クルスカル図を描いて⑪

「ああもう、見てられない!」


 リュカは物陰から飛び出した。

 説得できるなら見守ろうと思っていたのだが、このざまだ。やはり、自分の介入がなければ、解決は難しいと判断した。


 リュカは走りながら、一本のナイフを投擲する。それは真っ直ぐドラスへと向かう。

 ドラスはリュカの存在に気付いた。その場から飛び退いてナイフをかわす。ナイフは地面に弾かれて転がる。


「え? な、何?」


 クロエはルイテンを抱え、身を縮こませた。突然出てきたリュカに、驚きを隠せない。


「ああ、やっぱり俺、泳がされてたんすね」


 ドラスは冷静に呟いた。

 目の前に現れたワーウルフの女性を見て、へへっと笑う。


「あの時、あっさりあんたが引いたから、おかしいと思ってたんすよ」


「『喜びの教え』の拠点を暴きたかったからね。ただ、それも難しそうだけど」


 リュカの目は、ドラスの首につけられた首輪へと動く。

 それこそが、リュカがかけた輝術きじゅつ。首輪をつけた相手を追う、『失せもの探し』の輝術きじゅつであった。


「ルイが俺を説得しきれないから仕方なく出てきたって感じっすか」


「ちょっと違うね。

 その子クロエを攫った時点で、あんたらの処遇は決まってた。ただ、残念ながら、こちらは仲間がまだ到着してないのよ……ね!」


 リュカは再び駆け出す。ハルバードを持たない丸腰の相手なら、勝てると判断したのだ。

 

 距離を詰め、ドラスの腹へナイフを突き出す。ドラスはナイフを易々とかわす。

 ドラスは両手を組んで握り、リュカの頭に振り下ろす。リュカはその大振りな動きを難なく読み取り、無理無くかわした。

 リュカが足を踏み込んだ先。投擲したナイフが転がっている。それを拾い上げ、直ぐ様投擲。ドラスはそれを腕で受け止めた。

 ぐさりと、腕に切っ先が刺さる。ドラスは、突き刺さったそれに酷く顔を歪めた。ナイフを乱暴に引き抜く。

 リュカは再びドラスに迫り、ナイフを振るう。狙うは彼の太腿。彼ほどの巨漢であれば、脚への傷は常人以上の負担だろうと判断してのこと。


「イーズ、まだっすか!」


「描けた! 出すぞ!」


 物陰に控えていたイーズから声があがる。途端に、彼が持つスケッチブックが煌めいた。

 リュカは反射的に飛びずさる。次の瞬間、ドラスとリュカの間に、深い池が出現した。

 イーズと名乗る賢者、彼は画家の一族であった。

 絵描きの画家とはまた違う。画家の賢者は、描いたものを実現させる輝術きじゅつを使う。

 リュカの目の前に現れたものは、彼の輝術きじゅつにより作られた池であった。


「私を溺れさせようって?」


 リュカはそれを鼻で笑う。

 負傷させるのであれば、茨や棘など、より適したものがあっただろうに、イーズが出したものは池である。自分を嵌めるには、あまりにお粗末ではないかと、リュカは思ったのだ。

 だが、ドラスもイーズも何も言わない。


 ドラスは突然、凪いだ水の中に手を突っ込んだ。


「すくい上げし賢者、我が名はドラス・ラカーユ」


 辺りに光が舞う。それはドラスの周りを踊ったかと思うと、瞬時に水の中へと吸い込まれていった。

 

 ドラスの手が何かを掴む。

 掴んだまま、手を引き揚げる。ずるりと、それが水の中から取り出された。


 巨大な斧槍、ハルバード。ドラスは、自身の背丈以上に長いそれを軽々と振り上げ、肩に担いだ。


「賢者か……」


「俺、南の魚の家系なんすよ。この輝術きじゅつ、水鏡の中に物を隠しておけるんで、なかなか重宝してるっす」


 イーズが描いた池は、リュカを嵌めるためのものではない。ドラスが武器を取り出すためのものだ。


 リュカは舌打ちした。

 相手は長柄の武器を手にしている。対して、リュカの武器はナイフ。勝算が見えない。


「で、どうするんすか。それで、こいつの相手できねぇっすよね」


 ドラスは言い、ハルバードをちらりと見遣る。相手にならないと、暗に示していた。


「ええ、確かに私じゃ相手にならない」


「なら……」


「でも、あの子ならどうかしらね」


 リュカの口角が上がる。

 ドラスは気配を感じ、瞬時にハルバードで気配を受け止めた。

 

 鈍い音が響く。

 ドラスの頭上から、長棍が振り下ろされていた。両者ともに弾かれ、互いに飛び退き距離を離す。


「待たせてごめんなさい!」


「全くよ」


 屋根の梁から飛び降り様に攻撃したのはファミラナだった。彼女は長棍を下向きにかまえ、じっとドラスを見据える。


「少年の相手は任せる。私は、画家気取りに話を聞かなきゃね」


 リュカはイーズの元へと早足に近付く。イーズは怯み、体を強ばらせた。


「あー、あいつダメっすね」


 ドラスはそう言いながらも、戦いを辞める気はないらしい。

 ドラスが大股で踏み込む。一歩踏み込むのみで十分。ハルバードの範囲内にファミラナはいる。

 ハルバードが振り下ろされる。ファミラナは左に飛びずさってかわす。空振りしたハルバードは地面を抉り、足元に亀裂が走る。

 ファミラナは長棍を突き出した。振り下ろしたままの姿勢でドラスは動けず、腹に突きを受けてしまう。

 だが、筋肉質な体にはさして効かず。ドラスは再びハルバードを持ち上げた。横に薙ぐ。

 ファミラナは長棍で受け止める。だが、長棍の方が脆い。ぐわんとしなる。

 長棍が折れる前に、ファミラナはハルバードの刃を片足で踏みつけた。


「ぐ……」


 元のハルバードの重さに、ファミラナの体重がのしかかる。ファミラナは華奢であるものの、ヒトの体重とは馬鹿にできないもので、たったそれだけであるのに持ち上げることが難しくなる。

 ドラスの動きが鈍った瞬間を見逃さず、ファミラナは直ぐ様長棍を振るった。薙いだ長棍はドラスの側頭部をはたく。

 ドラスはその衝撃に一瞬目眩を起こした。火花が散る視界の中、ファミラナの追撃が入る。


「っ……」


 横面をはたかれ、ドラスは膝をついた。


「さあ、退いてください」


 ファミラナは言う。ハルバードから足をおろす。

 ドラスはふらりと立ち上がる。だが目眩のせいで、その場にどうと倒れてしまった。


「リュカさん、そちらは?」


 ファミラナはリュカに問う。


「こっちも終わった」


「いでででで」


 リュカはイーズを後ろ手に縛り、無理矢理立たせる。掴まれた腕の痛みに、イーズは悲鳴をあげた。


「ルイ。ルイ、大丈夫?」


 ファミラナはルイテンを見る。

 クロエがルイテンの頬に触れながら声をかけている。ルイテンは脳震盪を起こしているようで、朧気な表情で浅い息を繰り返している。


「ルイ、立てる?」


 ファミラナは訊くが、ルイテンはゆるゆると首を振った。


「無理、です……気持ち悪い……」


 ファミラナは仕方ないとばかりにため息をつく。ルイテンの正面に屈むと背中を向けた。クロエは、ファミラナの背中にルイテンをあずける。

 ファミラナがルイテンを背負い立ち上がる。気を失いかけたヒトの体は、やけに重たい。


「とりあえず、ホテルに行こうか」


「馬車は用意してありますか?」


「そろそろ来る頃だと思う」


 ファミラナとリュカは、呑気にそんな話をしているが、クロエはドラスを見ておろおろとしている。彼も教団員であれば、連れていかなければならないのではないかと、そう思ったが訊けないでいる。

 そんなクロエの様子に気付いたファミラナは、首を振ってみせた。

 続けてリュカが言う。


こいつイーズが手に入った。とりあえずはそれでいいわ」


 言っている意味がわからず、クロエは首を傾げた。


 やがて、工場跡地に一台の馬車がやってきた。五人はそれに乗り込み、馬車はゆっくりと走り出す。

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