定められし宇宙項

定められし宇宙項①

 ルイテンは、アヴィオールの白鳩に導かれ、ゆっくりと空を下りていた。

 列車から飛び降りた先、そこは真白の世界。

 雲を抜けてもなお白い。そして、空気は冷たかった。


「運がいいんだか、悪いんだか」


 アヴィオールは呟く。

 ルイテンは、眼下に広がる光景に身を震わせる。景色の大部分を占める真白は、紛れもなく雪であった。


白山しらやまだよ」


 アヴィオールに言われ、ルイテンは驚く。


白山しらやまって、此方こなた達が行く予定だった……?」


「そう。夢見の銀原ぎんばるへと至る道。季節を問わず、常に雪で覆われた山。それが白山だよ」


 ルイテンは、目を凝らして眼下を見る。

 確かにそれは山であった。積もりに積もった白い雪に、緑は覆い尽くされ全く見えない。木々は葉を全て落としてしまっており、代わりに枝には雪を抱えていた。

 時折動いているものが見える。上空からだと金平糖の粒程にしか見えないが、おそらく動物だろうと考えた。


 白鳩の守りを受け、二人の体はゆっくりと落ちていく。

 その間にもルイテンは体を冷やし、大きなくしゃみを一つした。


「さぶい、です……」


「もうちょっと我慢して」


 そうして、ようやく地面に両足を下ろした頃には、二人ともあまりの寒さに体をガタガタと震わせていた。


 ここは、夢見の銀原ぎんばる白山しらやまの頂上にある、雪の平野。

 その中央に、ぽつんと洋館が建っていた。まるで、その屋敷だけ取って付けたかのようだ。

 ルイテンは警戒したが、アヴィオールはその屋敷へ迷わず向かっていく。小走りしているものの、雪に足を取られて上手く進まない。

 ルイテンもまた、アヴィオールの背中を小走りに追いかけた。時々転びそうになりながら、しかし早く屋内に入りたくて気持ちが逸った。


 アヴィオールは、ドアノッカーに手を伸ばす。金属の冷たさに小さく悲鳴をあげる。二度、ドアにノッカーを打ち付けて音を鳴らした。


 然程待たない内に、屋敷の扉が開かれる。出てきたのは、スーツを着た長身の男性。この屋敷の使用人である。


「アヴィオール様! そんな薄着でここまでいらっしゃったのですか!」


「あはは……道中色々ありまして……くしっ」


 アヴィオールは使用人と顔見知りで、笑いを交えながら言葉を交わす。

 使用人は、ルイテンの存在に気付き顔を向ける。腰を折って頭を下げ、歓迎の意を示した。


「さあ、中へお入りください」


 使用人に促され、アヴィオールが屋敷の中に入る。ルイテンは躊躇ったが、寒さには抗えず、玄関で雪を払ってからおずおずと屋敷の中へと入る。

 屋外とはまるで異なり、屋敷の中は暖かかった。ルイテンは表情を崩し、いまだに震える唇から、ほうっと息を吐き出す。

 玄関で雪を落としたにも関わらず、靴の裏には僅かに残っていたらしい。溶けかけた雪が絨毯に染み込み、足跡を形作った。


「応接室にご案内しましょう」


 使用人は、二人を応接室へと案内する。アヴィオールは案内されるまま使用人の後について行く。

 一方ルイテンは、雪山の頂上にある屋敷が珍しくて、辺りを見回しながら、ゆっくりと廊下を歩く。

 窓の外に見えるのは、白い雪に白い空。暑く垂れ込めた雲からは、ちらちらと雪が舞い降りる。

 季節は春であるはず。にも関わらず、何故雪が常に地面を覆い隠しているのだろうか。


「雪が不思議?」


 突然声をかけられて、ルイテンは飛び上がりそうな程に驚いた。

 背後を振り返る。そこにいたのは、一人のサテュロス。

 細く柔らかな金の髪。くるりと巻いた二本の角。彼の顔は羊を思わせるかのように柔和であった。


「あ、あの……」


 ルイテンはしどろもどろとしながら口を開く。

 目の前のサテュロスは、微笑みを絶やさずに名を名乗る。


「シェラタン・イアーソン。眠りの賢者……牡羊の大賢人だよ」


 ルイテンは「あっ」と声をあげた。彼こそ、夢見の銀原ぎんばるの管理人。尋ねるべきもう一人の人物であったのだ。

 それと同時に、彼はこの屋敷の主でもある。それに気付くと、ルイテンは深々と頭を下げた。


「ルイテン・オルバースです」


「……オルバース……?」


 シェラタンは、ルイテンの名乗りを聞いて目を細める。

 ルイテンは顔を上げる。シェラタンの訝しむような視線とぶつかり、気まずさに肩を縮こませた。

 シェラタンは、自分がルイテンを睨みつけてしまっていることに気付き、ハッと我に返った。そして顔に微笑みを戻す。


「あ、ごめんね。

 スピカから話を聞いているよ。まさか、こんなに早く来るとは思っていなかったけどね。しかも、そんな薄着で」


 シェラタンに言われ、ルイテンは自分の姿を確認する。

 長袖のシャツにジーンズといったラフな服装。春であれば申し分ない格好であった。しかし、夢見の銀原ぎんばるは雪に覆われた土地である。麓から順当に登っていくには、今の服装は適さない。だから、そう指摘されたのだ。

 ルイテンは説明しようと口を開く。と、そこへ使用人が早足にやってきた。先程と同じ、男性の使用人である。


「シェラタン様。お客様。応接室へどうぞ」


「ああ、そうだね。もう一人来てたみたいだけど、アヴィオールかな?」


「はい。アヴィオール様は既に応接室へご案内いたしました」


「うん、ありがとう」


 シェラタンは言い、ルイテンに視線を戻す。片手で廊下を指し示すと、「行こっか」と声をかけてきた。ルイテンは頷く。

 使用人とは別れ、シェラタンが先導して廊下を進む。少し進んだ先に応接室。シェラタンは扉を開いて中へと入り、アヴィオールに声をかけた。


「久しぶりだね」


「シェラタンさん。お久しぶりです」


 ルイテンは、シェラタンに手招きされて応接室へと入った。

 部屋の中は、温かみのある暖色で整えられていた。

 赤茶の絨毯はふわふわと柔らかく、机を囲むように設置されたソファは座り心地が良さそうである。長ソファにはアヴィオールが座っており、シェラタンに向かって会釈をしていた。

 ルイテンの目を引いたのは、壁に埋め込まれた暖炉。赤い炎がパチパチと音を立てながら、薪を燃やし熱を発している。その様子は安心感をもたらし、ルイテンはほうっとため息をつく。


「ルイテン、ほら座って」


 シェラタンに促され、ルイテンは長ソファへと向かっていく。アヴィオールの隣が空いていたため、そこに腰掛けた。

 ややあって、使用人が応接室にやってきた。彼は三人分のコーヒーを机に並べると、一礼して応接室を後にした。

 先程と同じ使用人だ。


「あの……失礼ですが、使用人はお一人ですか?」


 ルイテンは不躾に問いかける。仮にもこの屋敷は大賢人の邸宅である。何人か使用人はいるものだと決めてかかっていた。


「そう。使用人は彼だけ」


 だが、シェラタンはそう言った。しかし、回答はそれだけだ。


「ていうか、君達、どうやってここに来たの?」


 シェラタンは首を傾げる。当然の疑問である。

 ルイテンは言葉を探して視線をさ迷わせるが、ルイテンが何かを言う前にアヴィオールが答えてしまった。


「ダクティロスからクラウディオスに向かうつもりだったんですが、列車で暴漢に襲われまして。突き落とされたんです」


 アヴィオールの話はあまりに突拍子がないもので、シェラタンは驚いて聞き返した。


「列車から? え、大丈夫?」


「はい、大丈夫です。僕には白鳩がいますから」


 アヴィオールはそう言って白鳩を呼び出す。白鳩は部屋を一周旋回すると、すぐに光の粒子となって霧散した。

 白鳩の効果は、シェラタンも理解しているようだった。彼はほうっと安堵の息を吐き出して、ソファに深く腰掛ける。

 同時に、二人が軽装で白山にやってきた理由も理解した。本来であれば白山は、登山の準備を整えてから挑むべき場所だ。それがないのは、準備できなかったからなのだと。


「でも、ちょうど良かったんです。僕ら、シェラタンさんに会いに行かなきゃならなかったので」


 アヴィオールは言う。その言葉を受け取ったシェラタンは暫し考え、すぐにその言葉を理解し、二度頷いた。


「ああ、なるほど。話は聞いているよ」


 ある程度の話は通っているらしい。ルイテンは、説明の手間が省けて安堵した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る