揺れるクロノメーター⑧

 獅子の宮の隣にある、乙女の宮。各宮が大きい建物とはいえ、それほど距離は離れていない。ナシラはルイテンを歩いて連れていく。

 ルイテンは辺りを忙しなく見回していた。ナシラは代理とはいえ、大賢人の地位を守っている。そんな彼には、護衛が全くつけられていない。それほど、この孤島は安全なのだ。それを知らないルイテンは、ナシラと二人きりで歩いている今の状況を心配していた。


「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。この孤島は安全だから」


 ナシラは言う。

 そうするうちに、目的地に到着した。


「さて、ここが乙女の宮だ」


 着いた先は、宮の庭先。今朝見た花畑の光景はそのままだ。

 ルイテンの目は、花畑に立つ女性を捉えた。今朝はメイドと黒髪の女性がいたのだが、今は黒髪の女性のみがそこに立っている。とても、大賢人のようには見えない。

 彼女はナシラの姿を見つけると、口の端を釣り上げるようにして、ぎこちない笑みを浮かべている。ナシラが近づくと、怯えたように一歩後ずさった。


「ナシラさん、こんにちは」


 その態度を見たナシラは、面白くないとでも言うように口をへの字に曲げた。


「君は、僕と会う度に変な顔をするよね」


 女性は申し訳なさそうに顔を伏せた。どうやら、一連の動作は彼女が無意識に行っていたらしい。「はぁ」とため息をつき、頬に片手をそえる。


山羊魚やぎの大賢人様には、手酷く扱われましたから」


「アルゲディと僕は別人だよ」


「そう、ですね」


 話したくない内容であったのか、女性は早々に話を切り上げる。

 そしてルイテンに顔を向けた。彼女の表情は一転して、印象的な真紅のつり目を柔らかく細めて、人懐こい笑顔を浮かべる。


「あなたがルイテンね。私はスピカ。よろしく」


 スピカと名乗る女性から手を差し出され、ルイテンは遠慮がちに片手を差し出す。二人は握手を交わした。

 ルイテンはスピカの顔をじっと見る。やはり感じる既視感。


「あの、どこかで会ったことありますか?」


 ルイテンは問いかけた。

 スピカは目を丸め、しかし片手で口元を隠すと、くすくす笑いをもらした。


「クロエが妬いちゃうわよ」


 ルイテンは顔を真っ赤にした。ナンパのつもりで言ったのではないのだ。


「なんて、冗談よ」


 どうやらからかわれたらしい。ルイテンは既に真っ赤になっている自身の顔に熱が帯びるのを感じた。

 それと同時に、スピカの口からクロエの名前が出てきたことに気付く。既に二人は顔を合わせているらしい。

 

「中に入りましょうか」


 ルイテンはスピカに連れられて、乙女の宮の内部へと向かう。


 白を基調とした、清潔感のある宮の内部。豪華絢爛な調度品が並んでいる。

 ところどころ、斑点模様に色あせた箇所があるが、そういう意匠なのだろうかとルイテンは考えた。


 案内された先は応接室であったが、獅子の宮と比べてこじんまりしたものだ。最低限の調度品しか揃っていない。

 ルイテンの後に続き、ナシラが部屋の中に入り、扉を閉めた。

 メイドの気配も、乙女の宮にはない。ルイテンは首を傾げた。


 獅子の宮にはメイドが控えていた。12ある他の宮には訪れたことがないが、地位ある大賢人の住まいなのだから、メイドや使用人はいて当たり前だろう。

 現在、乙女の宮にいるのは、おそらく自分達三人のみ。ナシラは山羊魚やぎの大賢人代理なのだから、ここに立ち入ることは理解できる。

 スピカと名乗る女性は、一体何者なのか。


「あの、あなたは大賢人様なんですか?」


 ルイテンは問いかける。

 スピカは驚いてルイテンを振り返る。


「レグルスから聞いてないの?」


「聞いてないです」


 ルイテンは首を振る。

 スピカはナシラを見る。ナシラもまた首を振る。スピカはそれを見てため息をついた。


「もう、レグルスってば。教えておいてもよかったじゃない」


「彼はそんなに頭が回るような人物とも思えないけどね」


「あなたがレグルスをよく知らないだけで、彼は他人のことを考えるヒトです。最近は周りが見えていませんが」


 スピカはレグルスと仲が良いように見受けられる。対して、ナシラはレグルスとそこまで仲良くないのだろう。そして、スピカとも。


「あ、ごめんなさい。座って頂戴」


 ルイテンは、スピカに勧められて二人掛けのソファに腰を落とす。右側に寄り、身を縮こませる。スピカは、テーブルを挟んだ向かい側、ルイテンの正面にあるソファに座った。


「自己紹介するわね。私はスピカ・ヒュダリウム。わけあって、現法王の影としてここにいるの」


 唐突に語られたスピカの言葉に、ルイテンはポカンと口を開いた。

 法王の影とは、どういうことだ。


 スピカは眉尻を下げた。


「そうよね。急に言われてもよくわからないわよね。ごめんなさい。

 まずは、大賢人達が何故『喜びの教え』を追っているかということなんだけど」


 スピカは淡々と、そして早口に語る。だが、ルイテンの頭では理解どころか、言葉の意味を咀嚼することすらできず、ただ黙ってスピカの顔を見ている。

 スピカはルイテンの表情を見て考えを改めた。目的より、事の発端から話さなければならないと考えたのだ。


「順を追って説明した方がよさそうね。

 ナシラさん。私は二人の失踪を知らないから、説明お願いできますでしょうか」


「うん、仕方ないね」


 ナシラは頷く。

 ルイテンは緩慢な動作でナシラの方を向いた。ルイテンの間抜けな表情を見たナシラは、スピカの隣に腰かけながら小さく笑いをこぼす。しかし、すぐに顔を引き締めた。


「ルイテン君、関わると決めたのは君だからね。しっかり聞いてほしい」


 ルイテンは、自分が口を開けっ放しにしていることに気付くと、すぐに口を閉じた。膝に手を乗せ、前のめりになる。

 ナシラは語り始めた。


 「半年前だよ。ネクタルが姿を消したのは」


 聞き覚えのある名前だった。ルイテンは記憶の引き出しを探る。

 スピカは、テーブルの上に一枚の写真を置く。そこに映るのは、紫の巻き髪と、桃色の瞳をした小柄な女性。ルイテンには見覚えがあった。

 彼女はネクタル・サダルメリク。水瓶の一族に属する大賢人。先の『金色塔出現事件』にて命を落としたとされる先代の法王、さそりの大賢人から、その地位を引き継いだ大賢人である。


「ネクタル……サダルメリク……?」


 ルイテンの呟きに、ナシラは頷く。


「元々は、快活で世話焼きで、みんなに分け隔てなく接するような、『給仕の賢者』の名に相応しい女性だった。だが、法王となり暫くして、寝込んでしまうことが増えてね。公務以外は水瓶の宮に引きこもってしまって。

 そして三ヶ月前。突然姿を消してしまったんだ」


 ルイテンは首を振る。「嘘でしょ」と、そう思った。

 法王が失踪したなどという話、聞いたことがない。何より、彼女の姿はよく見ていた。歴史の教科書に載った写真、雑誌のコラムに載った写真など。最近発行されたであろう、街のパンフレットにだって載っていたはずだ。


「いや、でも昨日パンフレットで見ましたよ。クラウディオスを紹介する写真と一緒に」


「この写真と同じ人物かい?」


 ナシラは試すかのように尋ねる。

 ルイテンは自信を持って頷いた。


「同じですよ。法王様の印象的な赤眼、見間違えるはすがないですから……」


 ルイテンは写真に視線を落とし、気付いた。

 写真に映る人物の瞳は桃色。記憶の中にある法王の目とは違う色。パンフレットにあった写真には、赤眼の女性が映っていた。

 

 ルイテンはハッとしてスピカを見る。

 スピカに感じていた既視感はだと、今気付いた。


「背格好が似てるからって、ネクタルさんのフリを頼まれたのよ。私も、ネクタルさんにはお世話になったから」


 ルイテンはパンフレットを思い出す。朧気な記憶しかないが、パンフレットに載っていたネクタルの赤眼は、確かにスピカと同じものだ。黒髪はウィッグで隠していたのだろう。


「私とネクタルさん、顔は全然似てないのに」


「仕方なかったんだ。宮殿の内部をよく知っていて、かつ背丈が同じくらいの女性といったら、君しかいなかった」


 スピカのため息に、ナシラはそう返す。

 ルイテンは生唾を飲み込んだ。自分が想定していた以上に、深刻な問題なのだと思い知ったのだ。


「でも、それと『喜びの教え』に、何の関係が?」


 ルイテンは問う。

 スピカは続けて、二枚目の写真をルイテンに見せた。

 そこに写るサテュロスの男性は、白髪に覆われているため一瞬年寄りかと思ったが、写真に写った顔をしっかりと見れば壮年の男性だとわかった。頭には、山羊に似た角と耳。ナシラによく似ている。


「彼は、アルゲディ・パニコン。僕の弟だ」


「弟……」


 ルイテンは呟き、写真を見る。

 ナシラは腕組みしてため息をついた。


「愚弟も半年前から行方不明でね」


「行方不明……」


 ルイテンは呟く。

 ナシラは恨めしそうに写真を見下ろす。


「以前、一度だけ連絡を寄越してきた。ネクタルは『喜びの教え』にいるとね。それを鵜呑みにするわけじゃないけど、他に情報もない」


「だから、大賢人のみんなは『喜びの教え』を追ってる。今回クロエの保護をするというのも、大賢人側に理由があるからなのよ。本当に、ごめんなさい」


 ルイテンはスピカを見た。スピカは目を伏せて、ルイテンに顔を向けられないでいる。彼女は、ルイテンを利用するなんてこと、したくないのだ。しかし、今語った情報が事実なのだとしたら、やむを得ないのだろう。

 ルイテンは覚悟を決めた。


「わかりました。クロエに火の粉が振りかからないように、此方こなたがしっかり立ち回ればいい」


 スピカは顔を上げる。ナシラがルイテンを見つめる。

 ルイテンはへらりと笑ってみせた。


「ナシラさん、次の指示をください」


 ルイテンは、自分自身の変化に内心驚いていた。

 クロエのためなら、何だってできる気がしたのだ。これが恋なのか愛なのかわからないが、クロエの存在が原動力になっていることは自覚していた。

 我ながら滑稽だよなと、ルイテンは自嘲する。


「ルイテン、本当にいいの?」


 スピカは問いかける。


「結果としてクロエのためになるなら」


 ルイテンはそう答えた。

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