大海に浮かぶ島宇宙⑦

 その夜、ルイテンは馬車に揺られ、クロエが住んでいる社員寮までやって来た。

 今日は彼女の部屋に泊めてもらう約束であったが、ルイテンの足取りはやや重い。ヴィオレやスコーピウスからかけられた言葉が、気になって仕方なかったのだ。彼女らはルイテンのことを『魔女の手下』と言っていた。

 意味がわからなかったのだ。ルイテンは誰の手下になった覚えもない。考えられるとすれば、クロエを守り寄り添っていることだ。


 ルイテンは馬車を降り、アパートの階段を上がる。とある部屋の前まで来ると、鍵を開けて部屋の中に入った。


「お邪魔します」


「おかえりー」


 ルイテンとクロエ、二人の声が重なる。

 クロエは既に帰宅していたようだ。宝石オパールのように煌めく髪を揺らしながら、ルイテンの元まで歩いてくる。


「大丈夫だった?」


「うん、まぁ……何とか」


 ルイテンは苦笑気味にクロエを見る。クロエはルイテンを心底心配しているらしい。ルイテンの顔を覗き込み、顔色の悪さを指摘する。


「本当に? 顔色悪いけど」


「大丈夫だよ」


 それでもルイテンは首を振った。

 クロエはそれ以上の指摘をしてこない。その足でキッチンへと向かうと、鍋の蓋を開けてトマトと牛肉の煮込みを盛り付け始めた。「他人に食べてもらう料理だから張り切ってみたんだ」と言いながら。

 ルイテンはクロエの横顔を見遣る。彼女の髪も瞳も、眩いほどに光り煌めいている。

 御伽噺に出てくる魔女は、お姫様に対して魔法を使い悪事を働くような、醜悪な悪役だ。クロエとは正反対だというのに……


 彼女のヒト離れした髪目を見ていると、魔女という表現は腑に落ちた。


「向こうで、変なことを言われたんだ」


 ルイテンは呟く。


此方こなたのことが、周りにバレてしまって……その時に……」


 クロエは盛り付けしていた手を止める。

 ルイテンは大きく息を吸い込んだ。


 口にすべきではない。


 ルイテンは口を閉じる。

 クロエに直接問い質すだなんて、一瞬でも考えた自分はなんて馬鹿なのだろうか。ルイテンは首を振って、喉まで出かけた言葉を腹の奥に押し戻した。

 クロエは首を傾げる。


「いや、ちがう……それは、ちがくて……」


 ルイテンはそう呟きながら、部屋の奥へと向かった。

 本棚の隣、棚に置かれた電話に向かい合い、受話器を手に取る。くるり、くるりと、円盤状のダイヤルを回して自宅へと電話をかけた。

 その後ろで、クロエは夕飯の準備をする。机に料理とカトラリーを並べ、ルイテンの用事が終わるのを座って待つ。


 受話器からは、金属質なコール音がきこえる。ややあって、電話が繋がった。


『はい』


 ルイテンの顔に緊張が浮かぶ。


「ルイテンです」


『ルイ? お前……いつまでふらふらしてるんだ!』


 音割れするほどに大きな声を発するディフダ。ルイテンはたまらず、顔を受話器から離した。


『連絡もなけりゃ、帰りもしない。約束の一つも守れんのか!』


 あまりの怒声に、受話器がびりびりと振動を伝えてくる。ルイテンは目頭に涙を浮かべながら、ディフダに向かって謝罪する。


「すみません。あの……でも……」


『何だ』


 ルイテンは肩を叩かれ振り返る。クロエがルイテンの肩に手を乗せていた。彼女はゆるゆると首を降り、力強い視線で帰宅を促している。

 ルイテンは暫し考える。考えた上で、クロエへの返答を後回しにした。


師匠せんせい、今日は、聞きたいことがあって電話したんです」


『聞きたいこと?』


 ルイテンは頷く。


「先生は、くじらの一族とか、魔女とか、カンシュせし賢者とか……聞いた事ありますか?」


 …………

 沈黙。

 

 ディフダは黙ってしまった。


 ルイテンは確信した。どの単語に反応したかはわからないが、ディフダは何かを知っている。ルイテンは更に畳み掛ける。


師匠せんせい、母は、ミラ・オルバースは賢者だったんですか?」


 ディフダは狼狽えているらしい。言葉を詰まらせ、ルイテンに返事ができないでいる。

 

 クロエはルイテンを見つめる。

 ルイテンはクロエを見つめ返した。反応を窺う。

 この問は、クロエにも向けたつもりであった。魔女という単語に、何かしらの反応を示すのではないかとルイテンは思っていた。臆病で卑怯な方法だった。


師匠せんせい、隠し事をするなと此方こなたを躾けたのは師匠せんせいですよ。

 とか、とか、此方こなたに隠してることがあるなら、教えてください」


 ディフダもクロエも、何も言わない。

 クロエは狼狽えてすらいない。ルイテンが口にした言葉のいずれも、彼女は心当たりなどないのだろう。


 ならば、『喜びの教え』にて、歓楽の魔女から言われた言葉は、一体……


看取かんしゅせし賢者……見て知る、現実をしかと見つめる賢者のことだ』


 やがてディフダが語り始めた。ルイテンはそれを黙って聞く。


『オルバースの姓は、父親の姓だ。お前の父親は、くじらの一族に属していた』


 ルイテンは眉を寄せる。

 元々ルイテンは、母と二人暮しだった。母が無くなってからは母の友人であったディフダとの二人暮し。父親は、ルイテンが物事ついた頃からいない。


「父は此方こなたが生まれてすぐに亡くなったって」


『そうだ。座するカシオペアの一族の者たちは、鯨の一族が魔女によって滅ぼされたと言っていたが、本当かどうか……』


「え? 座するカシオペア一族?」


 ルイテンは思わず聞き返した。

 つい最近も聞いた名だ。誰の口から聞いたのだったか、ルイテンは記憶を掘り起こす。


 一度は『喜びの教え』の支部にて、くじらの一族の名と同時に聞いた。

 そして一度は、シェダルの口から聞いた。


座するカシオペア一族と言えば、わかるだろう?』

『ミラの娘だというのに、何も知らされてこなかったのか?』


 あの男は、ルイテンが知らないことを知っている。何故だ。


『ルイ、まだクラウディオスにいるつもりなのか?』


 ディフダが問うてくる。ルイテンは実のところ迷っていた。

 大賢人達からは帰るように言われた。クロエのことも見守ってくれるとのこと。

 そしてルイテンは、自分がクロエと交わした約束以上の働きをしていると自覚していた。

 これ以上、クラウディオスに留まる理由はあるのだろうかと疑問に思う。

 だが、ディフダは留まることを勧めてきた。


牡羊おひつじの大賢人様、彼に会うことさえできれば、お前の父親について手がかりが得られるかもしれん』


牡羊おひつじの大賢人様……」


 ルイテンは呟く。

 13の大賢人、その内の一人。

 一度とはいえ、大賢人に会うことはできている。もし、もしも、まだチャンスがあるのだとしたら、牡羊おひつじの大賢人にまみえることもできるのではなかろうか。


師匠せんせい、もう少し首都に泊まります」


『わかった。くれぐれも気をつけなさい』


「はい」


 ルイテンは返事をする。

 一度絶たれた大賢人との交流、再び会うことはできるだろうか。


『しかし、くじらの一族について、何処で知った?』


 ディフダは問うてくる。ルイテンは迷った後、返答した。


「魔女を名乗る少女から聞きました」


『魔女……』


 ディフダは電話の向こうで息を飲んだ。

 ルイテンは首を傾げる。その仕草を見ているのはクロエだけ。ディフダが、ルイテンの表情を窺い知ることは無い。


『まあ、いい。

 くれぐれも気をつけなさい』


 再三の注意を受け、ルイテンは小さく笑った。保護者といえども、血の繋がりがない自分を心配してくれるディフダの言葉が嬉しくて、くすぐったかった。



 。.:*・゜

『大海に浮かぶ島宇宙』

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