大海に浮かぶ島宇宙⑥

 今日ルイテンが屋敷に来たのは、『喜びの教え』の狙いを知るためだ。いなくなったはずの大賢人の手がかりを探すためだ。

 自分が『歓楽の乙女』から求められているなど露程にも思わなかったし、第一自分が賢者といった大それた存在だと言われても実感がない。

 輝術きじゅつを使えるという点ではヒト離れしていると言える。だが、ルイテンは生まれながらに輝術きじゅつを持っていた。そんなこと、賢者だってできやしないことなのだ。

 自分のは、のようなものなのだ。


「まあ、黙って突っ立ってても仕方ないし、窓割る?」


 アルゲディが問いかけてくる。

 ルイテンはハッとした。思考の海に沈んでいたために放心していたが、目の前の扉は茨によって激しく叩かれているのだ。ガタガタと揺れる扉から、後退りし離れる。


「まあ、いい土産ができたし。俺は退散するよ。君は?」


 アルゲディは椅子を掴み、窓際に立つ。両手で持ち上げると、勢いよく振り下ろした。

 窓ガラスが鋭い音を立てて割れる。破片は屋外へ飛び散っていく。

 それと同時に、食卓が大きく揺れて倒れた。扉が隙間を開け、湧き出すように茨が蔓を伸ばしてくる。

 迫るそれを、ルイテンは腕を振るって弾く。棘に袖を引っ掛けてしまい、大きく裂けた。

 再び茨が蔓を伸ばしてくる。ルイテンは飛びずさってかわすが、蔓はしつこく追ってくる。逃がしはしないと言うかのように。


「伏せろ!」


 声が聞こえ、ルイテンは身を屈めた。上目で頭上を見上げる。

 背後から投擲されたのは、導火線がついた小さな球体。

 火が、つけられている。

 

 ルイテンはぎょっとして、倒れた食卓の裏に隠れる。次の瞬間、球体は爆発した。

 爆竹のように火花を散らすのは、星屑の結晶。星屑の結晶は急激な温度変化に弱く、簡単に爆発を起こしてしまうのだ。


 爆発に炙られた茨は焦げ付き、動きを鈍らせた。やがて黒くぐずぐずになった蔓を、地面にへたりと落としてしまう。


 ルイテンは窓を見た。

 部屋を出ようとするアルゲディと、肩で息をするリュカがいた。ルイテンは安堵する。


「逃げるよ!」


 リュカが大きく手招きする。ルイテンは窓へと駆け寄り、乗り越えようと足をかけた。


「駄目だよー」


 背後から声が聞こえ、ルイテンは肩を震わせる。

 そこにいたのは、歓楽の乙女、ヴィオレの姿。ヴィオレは笑っていた。実に楽しげだ。


「君と魔女の二人とも欲しいのー。追いかけっこも楽しいけど、そろそろ捕まってくれないとー」


 ルイテンは首を振る。

 拒否ではない。そもそも、何を言われているのか理解ができない。

 

 リュカはヴィオレの存在を訝しむ。だが、最優先事項は逃げることだ。

 再び、星屑の結晶を投げた。導火線が縮み、着火する。

 星屑の結晶は爆発せず、辺りに煙のみを撒き散らした。煙玉だ。


「あ、こらー」


 ヴィオレの間が抜けたような声が響く。

 ルイテンは窓から降りると、手探りでリュカとアルゲディの手首を掴み、引き寄せた。


「あかいめだまのさそり

 ひろげた鷲のつばさ」


 ルイテンは歌う。煙に紛れて身を隠す。

 やがて煙が消えた頃には、ルイテン達三人の姿は消えていた。


 ✧︎*。


 ルイテン達が宮殿へと戻った時、ナシラは随分と驚いていた。無理もない。行方不明だと思っていた弟が、あっさりと宮殿に戻ってきたのだから。


「……何か言うことあるだろう」


 ナシラは怒気を孕んだ声で、静かに問いかける。だがアルゲディは肩を竦めるだけ。悪いことをしたという感情は、彼にはない。


「お前なぁ!」


「いいじゃないですか!」


 ルイテンは両手を広げて二人の間に割って入る。ナシラの顔を見上げて、ぎこちない笑顔を作った。


「結果、此方こなたは助かりましたし、アルゲディさんは無事だったし」


「ぐ……まぁ、そう、か……」


 ナシラはルイテンに諌められ、怒りをおさえる。一方アルゲディはぽつりと「めんどくさ」とこぼした。ナシラに聞かれれば怒られかねないが、おそらく聞こえなかったのだろう。ナシラは腕組みをしてそっぽを向くのみ。


「で、ネクタルさんが『喜びの教え』にいるって本当なの?」


 スピカが問う。彼女は紫のウェーブがかかったウィッグをかぶり、法衣を身にまとっていた。今から何処かへ視察にでも行くのだろう。ネクタルのふりをして。

 アルゲディはスピカをじっと見つめる。スピカは肩をびくりと跳ねさせて、レグルスの背中へと隠れてしまった。


「おい、あんま怖がらせんなよ」


 レグルスはアルゲディに向かって声を上げる。アルゲディはへらりと笑うが、それだけだ。


「で、ネクタルは?」


 ナシラは問う。アルゲディは顔を引き締めて語り始めた。


「いるよ、『喜びの教え』に。

 前法王、スコーピウスもいる。信じられないかもしれないけどね」


 ネクタルがいたかどうかは、ルイテンにはわからない。だが、スコーピウスは確かにいた。ヴィオレが、スーさんに対してスコーピウスの名前で呼びかけたことを、ルイテンはしっかりと覚えている。

 だが、大賢人達の反応は様々であった。ナシラは「やっぱりか」と呟き額を押さえるが、スピカとレグルスは目を見開いて驚いていた。


 五年前、金色の塔が出現したあの事件。その動乱の中で、スコーピウスは亡くなった。だが、死体は見付かっていないと伝えられていた。

 生きて姿をくらましているのだから、見つかるはずなどないのだ。


「いやでも、あの時ファミラナが確かに……」


 レグルスは言いかけ、ナシラに「レグルス」と小さな声で窘められる。レグルスはハッとしてルイテンに目を向けた。

 ルイテンはレグルスを不思議そうな顔で見た。

 宮殿には、まだまだ話せない秘密があるらしい。だが、今回のことで、少なくとも『喜びの教え』より宮殿の方が信用できそうだということを、ルイテンは理解していた。


「今日はクロエのとこに泊まるんだろ?」


 レグルスが問いかける。ルイテンはそれに対して頷いた。


「はい。暫くはクロエの社宅に泊まらせてもらうつもりです」


「親父さんには連絡したのか」


「……あ」


 ルイテンは口をポカンと開けた。

 三日間、忙しさのあまり連絡を忘れてしまっていた。きっと師匠せんせいは怒っているに違いないと考えて、ルイテンの顔は青く染まる。

 ルイテンの顔を見ていると不憫に思えてきたらしい、スピカがルイテンに近付き問いかけた。


「レグルスに電話してもらったらどうかしら? あなたを宮殿に連れて来たの、レグルスでしょう?」


 彼女の後ろで、レグルスが「何で俺が」と抗議する。ルイテンが今日まで足止めされているのはナシラのせいであったが、彼はどこ吹く風といった調子で明後日の方向を向いていた。

 大賢人達の様子を見て、ルイテンは苦笑いする。彼らは、大賢人だというのに、まるで普通のヒトのようであった。


「大丈夫です。自分で連絡します。それに、師匠せんせいに訊きたいこともあるし」


 ルイテンは言う。スピカは首を傾げるが、それ以上の質問はしてこなかった。


「ところで、ナシラさん」


 ルイテンは続いてナシラに声をかける。次に何を頼まれるのか聞いておきたかったからだ。どんな要求が来ても呑むつもりでいたのだが、ナシラはゆるゆると首を振った。


「君はもう帰りなさい。もうこれ以上、君をこの件に関わらせるのはまずい」


 ルイテンは拍子抜けした。もっと貪欲にこき使われるものだと思っていたからだ。だが、ナシラはルイテンの頭を柔らかく撫でて言う。


「クロエさんの見守りもしっかりするし、カッシーニに帰った後の君の見守りもしてあげるよ。これだけ働いてくれたんだから」


 これで、宮殿に関わることも、『喜びの教え』に関わることも終わり。きっと、クロエに関わることも。

 

 突然訪れた終わりに、ルイテンは困惑した。だが、大賢人の命であれば、受け入れるより他にない。

 黙ってただ頷いた。

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