閉じた宇宙を開くとき④
ルイテンはヴィオレに手を引かれるまま寝室へと向かう。
屋敷のかつての持ち主が、その部屋で就寝していたのだろう。
最低限のテーブルと椅子。そして空っぽのワードローブ。広い部屋であるのに、家具はとても少なかった。
部屋の中心に、キングサイズのベッド。それを囲む数人の男女。彼らは一様にベッドに向かって祈りを捧げていたが、ヴィオレが部屋に入ってくると一斉に彼女に顔を向けた。
男性も女性も、まるで恋焦がれるかのような蕩けた顔で、ヴィオレに手を伸ばしている。
ルイテンは片腕で隠した顔を顰めては、じくじくと痛む肌に呻きをもらす。
「みんな、いい子にしてたー?」
ヴィオレは彼らに向けて、あやすように声をかける。ヴィオレが、正面に跪く男性の頭を撫でてやると、周りの信者は恨めしそうにそれを見る。
異様な空間。その気味悪さに、ルイテンは吐き気を催した。せりあがってくるそれを無理やり飲み下し、黙ってヴィオレの背中に隠れ縮こまる。
「今日はねー、みんなに新しいお友達を紹介しようと思うのー」
ヴィオレはルイテンを部屋の中央へと引っ張った。火傷だらけの顔を見られることを嫌い、ルイテンは顔を伏せてしまう。抗議しようと口を開くが、荒れた喉からは瞑れた声しか出てこない。
「ルイテンっていうの。仲良くしてあげてねー」
ヴィオレは言う。しかし、仲良くなどできないことは明白だ。
ここにいる信者達は、皆が魔女であるヴィオレの魅惑に魅せられている。ヴィオレの「お気に入り」が増えたとなれば、個々に向けられる愛情が減ってしまうことは明白。そのため、彼らはきっと新参者を快く思わない。証拠に、彼らの目には嫉妬がありありと浮かんでいる。
ルイテンは身震いする。この中に自分が加えられる。魅惑の効かない自分が、だ。
「でも、悪い話ばかりじゃないと思うよー?」
ルイテンの恐怖を読み取ったヴィオレは、にんまりと笑ってルイテンに語り掛ける。
すっ……と。ヴィオレの指がベッドを指した。
ルイテンの視線はそちらに向かう。
ヒトが横たわっている。
「クロエ!」
ルイテンは駆け寄る。クロエの顔を覗き込み、無事を確かめる。
目は閉じられ、胸が小さく上下する。クロエは眠っていた。
クロエが無事であることには安堵したが、緊張は解かない。何故彼らはクロエを攫ったのか、理由が明かされていないからだ。
何故、教団員達はクロエに祈りを捧げていたのか。『喜びの教え』の教祖は、歓楽の魔女であるヴィオレのはずだ。
ルイテンは震える唇で、かすれた声で、ヴィオレに問いかけた。
「何で、クロエを攫ったの?」
ルイテンは尋ねる。
ヴィオレは笑う。
「この子が魔女だから」
そう言われたところで、ルイテンには理解ができない。魔女だから何だというのか。
そもそも、『喜びの教え』とは何なのか。
「『喜びの教え』って、一体何なの?」
ヴィオレはニヤリと笑って、ルイテンに迫る。
小柄なヴィオレの存在が、ルイテンにとっては巨大に見えた。そう錯覚してしまうほどの、威圧感があった。
「そもそも『喜びの教え』なんてないよー。ただ、私がみんなの願いを叶えてあげてるだけ」
言葉の意味が理解できず、ルイテンは口をぽかんと開けた。
「どういうこと……?」
そんなルイテンの間抜けさに、ヴィオレは少しばかり苛立った。
「だーかーらー、何でもできちゃう私がねー? みんなのお願い事を叶えてあげてるのー。ただし、見返りは貰うけどねー?」
ヴィオレは、ポーチの中から煌めく宝石を取り出した。それは星屑の結晶に似ているが、それよりもずっと透明度が高い。
赤、青、黄、白。色とりどりのそれらは、照明の光を受けて美しく煌めく。
「私ね、命が欲しいの。
魔女の寿命は千年。だから、千年を生きた私の体は、もうすぐダメになっちゃう。だからね、延命を繰り返してきた。ちょっとしたお願い事を叶えてあげる代わりに、そのヒトの命を貰うの。
命や魂を凝縮したら、宝石みたいになるんだよー。綺麗だよねー」
ルイテンは宝石から目が離せない。命を凝縮したという宝石の煌めきは、心を鷲掴みにして離してくれなかった。
それはまるで、夜空に浮かぶ星々のように、儚い美しさを纏っている。
ヴィオレは、そのうち一つを、なんの躊躇いもなく口に放り込んだ。
「えっ……?」
金平糖を噛み砕くかのように、ぽりぽりと音が聞こえる。やがて喉奥に落とし込むと、ヴィオレはこてんと首を傾げた。
「えっ……今、何を……」
ヴィオレの行動におぞましさを感じ、ルイテンは震えた。
なんの躊躇いもなく、ヒトの命を食したではないか。
「命を頂いて、糧にしてるんだよ」
ヴィオレは悪びれもせず、しかし残虐な行為であることは理解して、わざと厭らしく笑って見せた。
ルイテンは察した。
ここにいる教団員達は、ヴィオレのお気に入りと言った。つまり、常にヴィオレの手が届く場所にいる。
彼らは、ヴィオレの非常食なのだ。
自分のこともお気に入りだと、ヴィオレは言っていた。即ちそれは、ルイテン自身を食する目的で、そばに置きたいということか。
もしや、クロエのことも……? そう考え、ルイテンは震える。
ヴィオレは、ルイテンの頬を両手で挟む。目を逸らせないよう固定して、ルイテンの瞳を覗き込んだ。
「あなたは私のお気に入りなの。だから、あなたのお願い事、叶えてあげたいなー」
ルイテンは首を横に振る。
何か一言でも言葉をこぼしてしまえば、ヴィオレに食われてしまいそうで恐ろしかった。
「例えばー。そう、その中途半端な体、脱ぎ捨てたくない?」
ルイテンの胸中がざわついた。
「
ルイテンは呟く。
常に心の奥底にある、強い劣等感。それを指摘された。
「私なら、完璧な体になるように、弄ることもできるんだよ。
あなたが望む性別に……男にだって、女にだってしてあげられる。あなたは、どっちがいい?」
ルイテンは首を振る。唇を震わせ、答えられないでいる。自分の命が引き換えとはいえ、あんまり魅力的な申し出であったから。要るとも要らないとも、答えられなかった。
「
その時、背中に誰かがのしかかった。
「駄目だよ、ルイ」
ルイテンは、首だけを動かして後ろを見た。目を見開く。
クロエが、ルイテンの背中に抱き着いていた。
寝起きの目はぼんやりとルイテンを見つめ、呂律が回らないながらも言葉を発する。
「ルイは、自分の性別が男だったら、自分を愛せるの? 女だったら愛せるの?」
ルイテンは黙り込む。
「今、私がお話してるんだけどなー。大人しくおねんねしてなよー」
ヴィオレはクロエを睨みつける。クロエの体に黒い光がまとわりつく。
再び、クロエの目が閉じられた。
「クロエ。クロエ」
ルイテンは、クロエが倒れてしまわないよう抱きかかえ、その場に腰を下ろした。
クロエの肩を揺さぶる。頬を軽く叩く。どうにかして起こそうと声をかけた。
「ねぇ。さっきの、どう?」
ヴィオレがルイテンを見下ろしてくる。
魅力的な提案であったが、ルイテンの心は揺れていた。
今更、自分の性別を選んだところで、果たして満足できるものだろうか。心はどちらにも当てはまらないのだから、結局苦しむのではないだろうか。
「歌って」
クロエが小さく呟いた。
寝起きの子供のように。起こしてほしいと甘えるように。
ルイテンの腕を、強く握って離さない。
ルイテンは口を開いた。
「あかいめだまのサソリ……
ひろげたわしの翼……」
歌というには頼りない。掠れた声では響かない。
それでも辺りには光が舞い、触れ合った手を通してクロエにも染み渡る。
眠りの術は解け、クロエはぱっちりと目を覚ます。
「……おはよう」
クロエは、ルイテンを見つめて微笑んだ。ルイテンは、クロエの手を強く握って「おはよう」と返す。
「私は、ルイが好き」
クロエは語る。
「今のルイが、あるがままのあなたが好き。
あなたの頼りなさも、優柔不断なところも、でも一度決めたら曲げない頑固さも。
私は、今のルイのままがいいの」
ルイテンの瞳に涙が滲む。
思い出した。
クロエが船から落ちた時のこと。互いが抱える秘密について、語り合った時のこと。
クロエは、中途半端で化け物じみた自分の存在を、柔らかく受け止めてくれた。両性であることも、自認が無性であることも、ただ「そうなんだ」と言うだけで、まるく受け止めてくれたではないか。
そんなクロエが好きだから、大切だから、こんなところまで無理して突っ込んで来たのだった。敵の甘言に乗るなんて、クロエの想いを踏みにじるのと同じだ。
ルイテンは、ヴィオレを思いきり突き飛ばした。
「きゃっ!」
ヴィオレは尻餅をつく。直ぐ様周りのお気に入り達がヴィオレに寄り添った。
「クロエ、帰ろう!」
ルイテンはクロエの手を引いて走り出す。クロエは引かれるままに足を動かす。
ヴィオレの身を案じる教団員達は、ルイテンへと手を伸ばし襲いかかろうとする。その全員を蹴飛ばし、払い除けた。
部屋を横切り、扉を開けて、廊下へと飛び出す。夜の屋敷は人が少なく、廊下は静かであった。
「あの、ごめん、髪隠させて……」
焦っている状況でも、煌めく髪はどうしても気になってしまうようで、クロエはルイテンに向かってそう言う。手元に使えるものなどなく、ルイテンは上着のジャケットをクロエの頭に被せた。
背後から足音が聞こえる。
振り返れば、ヴィオレが無表情で歩いていた。
緩慢な足の動きだが、その一歩は大きく、走るかのような速度でルイテン達を追いかけてくる。
クロエは、ネグリジェに裸足という格好だ。上手く走れず転んでしまいそうになるが、必死に足を動かす。
ルイテンもクロエを引っ張って、真っ直ぐの廊下を駆け抜けた。
やがて辿り着いたのは玄関ホール。ルイテンは出口に向かおうとして、しかし立ち止まらざるを得なかった。
そこでは、戦闘が繰り広げられていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます