだのだ。
だが間違いだったかもしれないと、ルイテンは不安に思った。
「私ねー、あなたのことはお気に入りだけど、食べることはできないんだよねー」
ルイテンの目の前に、ヴィオレが屈む。赤い瞳でルイテンの顔を覗き込み、口元には薄く笑みを浮かべた。
「だってー、シェダルのお願い事が、お姉さんを生き返らせることなんだものー。ヒトを生き返らせるには、代償が必要なんだよー」
ルイテンは笑う。
シェダルは、ルイテンの母であるミラ・オルバースを、生き返らせたいのだと言う。方法などルイテンにはわからないが、どうやら、ルイテンを代償にして生き返らせるつもりらしい。
つまり自分は、教団にいれば殺されてしまうのだ。
「ドラスだっけ。あの子も何かお願い事してた気がするけど……まーいいや。あんなゴツい男、私の趣味じゃないしー」
ヴィオレはルイテンに手を伸ばす。焼け爛れた顔に触れ、傷口を指先でなぞる。爪が肉に引っ掛かる痛みに、ルイテンは呻いた。
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