閉じた宇宙を開くとき⑤

「ルイ、下がって!」


 ファミラナが、スコーピウスと対峙していた。

 彼女の足元には、気を失ったメイドが転がっている。

 ルイテンはそのメイドに見覚えがあった。最初にこの屋敷へ忍び込んだ時、贖罪のためにイーズを呼びに来たメイドではなかったか。


 他人を守りながらの戦闘は、動きが制限されてしまう。ファミラナは、メイドを守りながら戦っていたようだ。彼女の腕にも、脚にも、刃物による裂傷が刻まれている。


「それが、かつて私を討ち取った者の姿かい?」


 スコーピウスはファミラナに問う。ファミラナは唇を噛み、次の一手をどのように動くか思案している。

 輝術による怯ませはファミラナの十八番だが、今回ばかりは使えない。スコーピウスとは、五年前に死闘を繰り広げた。その際に、手の内は相手に知れてしまっている。

 そのことも、戦闘を困難にしている理由の一つであった。


「やーっと追いついたー」


 ルイテンの背後で声が聞こえた。振り返れば、背後にはヴィオレが立っていた。

 ルイテンは背後から、ファミラナは前方から。敵に囲まれてしまい、身動きが取れない。


 ファミラナの周りに光が舞う。

 ルイテンはそれを見て、すかさず歌い始めた。


 誰に向けてのものかはわからない。だが、ファミラナはテレパシーを送ろうとしている。

 それを誤魔化すためには、自分の輝術を盾にするべきだと、そう考えた。


「あかいめだまのサソリ……」


 掠れた声で一小節を歌い終わらないうちに、スコーピウスが腕を突き出した。握られているのはエストック、刀身が長く細い剣であった。

 ファミラナは長棍でそれを防ぐ。途端に辺りを舞う光は地に落ちた。


「全く、愚かだね。観取かんしゅの歌で逃げようだなんて」


 スコーピウスはくつくつと笑う。

 ファミラナは何も言わない。ルイテンが歌った理由を、ファミラナは理解している。

 そして、自分の要求を通すには、時間がかかるということも。


「スコーピウスさん、あなたの本当の狙いは何ですか。

 五年前、エウレカに手を貸したのは、あなたの本意ではなかったんでしょう。あの時言ったらしいじゃないですか。エウレカ自身には、さして興味がないと」


 ファミラナは問う。

 ルイテンには全く理解できない内容であった。だが、自分が口を挟むことはしない。今は、ファミラナに時間稼ぎをしてもらえるだけでいい。何を話しているのかなど、理解する必要はないのだから。

 

 スコーピウスは、待ってましたとばかりに両手を広げて語り始めた。


「そうだよ。私は、エウレカなどという前時代の姫には興味がない。なら、何故、五年前にエウレカへ手を貸したのか?

 それはね、ここにおわす御方、歓楽の魔女・ヴィオレ様のためなのだよ」


 ヴィオレは、ルイテンの目の前を横切り、スコーピウスに向かっていく。そしてスコーピウスの手を取り微笑み、彼の隣に立った。


「その子のため……?」


 ファミラナは首を捻る。容姿は、自分より遥かに年下のように見えるヴィオレ。その実、千年を生きる魔女だとは、ファミラナは考えつかないのだ。

 だが、続くヴィオレの言葉は、スコーピウスの発言を裏付けるものであった。


「スコーピウスが法王になったその日、『喜びの教え』に誘ったの。だいたい十年前くらいかなー。それ以来、スコーピウスは私の望み通り動いてくれたよー。

 でも、エウレカ様は、結局スピカのせいで、世界を滅ぼすこと諦めちゃったじゃない。つまんなーい。ほんっと、くだんなーい。

 だからね、死にかけのスコーピウスを拾い直して、もう一度働いてもらうことにしたんだー」


 ヴィオレはケタケタ笑っている。何がおかしいのか。それとも、おかしくもないのに笑ってみせているのか。ルイテンにはわからない。


「じゃあ、彼女を……ネクタルさんを攫った理由は何なんですか」


 ファミラナはちらりとメイドを見遣る。

 その視線で、ルイテンは理解した。横たわり、意識を手放しているメイド。彼女こそ、現法王のネクタル・サダルメリク。給仕を司る水瓶の大賢人であるために、この屋敷ではメイドとして扱われていたのだ。

 ヴィオレは途端に表情を変える。こればかりは、ヴィオレの計画には含まれていなかったことだろう。現に、以前屋敷に忍び込んだ際は、ネクタルのことでスコーピウスをなじっていた。


「それは知らなーい。おおかた、幼馴染で元恋人だから情が残ってたんじゃないのー?」


 ファミラナは目を丸くする。その情報は初耳であった。

 スコーピウスは、見たことないほどに動揺していた。慌ててヴィオレの正面に跪く。


「情があったことは事実ですが、過去の者です。今や私の心は、あなたのためにあります」


 猫なで声で語るスコーピウスの手を、ヴィオレは払い除けた。


「知らない。言ったよね。ネクタルを連れて来たその日から、あなたは私のお気に入りじゃなくなったの」


 スコーピウスはきっと、ヴィオレの魅惑に支配されているに違いない。それにも関わらず、ヴィオレはスコーピウスを突き放す。それはきっと、身を切られる思いだ。打ちひしがれたスコーピウスの顔が、それを物語っていた。


「ほんっと、くだらない。恋とか愛とかくだらない。私はそういうのが大嫌いなの、知ってるよね?」


「……存じております」


「なら、わかるよね。ちゃんと成果を出さないと、見限るって……」


 スコーピウスは立ち上がる。

 その身に光を纏わせながら、ファミラナを睨み付けた。


誅伐ちゅうばつの賢者。我が家はスコーピウス・アンタレス……」


「ルイ、クロエちゃん、逃げて」


 ファミラナが振り向きざまに言う。床に転がるネクタルの体を持ち上げて、ルイテンに押し付けた。


「ネクタルさんも連れて行って。お願い」


「でも、ファミラナさんは……」


 クロエが言う。しかしファミラナは首を振って、スコーピウスに向き直った。


「時間稼ぎならできるから。早く」


 長棍ちょうこんを握りしめる。

 時間稼ぎならできると、ファミラナはそう言った。それはつまり、勝てるという確証はないということ。

 それに、ルイテンは知っているのだ。スコーピウスだけではなく、ヴィオレも危険だと。

 信用していないわけではないが、考えればわかること。おかしな技巧で常識はずれなことをやってのけるヴィオレに、ファミラナが太刀打ちできるとは思えなかった。


「クロエ、逃げて」


 ルイテンはクロエに耳打ちする。クロエは目を丸くした。


「残って戦うつもり?」


 ルイテンは頷く。

 クロエを一人で逃がすことは不安だが、二人で逃げたとしてもそれは同じ。ならば、強敵となり得るヴィオレの足止めをした方が、クロエが助かる可能性は上がるだろうと考えた。

 だが、クロエは一人で逃げることを良しとしない。


「私だって、ルイを置いて逃げられない」


此方こなたも後から行く。信じて逃げて」


 小声で話す二人に対し、ヴィオレはふっと笑った。


「楽しそうな話してるねー。私もまぜてよー」


 ヴィオレは人差し指を天に突き上げる。その指先から、いくつもの稲妻が発生した。

 空気を引き裂く鋭い音に、一同はたまらず耳をふさぐ。そのために、皆逃げ遅れてしまった。


 稲妻は四方八方に飛び散り、ホールを取り囲む。やがて出来上がったのは、雷による鳥籠であった。

 その中にいるのは、ルイテンとクロエ、そしてファミラナ。対峙するのはスコーピウスとヴィオレ。

 まるでコロシアムだ。


「さぁ、始めようよ!」


 ヴィオレは高らかに戦闘の開始を告げる。

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