揺れるクロノメーター⑨

 ルイテンはクロエとともに、乙女の宮で寝泊まりすることとなった。

 猫足のテーブルに、二脚の椅子。そして、天蓋付きのダブルベッド。そのどれもが気品のある真珠色。カーテンは星空を切り取ったかのような星座柄で、愛らしさにあふれた部屋であった。

 クロエは、やわらかなベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。


「ほんっとーに! 社長への言い訳大変だったんだから!」


 大声で叫んだようだったが、枕で顔を覆っているために声がくぐもっている。ルイテンはそれを見ながら苦笑いをこぼす。


「ほんとごめん。社長は何だって?」


「無事ならそれでいいって。あとは、明日の予定とか、色々」


 クロエは、もごもごとちいさな声でルイテンに返事する。

 ルイテンは安心した。ジャコビニ社長は、ルイテンのことを疑っていないようである。

 クロエは顔を動かして、ルイテンを恨めしそうに見上げる。


「私は嫌だったのに……」


「ごめん。不安要素は取り除いた方がいいと思って」


 ルイテンは弁解した。

 クロエはそれに対して首を振る。


「不安なんてないよ。私は、社長を信用してるし」


「そう?」


 クロエの言う通り、ジャコビニ社長は信用できる人物だとルイテンは判断していた。クロエを大切に思ってくれているようであったし、一線を越えるつもりもないといった姿勢であった。

 だが、その理由がクロエに向けられた恋慕だということを、クロエ自身は知っているのだろうか。ルイテンは、ベッドに腰掛けながら口を開く。


「クロエは、その……社長のこと、どうして信用できたの?」


 クロエは肩を震わせた。

 ルイテンはクロエの返答を待つ。しかし、返答はない。


「……クロエ?」


 クロエの顔が青くなった……ように見えた。ルイテンは首を傾げてクロエの顔を覗き込む。


「上司を信用するって、普通のことでしょ?」

 

 クロエは笑顔を作った。ぎこちない表情。

 ルイテンは、クロエに対して疑念を持つ。クロエは、何かを隠しているのではないだろうか。


「……クロエ」


 問いただそうとして、ルイテンは口を開いたが、すぐにきゅっと真横に結んだ。自分だって、昨日まで秘密を抱えていたではないかと考え直したのだ。

 秘密くらい、誰でも持ち得るものだ。クロエが危険に晒されないなら、彼女が何を黙っていようが気にするまいと。ルイテンはそう考えた。


 クロエは首を傾げる。


「ルイ?」


 ルイテンは、クロエの瞳を見つめ返す。

 きらりと煌めき始めた髪と瞳。オパール宝石のようなそれを見つめていると、些細なことなどどうでもよくなってしまって、ふっと笑みがこぼれた。


「いや、何でもないよ」


「ほんと?」


 クロエは「そっか」と笑って、ルイテンに抱き着くとベッドに倒れ込んだ。


「あ、あの……ちょっと、まずいんじゃないかな……」


 ルイテンは顔を真っ赤にして、どぎまぎしながらクロエに声をかける。


「だって、ベッド一つしかないし」


「いや、うん、そう、なんだけど……」


 周りからは、クロエとの関係を恋仲だとでも勘違いされているのだろうか。ルイテンは、クロエの腕からするりと抜け出して、ベッドの端で丸くなる。


 どうやら両想いらしいということは、ルイテンは自覚している。だが、クロエにそれを言う勇気が持てなくて、ルイテンは何も言えないまま。


 もし自分が告白したとして、クロエは変わらず自分を好きでいてくれるだろうか。ルイテンは不安だった。


「どうしたの?」


 クロエを見上げる。

 ルイテンを見下ろす虹色の瞳は、まるで悪戯っ子のように煌めいていて。

 胸の内を見透かされるようで、少しだけ怖かった。


「な、何でもない」


 ルイテンは枕を抱きしめると、それで自分の顔を覆ってしまった。


 暫しの静寂。


 ややあって、クロエが尋ねた。


「明日、支部に行くの?」


 ルイテンは枕から目だけを覗かせる。

 クロエの顔は、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。


「……大丈夫だよ。いざとなったら、此方こなたには歌があるから」


 それがどれだけの安心材料になるかはわからない。

 案の定、クロエの表情は変わらなかった。


「気を付けてね」


 ルイテンは頷く。


「クロエも、明日から仕事頑張って」


「うん……ありがと」


 部屋の明かりが消される。二人は並んで目を閉じた。


 。.:*・゜

『揺れるクロノメーター』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る