揺れるクロノメーター⑦
ルイテンは、獅子の宮へと戻るなり、ジャコビニ社長から聞いた話をレグルスに伝えた。
教団は五年以上前から存在していたかもしれないこと。
教団の支部は四か所に散らばっていること。
教団の頂点である『歓楽の乙女様』が、クロエを欲していること。
ジャコビニ社長は、それに抗いクロエを守ろうとしていること。
ただし、社長が抱える、クロエに対しての恋慕は伏せておくことにする。
レグルスはルイテンの報告を聞いたために、更なる混乱に見舞われたようだった。
「社長は、『喜びの教え』の教団員でありながら、クロエを保護しようとしているってことか」
「はい。理由はわかりませんが、そういうことみたいです」
ルイテンは、嘘をつくことに後ろめたさを感じたが、それを顔に出すことはなかった。自分が感情を表に出す質ではないことは自覚していた。それが、こういう時に役に立つものだということも。
レグルスの隣で、ナシラはくつくつと笑っている。
「ルイテン君、なかなかいい働きをしてくれるじゃないか。レグルス、今回のことは不問にしておくよ」
「こいつは、お前のオモチャじゃねぇんだぞ」
レグルスが毒づく。ルイテンは、よほどナシラに気に入られたようだ。レグルスはそれが面白くない。聞こえよがしに舌打ちをした。
ルイテンは、応接間の中を見回す。クロエは既にいない。帰ったのだろうか。
その疑問には、ナシラが回答した。
「クロエさんなら、ジャコビニ出版へ電話するというのでね、別室に行ってもらってるよ」
騒ぎが大きくなる前に、自分が無事であることを社長に伝えるつもりなのだということだ。そのための電話だろう。クロエには悪いことをしたなと、ルイテンは申し訳なく思った。
「さて、君はよく働いてくれた」
ナシラにそう言葉をかけられ、ルイテンは顔を上げる。
ナシラはにっこりと微笑んでいた。
「君には、僕個人からお礼をしたいと思っているんだけど、何がいいかい?」
ルイテンは目を瞬かせた。
報酬欲しさに働いたわけではない。全てクロエのためと思ってやったことだ。クロエが安全に暮らせるのであれば、ルイテンにとってそれ以上の報酬はない。
だからこそ、この願いを口にした。
「あの、なら、引き続きクロエを見守ってほしいです。
なんとも無欲である。ナシラもレグルスも、これには驚いたし、呆れもした。
「お前の望みがなくたって、大賢人はそうするつもりだ」
「そうそう。クロエさんはカルトに狙われている。ならば、彼女を見張るということは、カルトに近付くことにもなるからね」
ルイテンは首を振る。自分が言いたいのは、そういうことではないのにと。ただ、自分の代わりに守ってほしいだけなのにと。
そこで、疑問が生まれた。
彼らはなぜ『喜びの教え』を追っているのだろうかと。
たった一人の少女を守るためであるはずがない。以前から『喜びの教え』を追っていたのであれば、彼らには何か理由があるはずだ。
ルイテンは、意を決して問いかける。知らなければいけない気がしたのだ。
「あの、何故大賢人様方は、『喜びの教え』を追っているんですか?」
レグルスは、ルイテンが疑問を抱く可能性を考えていなかったのだろう。面食らい、口を閉ざす。どう答えるべきか迷う。
だが、ナシラはこの質問を想定していたらしい。ルイテンの問いに対し、すぐさま首を振った。
「それは教えられない」
はっきりとした拒絶の言葉だった。
ルイテンは引き下がらない。ルイテン自身、『喜びの教え』に所属し、彼らを裏切っているのだ。彼らに抵抗するためには、情報が必要だと考えた。クロエのためだけではなく、自分のためにも。
「じゃあ、今回の報酬として教えてください。お願いします」
しつこいくらいに食い下がるルイテンに、ナシラはひたすら拒否をする。
「駄目だよ。一般人には教えられない」
「大賢人の指示でスパイをした僕が、一般人ですか?」
卑怯な言い方だったかもしれない。ルイテン自身、自分の口から脅しめいた言葉が出てくるとは思わず、慌てて口を片手で覆う。
室内の空気が冷える。大賢人の二人は何も言わない。
ルイテンは自分の発言を後悔した。自分からスパイになることを望んだ癖に、卑怯にもそれを利用し揺さぶりをかけているこの状況。不敬だと言われても仕方ない。
だが、彼らの反応は、意外にも好意的なものだった。
「お前、案外図太いよな」
レグルスは小さく笑いを洩らす。
「あっはは。いいね、君。実にいいよ」
ナシラは腹を抱えて大笑いしている。
ルイテンは、自分の発言が好意的に受け止められるとは思わず驚いていた。あわあわと唇と震わせて言葉を探す。
「あ、あの」
「結構、結構。そこまで言うなら、この件に関わる覚悟があるということだね?」
ナシラはルイテンをじぃっと見つめる。ルイテンは背筋を伸ばし、少しだけ考える。
この問いかけに肯定すれば、きっと自分は大賢人達に拘束されてしまう。それがいつまで続くのかわからない。
だが、何も知らないまま帰れば、カッシーニの教団支部から追われるかもしれない。その時に自分が抵抗できるとも、誰かが守ってくれるとも限らない。
師匠であるディフダはきっと守ってくれるだろうが、彼とルイテンは、本来赤の他人だ。自分の事情に彼を巻き込みたくないと、そう思った。
それは全てルイテンの言い訳であることも、ルイテンは理解して。
自分の意志でそうすることを決めた。
「はい。覚悟はあります」
レグルスはナシラに目配せする。ナシラは頷くが、今ここで説明するつもりはないようだ。立ち上がって、服のシワを払って身なりを整える。
「一緒に来て欲しい」
「何処へ?」
ルイテンは、尋ねると同時に立ち上がる。
「乙女の宮だよ」
ルイテンは目を瞬かせる。
今朝立ち寄った、乙女の宮。そこに何があるのだろうか。
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