クルスカル図を描いて⑩

 リュカに連れられ、ルイテンは寂れた工場跡へとやって来た。

 開け放たれたドアから入る。しんと静まり返る工場内に、ドラスの声が響いた。


「あんた、あいつに興味ねぇんすよね。便利だから使ってるだけで」


 ルイテンは訝しむ。何の話をしているのか、問いかけている相手が誰なのか、ルイテンにはわからない。ルイテンはリュカに目を向ける。

 リュカは至って冷静で、樽状の機械の影に隠れて、ルイテンを手招きする。隠れながら近付くつもりなのだ。

 ルイテンもその思惑に気付き、忍び足でリュカまで近付いた。まだドラスには気付かれていない。


 目の前には、光でできた紐が浮いている。リュカの輝術きじゅつのお陰でこの紐が見え、ドラスの居所を知ることができた。

 だが、もう必要ないだろうと、リュカは判断した。目の前に浮いている紐を片手で掴む。それは、さらりと霧散して消え去った。


「最初はそうだった。でも、今は違う」


 クロエの声が聞こえる。

 ルイテンは身を乗り出す。機械の影から顔を出して、その向こうを見る。

 

 ドラスの背中があった。壁に向かって話しかけている。

 否、ドラスの体に隠れて、クロエの巻き髪がちらつくのが見えた。ルイテンは駆け出しそうになるが、リュカに腕を捕まれ止められる。


「今は、大切な友達だと思ってる」


 ドラスは何を思ったのだろうか。表情が見えない以上、ルイテンにはわからない。ただ、彼は酷く苛立っているようで、壁に拳を打ち付けていた。

 あんなにも苛立っているドラスは、ルイテンも見たことがない。


「なら、もう解放してやってくれっす。あいつは教団のもんだ」


「言われなくても、もう、関わるつもりないから」


 リュカの制止を振り切って、ルイテンは駆け出した。


「あ、こら」


 廃工場に足音が響き、ドラスもクロエも、辺りを見回した。


「ルイ!」


 ドラスとクロエの声が重なった。

 ルイテンは、二人の間に体をねじ込む。クロエを庇うかのように、彼女の体を背中側に隠した。


「ルイ、あんた……」


 ドラスは困惑する。ルイテンの目が、ドラスを睨み上げていたのだ。

 ルイテンは口を開く。言葉に迷ったが、ややあって一言呟いた。


「『喜びの教え』は、人を幸せにするための教えだと思ってた」


 ドラスは口を閉ざす。ルイテンの言葉に対して、同意も反対もない。ルイテンの中で、不信感が膨らむ。


「女の子追い回して、邪魔するやつは殺していいみたいな考え、此方こなたは賛同できない」


 ドラスはやはり何も言わない。


「あの時の贖罪だって。ケイセルから助けてくれたのはドラスだけだった」


 ルイテンの声が小さくなる。

 自分の感情を伝えたらどうなるのか。ドラスは腹を立てるのか。不安だったが、言わずにはいられず、小さく口を動かした。

 

「ドラスへ感謝はしてる。けど、教団に戻りたいとか、認めてほしいとか、そういうのはもう……ないんだ」


 ルイテンは腹をおさえる。既に傷はなくなっているが、蹴られた痛みも、斬られた痛みも、覚えている。

 誰かを痛めつける宗教が良いものだとは思えない。何より、クロエを攫おうと企む教団を信用することは、もうできなかった。


「悪いけど、此方こなたは教団を抜ける」


 ドラスの顔を見上げる。

 ドラスの顔には困惑と驚愕、それはやがて焦りに変わる。

 ルイテンはクロエを振り返る。クロエに後ろを向かせると、腕を縛る縄を解くため結び目に手をかけた。

 縄の結び目は案外緩い。手首を傷つけないようにするための配慮だろう。ルイテンは、縄をするりと解いていく。


「あの、ルイ……」


 クロエはルイテンに声をかける。その声の震えを、ルイテンは不安によるものだと解釈した。


「大丈夫。ドラスはわかってくれるから」


 ルイテンは、ドラスを振り返ることなく作業を続ける。そのくらい、ドラス個人に対しては信用を置いているのだ。


「いくら親友つっても、信用しすぎっすよ」


 ドラスの声が聞こえた。

 次の瞬間、後頭部に衝撃を受けた。ルイテンは途端に目眩を感じ、クロエの背中に寄り掛かる。


「ルイ?」


 クロエは、途中まで解かれた縄を自力で解き、ルイテンを振り返る。

 ルイテンの目を見れば、焦点が定まっておらず、瞳が揺れていた。


「大丈夫っすよ。殺す気なんてねぇっす」


 クロエはドラスを見上げる。

 彼の顔は冷たく、無表情が貼り付けられていた。


「ルイも、教団から抜けられちゃ困るんすよ。あんたら共々、教団うちに来てもらわねぇと」

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