大海に浮かぶ島宇宙

大海に浮かぶ島宇宙①

 ルイテンは、イーズと並んでその扉を見上げる。

 そこにあるのは、一軒の屋敷。住宅地の外れに佇むその建物は、やたら大きかった。

 晴れ晴れとした陽光の下、白い外壁が眩しい。とても、カルト教団の根城だとは思えない。


「何とも無様な姿だな、?」


 イーズに問われ、ルイテンは彼を睨み上げる。

 教団に顔が割れている以上、素知らぬふりをして内部に潜り込むことは難しいとスピカから判断された結果、ルイテンは変装のために女装させられていた。

 紫色のウィッグはハーフアップに結われ、服はラベンダー色のジャンパースカート、顔には薄らとだが化粧が施されている。


 やけに機嫌良さそうに変装の手伝いをしてきたスピカの顔を思い出し、ルイテンは舌打ちする。男性的な格好よりも、女性的な服装の方が、性別を意識させられてしまい苦手だった。だが、文句を言っても仕方ない。


 ルイテンは、イーズの首輪に繋がった、他人には見えない光の紐をくいと引っ張る。

 リュカが施した『失せもの探し』のおかげで、主導権はルイテンにある。イーズは今しがたそれを意識させられて、不愉快そうに顔を歪めた。


 二人は並んで屋敷の入口に立つ。イーズが一歩前に進み出て、玄関のチャイムを鳴らした。

 ややあって扉を開けて出てきたのは、赤い髪をした男性であった。


「お帰り。無事に逃げ出せたかい?」


 男性はイーズに微笑んでみせる。イーズは肩を竦めたものの、その問については返答をしない。

 その代わりに、後ろに控えるルイテンを男性に紹介した。


「彼女、乙女様の教えに興味があるそうなんです。入れてやってもいいですか?」


 ルイテンはなるべく顔を見せないように、伏し目がちに頭を下げた。所作ががさつにならないように気を配る。

 男性は怪しむ素振りなく、ルイテンを迎えた。


「かまわないよ。お嬢さん、君の名前は?」


「ラリッサです。よろしくお願いいたします」


 ルイテンは偽名を使う。名乗った瞬間は心臓がバクバクと暴れたが、男性がルイテンを受け入れるかのように頷くと、ルイテンは安心して深く息を吐き出す。


「すみません。緊張してしまって」


 そんな言葉が出るほどには、余裕を感じていた。


「かまわないよ。さあ、中へお入り」


 イーズがまず屋敷の中に入り、ルイテンがそれに続く。

 屋敷の中は随分と広い。あらかじめイーズから「かつて隣町の領主が別荘として建てたらしい」と話を聞いていたが、嘘ではなさそうだ。外観こそ真新しいように見えたが、屋内は古い木材の落ち着いた色合いが、温かみを与えてくれる。

 部屋数もどうやら相当なものらしい。ルイテンはあちこち見渡し、しかし男性に声をかけられてしまい部屋を数えることは諦めた。


「ラリッサ、君は非常に運がいいよ。今夜、乙女様がここにいらっしゃるはずだ」


 ルイテンは目をぱちくりさせた。イーズもまた、驚きから言葉をもらす。


「え、まじですか?」


「本当さ。乙女様ご本人から、喜びの教えをご教授くださる。これ以上に幸せなことはないよ」


 ルイテンは驚いた。確かにこれ以上幸運なことはない。教団のトップの顔を、思想を直接聞ける。


「ありがとうございます」


 ルイテンは微笑む。

 礼を言われ気を良くした赤毛の男性は、二人を屋敷の奥へと案内する。


「イーズ、彼女とは何処で知り合ったんだい?」


 男性はイーズに問いかける。イーズはルイテンを見つめた。

 ルイテンは、男性に見えない角度でイーズを睨む。輝術によって繋がれた紐を握り、見せ付けた。他人には見えない、光で形成された紐。それは、リュカの輝術きじゅつによって、ルイテンとイーズのみが見ることを許されている。

 紐の繋がりを断ち切れば、リュカへと知らせが行くようになっている。リュカはルイテンに対し世話を焼いている節がある。今回も何かあれば即座に駆け付けてくれるはず。

 だからこそ、イーズはルイテンに逆らえない。リュカの存在に怯えているのだ。


「狼の賢者から逃げ出すのを手伝ってくれて。成り行きですね」


「そうか。恩人だったのか」


 男性はルイテンに視線を向ける。

 ルイテンは男性を見つめ返した。


「……」


 射抜かれるような錯覚。男性の鋭い目付きに、ルイテンは顔を強ばらせる。自分の正体など見抜かれているように思え、ルイテンは唇をきゅっと結び、背中に冷や汗をかいた。


「大丈夫さ。君はきっと皆から受け入れて貰える。安心するといい」


 男性は、ルイテンの表情を緊張によるものと判断したらしい。

 ルイテンは一先ず安堵する。気を緩めることはできないが。

 

 やがて客室に通された二人は、男性に促されて椅子に座った。


「乙女様がいらっしゃったら、また呼びに来るよ。それまで待ってなさい」


 男性はそう残し、客室を後にした。それと入れ替わるようにして、若いグルルの少年がルイテン達に温かなカプチーノを振舞う。泡立ったクリームが、コーヒーの表面を覆い隠して揺れている。そこにふりかけられたシナモンは、甘い香りを放っていた。

 イーズが礼を言うと、少年は一礼して部屋を後にした。

 イーズは遠慮なくそれを口にする。だがルイテンは、万一のことを考えると、カプチーノに手を出せない。


「飲まないのか?」


「飲めるわけないでしょ」


 イーズの問いかけに、ルイテンはツンとして答える。


「何も変なモン入ってねぇぞ」


「君のはね。此方こなたのはわからない」


 ルイテンは、最悪のケースを想定して動いている。

 もし飲み物に睡眠薬でも入れられていたらと考えると、迂闊に食べ飲みできないのだ。


「スーさんのことも信用させてたし、大丈夫じゃねぇの」


 イーズは肩をすくめて声をかける。


「スーさん?」


 ルイテンは尋ねる。スーさんというのは、先ほどの赤毛の男性だろうか。


「さっきの赤毛の。俺を誘ってくれた人」


 ルイテンが思った通りのようだ。

 イーズはカプチーノを飲んでできた茶色い髭を親指で拭う。


「大分前からいる人でさ。でも、活発に活動するようになったのは、それこそ五年前からかも」


「へぇ」


 目の前のイーズという男、やけに口が軽い。スパイなどせずとも、彼から情報を聞き出せばよかったのではないかと思えるほどだ。


「あー贖罪やだなー」


 カプチーノを飲み終え、イーズは背もたれによりかかり頭をのけ反らせる。

 贖罪。ルイテンも過去に受けたことがある。ケイセルからの一方的な暴力、そして腹の痛みを思い出す。


「君の贖罪って、クロエに手を出そうとしたこと?」


 ルイテンは目を細めながら尋ねた。睨みつけるような目つきにイーズは苦笑いする。


「や、だってさ、仕方ないだろ?」


「仕方なくないよ」


「……まぁ、クロエちゃんに惚れたのもそうだけど、狼の賢者に捕まったのもあるしなぁ。

 ドラスからなら手加減してもらえそうだけど、スーさん厳しいしなぁ」


 スーさんとやらが厳しい人物だとは到底思えず、ルイテンは「へぇ」と声を洩らす。客室に案内してもらうまでの彼は、物腰が柔らかく優し気な印象であった。スーさんが暴力を振るうなど、とても想像ができない。


「今日の集会は、多分俺の贖罪がメインだ。ま、死なないよう祈っててくれや」


 イーズは軽い調子で言うが、その声は震えていた。

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