大海に浮かぶ島宇宙②

 一時間ほど待たされていたように思える。ルイテンは客室の中を見て回りながら暇を潰していた。

 カプチーノは手をつけられないまま、すっかり冷めている。飲まなかった言い訳をどうしようかと悩みながら、ルイテンは窓の外に目を向けた。


 屋敷の裏は、薔薇の庭園になっていた。赤、桃、白の、愛らしい色合い。ぼうっとそれを眺めていると、見慣れた人物が庭園を歩いていくところが見えた。


「あっ……」


 思わず声が洩れる。

 その男の姿は、ドラスに違いなかった。


「どうした?」


 イーズが問いかけてくる。ルイテンは首を振りカーテンを引くが、イーズはそれをさせず窓の外を見下ろした。


「あぁ、ドラスか」


 ドラスの背中を追いかけるように、白髪のサテュロスが歩いていく。彼はドラスに追い付くと、顔を合わせて話し始めた。

 二階にある客室からでは、二人の顔はよく見えない。


 ドラスの視線が動いた。

 ルイテンは慌ててカーテンを引く。窓を覆い隠してしまうと、激しく暴れる心臓を胸の上から押さえつけた。


 ドラスと目が合った。

 いくら変装しているとはいえ、親友の目を誤魔化すなんてできやしない。ドラスは、きっとルイテンの存在に気づいたはずだ。

 ドラスは、ルイテンを見て目を丸くしていたのだから。


「万一バレても、お前ならどうにかなるんだろ?」


 イーズに問われる。彼の言う通りだが、ルイテンには返事をするほどの余裕がない。

 その時、部屋の扉が叩かれた。ルイテンは身構える。


「失礼します」


 聞こえた声は女性のものだった。ルイテンは胸を撫で下ろし、声を高くして扉の向こうに呼びかける。


「どうぞ」


 徐に扉を開き中へと入ってきたのは、紫の短髪をした一人の女性。彼女はニンフのようだ。彼女は腰を落としてカーテシーをし、イーズに顔を向けた。彼女は無表情。ヒトなのかと疑うほどに、感情が見えない顔をしている。

 見覚えのあるその顔。桃色の瞳。ルイテンは首を傾げた。誰だったか思い出せない。


「カプタイン様、乙女様がお呼びです」


 イーズは顔を強張らせた。自分に対する贖罪が始まろうとしていることに恐怖しているのだ。途端に彼の手が震える。その震えをもう片方の手でおさえるが、無駄だった。

 ルイテンは、イーズのことを良く思っていなかった。彼はクロエを攫おうとした悪人であるし、檻に閉じ込められたことだって忘れちゃいない。だが、イーズの怖がり様を見ていると可哀想に思えてきた。


「あの、こな……私も、行きます」


 ルイテンは言うが、ニンフは首を振って拒否をする。ルイテンを見つめる目は、ガラスのように冷たい。


「いいえ、これはカプタイン様の贖罪ですから。あなたには関係がないことです」


「そん、なことないよ。私、イーズの友達なんだから」


 ルイテンはどもりながらもそう言ってみせた。出まかせでも、友達だと言ったルイテンにイーズは目を丸くする。


「……どうしましょう」


 ニンフはそっぽを向いた。否、誰かを見上げていた。部屋の中に彼が入ってくる。

 スーさんと呼ばれた男性であった。


「ネリー、イーズを連れて行ってくれるかな」


「……かしこまりました」


 イーズはちらりとルイテンを見る。彼は覚悟を決めているようだ。しっかりと頷いてみせた。

 ルイテンはそれ以上何も言えない。黙ってイーズを見送るしかなかった。

 イーズは女性に連れられて客室を後にする。部屋の中に残ったのは、ルイテンとスーさんの二人だけ。


「まあ、座りなさい」


 ルイテンは椅子に腰掛ける。居心地が悪い。上目遣いにスーさんを見上げる。

 彼は机に頬杖をして、ルイテンをじっと見つめていた。

 暫しの沈黙。ルイテンはスーさんから目を逸らす。


「君は、乙女様を知っているね?」


 唐突な問いかけだった。ルイテンは首を傾げる。ルイテンは教団において新参者だ。経典以上のことを知るはずがない。

 スーさんはルイテンからの返事がないとわかると、首を振ってこう続けた。


「乙女様は君をいたく気に入ってるようでね。随分とご執心なのだよ」


 ルイテンの頭は、重ねられた言葉により、疑問符がひしめき合う。

 乙女様に会ったことなどないはずなのだ。それなのに、お気に入りとはどういうことだ。


 答えを迷う。

 スーさんは、ルイテンの言葉を待っている。スーさんは微笑みを絶やさない。


 ここで、ルイテンは彼のことを気持ち悪いと思うようになった。

 スーさんは、笑顔を貼り付けたまま。先ほどから常に笑顔を崩さずにいる。だが、その目には何も感情が見えない。

 目だけが、である。

 彼の笑顔には薄気味悪さがあった。

 

 もしや、自分がクロエを守っていた邪魔者だということに気付かれてしまっただろうか。だから、自分を警戒し逃がさないように、笑顔を貼り付けて油断させようとしているのだろうか。この質問にも本当は意味などなく、自分を混乱させるためのものではないか。

 ルイテンは考える。

 

 どう答えるべきか。

 迷う。

 黙り込む。


 悪癖が出てしまった。


「まぁいい。ラリッサ、来てくれるかい?」


 スーさんは立ち上がり、ルイテンに片手を差し出す。ルイテンはその手を握れず、膝の上でぎゅっと握った。


「乙女様にお会いすれば、君も思い出すだろう」


 ルイテンは生唾を飲み込んだ。迷うことさえ許されない状況。仕方なく、スーさんの手に自分の手を重ねた。

 骨ばった、ごつごつとした手の感触。強く握られたら、抜け出すことはおそらくできない。


「さあ、おいで」


 ルイテンは立ち上がる。大人しく、引かれるままに、客室を後にする。

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