大海に浮かぶ島宇宙④

 肌が粟立つ。

 ルイテンの歌は無効化された。誰にだ。


 混乱する頭の中で、ルイテンが思い出した光景は、イーズが作り出した檻を消し去る少女の姿だった。

 ルイテンは少女を見る。少女はにこにこと笑っている。彼女が、自分の歌を無効化したのだろうか。


「うん、そうだよー」


 少女は、ルイテンの考えを読み取ったかのように、そう答えた。


「私は何でもできるんだものー。君の輝術きじゅつを封じるなんて、造作もないことだよー」


 ルイテンはその場にへたりこんだ。

 背後から視線を感じる。痛すぎるくらいに。

 こそこそと話し声が聞こえてくるが、何を話しているのかまではわからない。振り返って確認する勇気は無い。


「ルイテン・オルバース、だよね?」


 少女はルイテンに手を伸ばす。ルイテンの頬を両手で包み、ルイテンの目をじっと見つめる。


「私は、君のこと気に入ってるんだよー。

 この部屋にいるヒト達はみんなそう。みんな私のお気に入り。みんなが私をお気に入り。

 ねえ、あなたも仲間になりたくなーい?」


 ルイテンは唇を震わせる。拒否の言葉が出てこない。


「乙女様」


 そんな中、声を発したのはスーさんだった。彼は、ルイテンの隣で跪き、少女へ進言する。


「その者は、自覚なき魔女の手下でしょう。始末してしまうのがよろしいかと」


 魔女の手下だって? ルイテンは耳を疑った。

 誰かの手下であったことは一度もないし、魔女なんて御伽噺の存在だ。スーさんの言葉の意味がわからず、ルイテンは眉を寄せる。

 少女はルイテンの顔を引き寄せたまま、見つめたまま、スーさんの問いに言葉を返した。


「私はね、楽しいことが大好きなの。

 この子、とーっても滑稽で面白いんだもの。だから、私はこの子が欲しい。

 山羊魚やぎの、ナシラだっけ? あいつはヒトを駒としてしか見てないから、この子が帰ってこなかったとしても気にしないと思うなー」


 少女は、スーさんをちらりと見遣る。彼女の目も、顔も、底冷えするほどに冷ややかだ。スーさんは目を見開き、慌てて頭を垂れた。

 少女は続ける。


「スコーピウスだって、ネクタルのこと欲しかったんでしょ? だから連れてきたんでしょ? 私の言いつけを無視してさー。

 だから、宮殿側が私達を躍起になって調べてる。ほんっと、前法王……元・さそりの大賢人だってのに、考えが浅いんだから……ヒトって馬鹿だよねー」


 空いた口が塞がらないとは、正にこのことだ。ルイテンは驚きのあまり唖然とした。

 五年前、法王として国の頂点に座していた男が、今隣にいる。彼は、彼よりも年下であろう少女に跪き、許しを乞うている。

 彼は死んだはずではなかったのか。五年前の『金色塔出現事件』に巻き込まれて死んだのではなかったか。

 死んで、遺体は行方不明になったはずではなかったか。

 何なんだこれは。


「君は、誰なの……?」


 ルイテンは、震える声でそう尋ねた。少女は、ルイテンに対しては甘いらしい。とびきりの笑顔で、猫なで声で、ルイテンに語りかける。


「私は、歓楽の乙女。歓楽の魔女。あ、でも、君からは名前で呼ばれたいなー。

 私、ヴィオレっていうの。よろしくねー」

 

 乙女は。

 魔女は。

 ヴィオレは……そう言ってルイテンに口付けする。


 触れるだけの、子供がするような口付けであったが、ルイテンは驚いてヴィオレを突き飛ばした。

 歓楽の魔女は尻餅をつき、突き飛ばされたことに憤慨する。


「なによー! 折角私がちゅーしてあげたのにー!」


 痕跡をぬぐい去るべく、ルイテンは何度も袖で口元を拭った。ふらりと立ち上がり、部屋の中を横目で見遣る。

 今や、暗がりに目が慣れきっていた。薄らと見える部屋の中、皆が目を丸くしてルイテンを見ていた。


「ちゃんと


 歓楽の魔女は、ヴィオレは、ルイテンに再び迫り見つめてくる。

 真紅の瞳がきらりと煌めいた。胸がざわつき、ルイテンは心臓をおさえる。ヴィオレの瞳から、目が離せなくなる。

 その煌めきは、何かに似ていた。ルイテンは考えを巡らせ、そして気付く。人物こそ、色こそ違うが、クロエの煌めいた瞳に似ていたのだ。

 くらり、視界が揺れる。思考にぼんやりと霧がかかる。


 この瞳が、赤い瞳が、どうしようもなく愛おしい。

 そう思わされた。


「あかいめだまのさそり」


 それは無意識に口から溢れ出た。

 いつも、逃げる時に使っていた歌。輝術きじゅつの発動条件になる「星めぐりのうた」。行方をくらまそうだとか、逃げ出そうとか、そういう考えは頭から抜け落ちていたのに。

 

 ルイテンは歌に歌わされる。


 辺りに眩しい程の光が溢れる。ヴィオレはそれに驚いて、咄嗟にルイテンから離れた。

 ルイテンの思考は霧が晴れ、はっきりとし始めた。胸に湧いた愛おしさは、まるで最初からなかったかのように消え去った。


 それ以上はない。何も。


 ルイテンは頭を振って、自分の唇に指先で触れる。


「ああ、成程、成程ー。くじらの一族の子かー」


 ヴィオレはニヤニヤと笑いながら呟く。

 部屋の中から聞こえてくるこそこそ話が大きくなる。


 くじらの一族。

 観取かんしゅせし賢者。

 くじらの一族は、魔女に滅ぼされたはず。

 座するカシオペアの一族がそう言っていた。


 そんな言葉が飛び交う。

 ルイテンは意味がわからなかった。鯨の一族とは何だ、と。


 ヴィオレは笑う。嫌らしく、ニヤニヤと。


「千年前の昔、歓楽の魔女である私は、あなた達賢者が使う輝術きじゅつに、少しだけ恩恵を授けたの。

 例えばさそりの一族。身体強化の輝術きじゅつに、痛みの鈍化を書き足した。

 座するカシオペア一族。一人の記憶を忘れさせる輝術だったものを、複数人を対象とするよう書き足した。


 だけどね、一部の賢者はあんまり生意気だったから、呪いをかけてあげることにしたの」


 ルイテンは喉を鳴らす。

 生意気な賢者とは、つまり。


くじらの一族とか、狼の一族とか、牡羊の一族とか。生意気で煩わしがったから、呪いかけちゃったんだー」


 ヴィオレの下卑た笑い声が部屋中に響く。それは酷く不愉快なものだった。

 

くじらにつけてあげたのは、存在が消えてしまう呪いなの。えへへー、面白いでしょー」


 意味が、わからない。

 

 目の前の少女は一体何なのか。

 歓楽の魔女とは、どういう意味なのか。

 自覚なき魔女の手下とは、何のことなのか。


 鯨の一族とは、自分ルイテンのことなのか。

 

 ルイテンは自分の手首に触れる。そこには、先日リュカから施された失せもの探しの輝術きじゅつが、まだ残っている。

 袖をまくり、光でできた腕輪を引っ搔いた。腕輪は光の粒子となって、消える。


「だーめ」


 その仕草を、ヴィオレはあざ笑う。

 それと同時に、ルイテンは背後から羽交い絞めにされた。


 スコーピウスともう一人。顔も知らない初老の男性が、ルイテンの腕を背中側に捻り上げている。痛くてたまらなくて、ルイテンは呻いた。


「ねぇ、あの子のことなんて忘れてさ。私に魅了されてよ」


 ヴィオレはルイテンを見下ろす。

 わけがわからないなりにも、ルイテンの心は決まっている。いいなりになるわけにはいかない。


「いやだ。此方こなたは、クロエのところに戻るんだ!」

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