閉じたる事象の地平面⑤

 先に仕掛けたのはドラスであった。

 ドラスはハルバードを下から上へと振り上げる。柄の長いハルバードを防ぐため、レグルスは剣を盾代わりにして攻撃を防いだ。

 レグルスの両腕に衝撃が伝わった。両手が痺れ、レグルスは剣を落としてしまわぬよう強く握る。振り上げでこの威力だ。振り下ろされたら、たまったものではない。


「レグルス、引け!」


 そこへダガーナイフの雨が降り注ぐ。レグルスはハルバードを弾いて押し戻し、その場から飛び退いた。

 五本のダガーナイフは全て切っ先を下に向け、ドラスへと襲いかかる。だが、ドラスはその場から飛び退いて回避。ナイフは鋭い音を立てて地面へと落ちた。

 すかさずリュカは地面に飛び降り、ナイフを投擲する。ドラスはハルバードを横に薙ぎ、ナイフを叩き落とした。


「私はあの少年に対しては不利。レグルス、いける?」


 リュカはレグルスに耳打ちする。

 レグルスはニヤリと笑う。


「役不足じゃねぇの?」


 戦い慣れているであろう相手に、自分の剣がどこまで通用するかわからないが、レグルスはそう言って自分を鼓舞する。

 

 地面を蹴る。距離を詰め、剣を薙ぐ。

 ハルバードで防がれる。ドラスの方が力が強い。レグルスは押され、踵が地を滑る。


 そこへ、ナイフが投擲される。ドラスはレグルスから離れ、ナイフを避けるべく体を反転させる。


 レグルスはチャンスとばかりに剣を突き出した。

 だが、ドラスはそれを予期していた。ハルバードの柄で剣先を弾く。

 レグルスは続け様に剣を振るう。右から、左から、しかし、その全て弾かれてしまい、ドラスに傷をつけるどころか、剣先が掠めることすらない。


「ドラスー、まだー?」


 ドラスの背後では、歓楽の魔女がつまらなさそうに声をあげる。


「すんません。まだっす」


 ドラスはハルバードを振り下ろす。

 レグルスが飛び退いた次の瞬間、地面に斧がめり込んだ。石畳が砕け、陥没する。


「見てるだけなんてつまんない!」


 歓楽の魔女は声を張り上げた。

 その声は、癇癪を起こした子供のようであった。レグルスもリュカも、驚きから肩を跳ねさせる。

 一方アルゲディは舌打ちしていた。


「レグルス、歓楽の魔女がああなったら、すごいまずいよ」


 アルゲディは、蚊の鳴くような小さな声でそう呟いた。


「ドラス、どいて。私がやる」


 歓楽の魔女は、ドラスの巨体を押しのけて、レグルスと向かい合った。

 ドラスとシェダルは、魔女の背中を見てぎょっとする。


「だ、だめっすよ」


「乙女様、我々がやりますので、どうかお待ちください」


 二人は口々に魔女を止めるが、歓楽の魔女は首を振った。


「だって、魔女もスピカも逃げてるし。見てるだけなんてつまんないし。

 ていうかー、こんな雑魚、私がぱぱっとやっちゃった方が良くなーい?」


 歓楽の魔女は、くるりと指で円を描く。

 きらりと、黒い光が落ちた。


 突如、レグルスの足元から黒い大蛇が飛び出した。足をすくわれ、その場に尻餅をつく。

 影さえない真っ黒な大蛇。レグルスを簡単に飲み込んでしまえる程に太い体。それが、闇より黒い漆黒の目をレグルスに向けて、ギラリと光る牙をむき出しにしている。

 レグルスは直ぐ様立ち上がり、横一閃、剣を振るった。しかし、大蛇を斬ったにも関わらず、まるで手応えを感じない。


 大蛇の牙はレグルスに向かう。レグルスは、羽織っていた獅子皮のマントを広げ、身を包んだ。

 皮と牙、それがぶつかりあった瞬間、似つかわしくない金属音が鳴り響く。柔らかなマントは、まるで鉄のように牙を弾き返していた。

 大蛇の頭がくらりと揺れる。しかし、大蛇には痛覚がないらしい。再びレグルスへと牙を振り下ろす。

 レグルスはマントに身を包んだまま動かない。マントは再度牙を弾き返す。


 獅子の輝術きじゅつは、「輝術きじゅつの反射」である。弾き返すことができたということは、漆黒の大蛇は輝術きじゅつによって生み出されたものなのだろう。

 レグルスは、歓楽の魔女は「蛇を召喚する術」を使うと仮定した。

 しかし。


「あなたには、この子をあげるねー」


 歓楽の魔女は、続けて山猫を呼び出した。

 山猫と言うには、あまりに大きい。ヒトの背丈と同等の体躯、上顎から長く鋭く伸びる牙。凶悪な形相に、漆黒の体毛。

 それが、リュカに向かって飛びかかる。


 リュカはすんでのところで身を翻し、ナイフで漆黒の身体を斬りつける。

 手応えを感じない。山猫の腹を抉る瞬間を目にしたはずだ。だが、手には感触が残らない。

 リュカは狼狽えた。まるで理解ができなかった。


 輝術きじゅつとは、何でも自由に扱えるわけではない。

 一族に一つだけ伝わる、不可思議の技巧だ。レグルスであれば輝術きじゅつを跳ね返す、リュカなら首輪を追跡する、ただそれだけのことしかできない。


 それがどうだ。目の前で微笑む歓楽の魔女は、同時に二種の怪物を呼び出し、更にはまた別の術を繰り出そうとしている。


 歓楽の魔女は指を振る。その姿は、正に魔女であった。

 レグルスとリュカは、ほぼ同時に飛びずさる。次の瞬間、着火した星屑の結晶が二つ。宙から落ちてきた。

 爆発する。レグルスはマントで身を隠していたが、リュカは顔を覆った両腕に爆風を受け、火傷してしまった。


 これ以上戦うのはまずい。レグルスは判断した。


「アルゲディ、笛を!」


 レグルスは叫ぶ。

 アルゲディはびくりと肩を震わせた。


「さっさとしろ!」


「でも……」


 アルゲディはパンパイプを握っているものの、笛を吹くことを躊躇った。

 理由は察しがつく。


「スピカなら自分で何とかできる! それより、あいつらの足止めしねぇと!」


「ここからだと術の範囲内だ」


「わかってる! けど、クロエを奪われるわけにはいかねぇだろうが!」


 アルゲディは尚も躊躇う。

 それを見て、歓楽の魔女はケラケラと笑った。


「あっははは! 獅子の賢者君、わかっちゃったんだ?」


 レグルスは歓楽の魔女を睨む。

 その間も、蛇は尾を鞭のようにしならせ、レグルスに攻撃を加える。レグルスはマントに隠れたまま、反撃することができない。


「ねえ、いつ気付いたの?」


「全部推測だ。だけど、あんたもう千年生きてんだろ。なら、その体、もうガタがきてんじゃねぇのか」


 歓楽の魔女は肯定も否定もしない。

 ただ、くすくすと笑い続けている。


「シェダル、ドラス、お荷物じゃないってことを証明しなさい」


 歓楽の魔女の声は、無邪気なようでいて、ナイフのような鋭利さを帯びていた。

 歓楽の魔女は、爪先でこつんと地面を叩く。同時に、彼女を中心に甘ったるい匂いの煙が放たれ、辺りを覆い隠した。


「アルゲディ!」


「くそっ」


 アルゲディは意を決してパンパイプを口にあてがう。

 息を吹き込む。辺りには美しい音色が広がった。

 瞬間、レグルスとリュカは耐え難い恐怖に襲われた。心臓に、腹に、手を突き刺し握りつぶすかのような恐怖。脂汗が額に滲む。

 だが、それは長くは続かない。


「げほっ、げほっ」


 アルゲディが咳き込んだ。歓楽の魔女が放出する甘ったるい煙が、アルゲディの喉を封じたのだ。それは、星屑の結晶を燻した時に出る煙とよく似ていて、ワーウルフであるリュカの嗅覚も同時に封じてしまう。


「ぐっ」


「きゃあっ!」


 レグルスの横っ面がはたかれ、リュカは肩を殴られた。二人はその場に倒れてしまう。

 二頭の怪物は、その攻撃を最後に、闇に溶けて霧散した。

 

 煙が晴れた頃には、歓楽の魔女達は姿を消していた。

 クロエ達を追ったのだろうということは、想像に固くない。


「アルゲディ、お前は……!」


 レグルスはアルゲディの胸ぐらを掴み、咳き込み続ける彼の顔を睨め付ける。

 アルゲディは顔を歪ませていた。


 アルゲディの笛の音があれば、三人の足止めが十分にできていたかもしれない。足止めできていたと仮定するなら、その隙にリュカがクロエ達を追うこともできたかもしれない。

 それらは可能性の話でしかない。だが、少なくとも今のような状況にはならなかったはずだ。


「…………ごめん」


 アルゲディは心底後悔している。山羊耳を下げて、揺れる瞳を俯かせていた。


「ごめんですむわけ……」


「言い争ってる暇はない!」


 レグルスの怒声を、リュカが遮る。レグルスは口を閉じてリュカを振り返る。

 リュカもまた怒りの形相ではあったが、レグルスよりは理性的であった。震える拳をおさえつけ、レグルスとアルゲディに指示を出す。


「手分けしてクロエを探すのよ。魔女らと遭遇したら足止めして。いいね!」


 リュカは直ぐ様、夜の街に向かって駆けていく。

 レグルスはアルゲディを一睨みして、突き飛ばした。リュカの後を追うように走る。

 アルゲディは歯軋りし、クロエ達を探すべく闇のなかへと向かっていった。

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