定められし宇宙項②

「先に手紙を貰おうか」


 シェラタンが片手を差し出してくる。

 ルイテンは鞄の中から封筒を取り出した。トラブルに巻き込まれ、乱暴に扱われたそれは、四隅がヨレてシワがついてしまっている。シェラタンに差し出すと、やはり良い顔はされなかった。手紙を受け取るシェラタンは、苦笑いをしていた。


 シェラタンは手紙を開封し、中から便箋を取り出す。それに目を通すと、片手で顎を撫で付けた。


「あー……なるほど、なるほど……」


 シェラタンは頷く。

 そして、ルイテンをじっと見つめた。


「うーん、説明したいところだけど、そうだねぇ……」


 シェラタンは呟く。

 その呟きに、ルイテンは眉を寄せた。何に対する説明なのか。手紙には、何が書かれていたのか。


「何にせよ、今日はもう休みなよ。こんな時間だし」


 シェラタンは壁掛け時計に目を向ける。その瞬間、家の形をした時計の小窓から、木彫りの鳩が飛び出した。鳩の鳴き声を真似た音を五回鳴らし、午後五時を知らせる。


「今日は泊まって行くでしょ?」


 シェラタンは、有無を言わせぬ口調で問いかける。

 ルイテンは控えめな性格故に遠慮しようと口を開く。両手を肩の高さに上げて、わたわたと振った。


「野宿は死ぬよ?」


 そんなルイテンに、シェラタンは呆れ顔でそう言った。

 窓を見る。屋外はいつの間にか薄暗く、びゅうびゅうと風切り音が聞こえてくる。

 アヴィオールはルイテンに笑いかけて提案した。


「甘えようよ。白山しらやまの夜は、出歩くのまずいしね」


「まずい、ですか?」


 ルイテンは首を傾げる。

 アヴィオールは呆れて笑ってこう言った。


「夜の視界が悪い雪山で迷ったら野垂れ死にだからね。あと……」


 言葉を途切れさせる。アヴィオールはシェラタンの顔を見上げた。

 シェラタンは肩をすくめる。


「夜は僕の輝術きじゅつが働くから、夜九時以降は寝室にいなきゃだめだよ」


 シェラタンの言葉は、ルイテンには理解ができない。

 だが、アヴィオールの指摘は理解できた。視界不良の中で迷ってしまったら凍死しかねない。

 ルイテンは頷く。今日は屋敷で休ませてもらって、明日話を聞けばいい。


「よろしくお願いします」


 ルイテンはシェラタンに頭を下げた。


「うん。そうと決まれば夕飯の準備をしなくちゃね」

 

 シェラタンの声は弾んでいる。客人が訪ねてきたことが嬉しいのだ。コーヒーが入ったマグカップを持ち上げると、応接室のドアを開ける。


「あ、そうだ。客室案内するからおいで」


 シェラタンはにっこりと笑ってそう言った。「コーヒーは自分で持って行ってね」と付け加えて。

 ルイテンとアヴィオールは、それぞれマグカップを手にして、応接室を後にした。


✧︎*。


 時刻は夜の八時半。ルイテンは、与えられた客室で就寝前の静かな時間を過ごしていた。

 ベッドに体を横たえて、両手両足を投げ出して、アイボリー色の天井を見上げる。


 昼間、ミモザから聞いた魔女の話。そして、列車内で聞いたドラスの話。その両方が頭の中でぐるぐると混ざりあっていく。

 情報の取捨選択をしていくだけのつもりだったが、どの情報にもクロエを関連づけて考えてしまう自分がいて、どうにも腹立たしい。


 暖炉では薪が萌えている。

 ぱきり、ぱきり、と。断続的な音が聞こえる。


 不意に、扉からノックの音が聞こえてきた。


「入っていいかな?」


 シェラタンの声だった。ルイテンは慌てて起き上がり、「どうぞ」と声をかける。ベッドから降りてソファへと移動した。

 シェラタンが部屋の中に入ってくる。彼はパジャマとナイトキャップを身に付けていた。手には盆が、その上には、ホットココアが入ったマグカップが二つと、マシュマロが山のように盛られた皿が一つ。

 就寝前になって自分に会いに来るとはどういうことだろうかと、ルイテンは不思議に思う。


 もしや、先程の会話の中で、失礼なことをしてしまったのではないだろうか。その考えに至り、ルイテンは唇を結んだ。


「君、鯨の子でしょ?」


 シェラタンが唐突に尋ねた。

 ルイテンは口をぽかんと開く。「鯨の子」という単語を理解することができなかったのだ。

 シェラタンは首を捻って再度問いかける。 


「あれ、違う? 君、オルバースって名乗ったよね」


 ルイテンは、開いた口を慌てて閉じる。そして再度名前を名乗った。


「はい。此方こなたは、ルイテン・オルバースといいます」


「じゃあやっぱり、ナレディさんのかぁ」


 シェラタンはパッと笑顔を浮かべた。

 一方ルイテンは、またも何を言われたのか理解ができず、きょとんとした顔をしてしまう。

 シェラタンは暖炉のそばに向かい、ローテーブルに盆を置いた。ソファに腰掛けて、向かい側にあるもう一つのソファを指し示し、ルイテンに座るよう促す。

 ルイテンは促されるままソファに座った。暖炉の前にある、ふかふか柔らかなソファ。体が沈み込む感覚が心地好い。


「あの、ナレディって誰ですか?」


 ルイテンは問いかける。先程の、シェラタンの発言についてだ。ヒトの名前だとはわかったが、どういう意図であの発言をしたのかはわからなかった。


「誰って、鯨の……観取せし賢者のナレド・オルバースだよ。てっきり君のお父さんかと思ったんだけど」


 シェラタンは、鉄串にマシュマロを刺してルイテンに差し出す。ルイテンは「へ?」と間の抜けた声を出して受け取った。

 もう一本、シェラタンはマシュマロを刺した鉄串を用意して、暖炉に先端を向ける。


「あの手紙には、鯨の一族について教えてほしいって書いてあったから、君、ナレディさんの娘じゃないの?」


 ルイテンは困惑した。

 確かに、鯨の一族についてよく知りたいと思っていたし、師匠のディフダも「牡羊の大賢人に会え」と言っていた。牡羊の大賢人は、きっと鯨の一族について詳しいだろうと期待したのも事実である。

 だが、何も知らないルイテンにとって、シェラタンの物言いは困ってしまった。ルイテンは自分の父親のことを何一つ知らないし、何より自分が女性と認識される理由もわからなかった。


此方こなたは、お父さんのこと、よく知らないです」


 つっけんどんな物言いだったかもしれない。ルイテンは頬をむっと膨らませて、シェラタンをじいっと見る。シェラタンは腑に落ちないといった様子で、マシュマロの焼き加減を確かめながら呟いた。


「あ、そうなんだ。ナレディさん、奥さんのミラさんとすごく仲良しだったから、当たり前のように知ってるものかと」


「ミラ……」


 母の名前だと思い当たり、ルイテンはその名を復唱する。決して珍しい名前ではないが、父らしき男の苗字を合わせると、母のフルネームと一致する。

 ミラ・オルバース。それが母の名前だ。


 シェラタンは炙ったマシュマロに齧り付く。頬が弛み、目が細められる。

 ルイテンは、それの真似をしようと、マシュマロが刺さった鉄串を暖炉に近付けた。 


「ナレディさんが亡くなって、ミラさんも君も行方不明になって、呪われた賢者である僕らは、本当に驚いたんだ。これも呪いの一つなのかって」


 マシュマロを頬張りながら、シェラタンは語る。まるで世間話をするかのような調子だ。

 だが、その言葉はルイテンの心に引っ掛かる。ミラ自分が行方不明とは、呪われた賢者とは、どういうことだ。


「あの、それってどういうことですか」


 ルイテンは問う。自分のことであるのに、自分は何一つ知らない。出会ったばかりのシェラタンが知っているなんてどういうことだ、そう思った。

 シェラタンは、哀れみがこもった瞳でルイテンを見つめる。


「もしかして君は……鯨の一族について、何も知らない?」


 ルイテンは頷く。


「知らないです……」


 居心地が悪い。暖炉に向けていた鉄串の先端が、だらりと下に向く。

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