大海に浮かぶ島宇宙⑤
ヴィオレは頬を膨らませる。子供が癇癪をおこしたかのように、二度床を踏み鳴らす。
「やーだー! そんなのつまんなーい!」
「君がつまらなくても、
「じゃあいいもーん。スコーピウス、ゲオルグ、その子お仕置き部屋に連れてってー」
ルイテンの背中に悪寒が走る。お仕置き部屋とは、おそらくイーズが贖罪を受けたあの部屋のことだろう。それだけは、何としても拒否しなければ。
だが、男性の力にルイテンは敵わない。不利な体勢であることもそうだが、そもそも両性だ。男性ほどの力を出すことができない。
救助が来る前に殺されてしまうのではないか。
部屋の奥から、旋律が聞こえた。
パンパイプの音色だ。
「ひっ」
ヴィオレの顔が恐怖に歪む。ルイテンを拘束していた男たちの力が弱まる。
ルイテンは胸がざわつくのを感じた。だが、それのみだ。辺りには光が舞い踊り、ルイテンの体にまとわりつく。
ルイテンは体を捻って男達の腕から抜け出した。明るい廊下に出て、部屋の中を振り返る。
部屋の中は酷い有様だった。
部屋の中にいた十数人の男女、彼らは皆叫び声を上げながら床に這いつくばっている。まるで、得体の知れない何かに恐怖しているかのように。
そんな中、悠々とした足取りで部屋の外へと出てくるサテュロスが一人。
白いくせ毛に、山羊のような角と耳。彼はパンパイプを吹きながら、ルイテンと向かい合った。
ルイテンはハッとした。彼の顔は、ナシラにそっくりだったのだ。
そして思い出す。ナシラには兄弟がいると言っていたはず。彼は
「あー、大丈夫?」
アルゲディはパンパイプから口を離す。ルイテンを見下ろすと蚊の鳴くような小さい声で問いかける。ルイテンは小さく頷いた。
「ねぇ、君、なんでパニックにならないの?」
アルゲディは続けて質問する。ルイテンは問いかけの意味がわからず首を傾げた。
アルゲディは暫く考えて、ルイテンにぽつりと説明する。
「俺の
アルゲディが奏でるパンパイプの音色には、聴いた者の精神を狂わせる力があるらしい。部屋の中から聞こえる、耳が痛いほどの絶叫は、彼の
ならば、音色を聞いてもルイテンが平気で立っていられるのはどういうことだ。ルイテンは困惑する。
「アルゲディ、どういうこと」
ヴィオレが忌々し気に問いかける。彼女の目は血走っており、怒っているのは明白だ。
アルゲディは肩を竦める。
「ごめんね。俺にとっての乙女様はスピカだからさ」
「……あはは。この私を騙してたってこと? 信じられない」
ヴィオレは驚いていた。だが、アルゲディはそれにかまうことはない。再びパンパイプに唇をあてがうと、演奏を始めた。
ヴィオレは頭を抱えて苦しみ始める。脂汗が額に浮かぶ。彼女は片手で空を掻き、もがく。
パチンと、破裂音が聞こえた。
「あー、やっぱり?」
アルゲディは苦笑した。
ヴィオレは、先程までの苦痛が嘘のように、すました顔で立ち上がる。だが、その顔に笑みはない。
「そんなの、つまんないなー。あなた如きが私を裏切るなんて、私嫌だなー」
そう言って、ヴィオレは片手を突き出した。拳を握り、ぐっと握る。
「ぐっ……」
途端にアルゲディは苦しみ始める。彼はパンパイプを落とし、両手で自分の首をおさえた。
ルイテンはアルゲディを見上げる。アルゲディの首には、まるでロープがかけられたかのように、光の帯がギリギリと巻き付いていた。
「このまま殺しちゃったらつまんないしなー。どうしよっかなー」
幾人もの絶叫を背景に、ヴィオレの冷たい呟きが聞こえる。ルイテンはゾッとした。
どうやっているのかわからないが、ヴィオレは
どうやって。ルイテンは疑問を一瞬浮かべた。しかし、そのようなことを考えるよりも、今は。
ルイテンは、ヴィオレに向かって突進した。ヴィオレの肩を掴んで床に押し倒す。途端にアルゲディは解放された。
「げほっ、げほっ」
アルゲディは激しく咳き込み、パンパイプを拾い上げる。
「へえ、やっぱり君、面白いねー」
ルイテンの下で、ヴィオレはケラケラと笑う。見た目相応の幼い笑い方であったが、それを聞いたルイテンの顔は青ざめた。
どうして彼女は、絶叫が辺りを覆い尽くす中で笑っていられるのか。頭がおかしいのではないかと、不気味に思ったのだ。
「もー、失礼しちゃう」
ヴィオレはその感情すらも読み取り、笑いながら楽しげに呟いた。
ルイテンは直感した。
彼女は危険だ。
ルイテンは飛び退いた。
瞬間、地面から茨が湧き出た。それはルイテンを捕えようとしているらしい。ルイテンを目掛けて襲いかかってくる。
ルイテンは腕で顔を覆った。身を守るための、反射的な行動だった。
「馬鹿じゃないの」
ルイテンの前にアルゲディが立ち塞がる。彼は一瞬笛を吹き、ヴィオレを怯ませた。茨は先端を震わせて狙いを外した。床へと突き刺さる。
「は?」
「どう考えても、歓楽の乙女は君を狙ってる。棒立ちしてたら捕まるよ」
アルゲディは廊下を見遣る。一気に駆け抜ける算段だ。
だが。
「アルゲディ……お前は……」
アルゲディの足首を誰かが掴む。
スコーピウスだった。彼はいまだ恐怖に支配されており顔を歪ませてはいたが、その手にはエストックが握られていた。
「あー、手、離してくれます? 元法王さん」
アルゲディは乱暴にスコーピウスの手を蹴り飛ばした。
いくら刃物を持っているとはいえ、立ち上がれないのならば敵では無い。
「走るよ」
アルゲディは呟く。途端に廊下を走り出した。
「あ、ちょ」
ルイテンはアルゲディを追いかける。
一体何なんだ。ルイテンの理解は追いつかない。
教団の中にアルゲディがおり、彼は自分の逃走を手助けしている。彼は、行方不明の大賢人ではないのか。
「あなたは、行方不明じゃなかったんですか!」
ルイテンは叫ぶように尋ねた。吐き出された疑問に対し、アルゲディは回答せず、苛立ちのままにルイテンへ質問した。
「はい? ていうか、君、何?」
「
ルイテンが返答しようとしたその時、背後から床を叩く音が聞こえてきた。振り返ると、何本もの茨が廊下を暴れ、ルイテン達に迫ってくるのが見えた。
アルゲディはルイテンの腕を掴み、手近な扉を押し開けて部屋に飛び込む。廊下を真っ直ぐ突き進んでいた茨の蔓は、突然の方向転換に追いつかず、廊下をズルズルと突き進んでいった。
入った部屋は空であった。普段は食堂として使われている部屋らしい。大きな食卓には燭台と造花が置かれていた。アルゲディは内開きの扉を閉めると、食卓を扉に押し付けて塞いでしまった。
「てかさ、君、
「はい? え、ドラスを知ってるんですか?」
ルイテンは、親友の一族の名がアルゲディの口から出たことに驚いた。
そして思い出す。丁度一時間前、中庭で白髪のサテュロスと話すドラスの姿を見た。その時のサテュロスが、アルゲディだったのだろう。
「ドラスから、忘我の賢者のことを聞き出そうとしたら、なんかよくわかんないこと言い始めてさ。忘我は
で、さっきのでピンときた。君が、
アルゲディはルイテンに詰め寄る。だが、ルイテンはただ首を振るのみ。
自分のことを問われているのに、何も答えられなかった。
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