定められし宇宙項④
眠れない。
ルイテンは、天井にじっと目を向けて、眠れぬ夜を過ごしていた。
雪を巻き上げる風はガタガタと窓を揺らし、うるさいくらいに音を立てている。
おまけに、辺りには金色の光が漂っていた。
「眠れない……」
ルイテンは困り果て、上体を起こす。
散歩でもしようと、借り物のガウンを羽織って部屋を後にした。
金色の光は、ルイテンが動く度に、避けるかのように離れていく。まるでホタルのようだなと、ルイテンは思った。
借りたガウンは、丈が長すぎたようだ。床を擦りながら廊下を歩く。
一人では寂しいと思い、アヴィオールを誘おうと、彼が寝泊まりする客室へ入る。暖炉はまだパチパチと音を立てて燃えていた。
アヴィオールは床に倒れていた。片手はシーツを掴み、ベッドから引きずり下ろしている。まるで、ベッドに向かう途中で力尽きたかのような倒れ方だ。
ルイテンは慌ててアヴィオールへと近付いた。
「アヴィさん、大丈夫ですか?」
腰を下ろして声をかける。肩を軽く叩いてみたが、アヴィオールは目を覚まさない。
顔を見れば、彼は健やかに眠っていた。良い夢を見ているのか、口元には笑みを浮かべている。寝言が口から洩れているが、聞き取れるほど明瞭ではなかった。
ベッドに向かおうとしたが、眠気に抗えずに倒れてしまったのだろうと推測して、ルイテンは呆れた。
「アヴィさん、寝るならベッドで寝ないと。風邪引ますよ」
暖炉の薪は、明け方には燃え尽きる。そうなれば部屋は冷えてしまう。ルイテンは、床で寝るアヴィオールを気遣い、彼の肩を揺らす。だが、起きない。
大きな声で名前を呼んだり、頬を叩いたりしたが、アヴィオールはやはり目を覚まさなかった。
ルイテンは、アヴィオールを起こすことを諦めた。シーツと毛布を、アヴィオールの体にかけてやる。
ルイテンは、アヴィオールが泊まる客室を後にした。
白山は静かだ。
山の中であれば、本来なら夜行性の生き物達が歩き回る時間だ。動物が地面を踏みしめる音や、動物の鳴き声が聞こえてくるはず。
だが、白山では、そういった音が一切聞こえない。まるで、世界が寝静まったかのように。
「あっ」
リビングにやってきたルイテンは、窓の外を見て声をあげる。
雪のように白いフクロウが玄関ポーチにいた。腹這いになって倒れている。
ルイテンは慌てて玄関を開け、フクロウに近寄る。死んではいないかと不安に思いながら、フクロウの軽い体を抱き上げた。
フクロウは眠っていた。野生の個体だというのに、抱き上げられたことに気付かないほど、深い眠りについている。
ルイテンは首を傾げる。
「まるで、
ぽつりと呟いた。
この寒くて静かな世界の中、起きているのは自分だけ。この、ホタルのような美しい金色の光を見ているのは、自分だけ。
「眠りの賢者は、そういう呪いをかけられてしもうたからのう」
どこからとも無く、声が聞こえた。
誰の声かわからない。聞き覚えのない声だ。ルイテンは敵の存在を疑い、立ち上がって辺りを見回した。
「怖がるでない。取って食おうなどとは思っておらん」
否、一度だけ聞いたことがある声だ。
銀河鉄道の列車から落ちた時。謎のシルエットとペガサスに救われた時。その時の声だ。
「そのフクロウを離してやれ。いくら寝ているとはいえ、ヒトに抱かれた状態では苦しかろう」
ルイテンは言われ、フクロウを見下ろす。
確かにフクロウは、苦しそうに顔を顰めている。
「あ、ああ、ごめん」
ルイテンは、玄関ポーチの隅にフクロウを寝かせた。床を地面につけた、腹這いの状態で。フクロウの表情は柔らかなものになり、再び健やかな寝息を立て始めた。
「ヒトの子よ、
声に誘われ、ルイテンは足を踏み出す。
近くと言われても、声の出処はわからない。ルイテンは正面の開けた空間へと向かった。
足元には雪の絨毯。次から次に降り積る雪は、ふわふわと柔らかい。ルイテンは上空を見つめて、声の主を探す。
空から降り注ぐ星月の光が、雪の絨毯に跳ね返り、辺りは
次の瞬間、強風が辺りに吹き荒れた。
風は雪を巻きあげ、視界を白く塗りつぶしていく。ルイテンは思わず両腕で顔を覆った。
雪混じりの風はあまりに冷たく、ルイテンは体を震わせる。
やがて風が止むと、ルイテンの目の前には、居るはずのない存在が現れた。
現れたのは、
ルイテンの三倍の身長があろうかというその巨体は、二本の太く逞しい脚に支えられている。長い首の先にある頭は、マズルが長く
雲の中で見たシルエットと、酷似したその姿。間違いない。ルイテンは確信した。
「あなたは……」
ルイテンは深々と頭を下げる。
「あの時は、ありがとうございました」
目の前に現れた存在、竜は、ルイテンのその行動に対して笑う。カリオンのように高らかな声は、白山中に響き渡るかのようだ。
「覚えておったか」
竜はルイテンを見下ろして、慈しみのこもった目を向ける。
ルイテンは緊張のあまり体をかちこちに強ばらせてしまう。
竜はそれを「寒さのせい」と解釈したようだ。鬣を一本引き抜くと、両手で包み込んだ。
「やはり、この土地は眠っておる。光が集まらんではないか」
そう言葉をこぼしながらも、竜は一本の鬣に集中した。
両手から光が溢れる。その光は地面に降り注ぎ、一帯の雪を溶かし始めた。辺りに、春の日差しに似た温かさが広がる。
ルイテンは、その温かさを全身に感じてため息を洩らす。温かくて、心地好い。先程まで感じていた緊張さえ、溶けて消え去ってしまった。
「あの、あなたは……」
ルイテンは更に竜へ近付き、彼女に問いかける。
竜は笑顔を見せてこう言った。
「夜を駆けし竜・ニュクス。
ルイテンは口を開閉する。
自身も名乗るべきなのだとは理解しているが、竜を目の前にしてそれはできなかった。
それよりも、竜を目の前にして感じる、圧迫感と圧倒感。あまりに巨大で強大な存在に、ルイテンは何も言うことができなくなっていた。
「
ニュクスの瞳が煌めく。
途端に、ルイテンは目が逸らせなくなってしまった。
ヒトとはかけ離れた姿だというのに、ニュクスの姿を美しいと思った。
夜を映したかのような鱗が、星を落としたかのような瞳が、美しく煌めいてルイテンの目を眩ませる。夢見心地のルイテンから、思考力は奪われてしまう。
その鱗が欲しい。その瞳が欲しい
愛おしい。狂おしいほどに愛おしい。
今すぐに
そう思うほどに愛おしくてたまらない。
唐突に湧き出たこの感情が、おかしいものだと思うこともなく、ルイテンはニュクスへと手を伸ばす。
足先だっていい。触れたいのだ。
だが、自分が触れていいものか。恐れ多いではないか。
「それが、竜の魅惑よ」
ニュクスの瞳が、星のように煌めいた。
ルイテンは、そうすることが当たり前であるかのように、ニュクスの前に跪く。竜の顔を見あげて……
「オリオンは高くうたい……
つゆとしもとをおとす……」
ハッとした。
自分でも気付かないうちに、ルイテンは歌っていた。
歌に合わせて、ルイテンの周りを光が舞う。赤、青、黄の光が、歌に合わせてくるりと回る。
それを見て、自分の歌を聴いているうちに。
熱に浮かされた体が冷めるように。
感情の昂りが消えていく。
ルイテンは、ニュクスの顔を再度見た。
竜は、彼女は確かに美しい。
夜を映したかのような鱗も、星を落としたかのような瞳も、とても綺麗なものだ。
だが、改めて見てみれば、それ以上の感情は抱かない。
ルイテンは青ざめた。今の感情は、自分のものではない。恐ろしくてたまらず、ルイテンは震えた。
「あなたは……一体……」
ルイテンは歌を止める。顔には恐怖が浮かんでいた。
ニュクスは優しげな眼差しをして、困ったように笑う。
「ああ、
ニュクスの口から、そんな言葉が洩れた。
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