クルスカル図を描いて⑦

 大通りを抜け、裏路地に入り、まだ進む。やがて二人は住宅地へと入っていく。

 辺りにはアパートが並んでいるが、どの窓も締め切られており、明かりもついていなかった。留守の家が多いらしい。 

 ルイテンはクロエの案内を受けながら、クロエが住み始めたという社員寮を目指していた。


 ドラスは、ワーウルフの女性に足止めされているようである。追いかけてこない。

 そのため、二人は歩きで社員寮へと向かっていた。無論、歌声は途切れさせていないが。


 ルイテンは歌いながらもクロエの手を見つめる。握った彼女の手は、普段ほどの力が伝わってこない。ルイテンが一方的に手を握っているかのような感覚……信頼が崩れてしまったからだろうかと不安を抱く。

 やがてクロエは立ち止まった。ルイテンもそれに合わせて歩を止める。


 クロエはルイテンの顔をじっと見つめた。


「ルイ、答えて」


 クロエは言う。

 真剣な顔つき。視線は射抜くように痛い。

 ルイテンは歌を止めた。途端に光は地に落ちて、風に煽られ消えてしまう。

 クロエの顔を見るのが怖くて、ルイテンは足元に視線を落とした。


「こっちを見て」


 クロエは、ルイテンの両頬を両手で挟み、自分を見るように促した。

 逃げるなと言われているようで、ルイテンは瞳を震わせた。胸の内でざわめくのは恐怖だ。


「ルイは、私が何に追われてるか知ってたの?」


 ルイテンは答えを躊躇う。だが、クロエ本人に睨まれていては、答えないわけにもいかない。ゆっくりと口を開いて、掠れた声で一言。


「……知ってた」


 クロエは呆れてため息をつく。


「だから毎回、追っ手にいち早く気付いてたの?」


「……うん」


「何で言ってくれなかったの」


「それは……」


 ルイテンは言い淀む。

 クロエを怖がらさせたくない。不安を抱かせなくない。それはルイテンの身勝手な思いであって、言い訳に使うべきではないのだ。

 クロエは暫く待つのだが、ルイテンから返答がないとわかると質問を変えた。


「『喜びの教え』って、何?」


 ルイテンは口を開き、しかし答えが纏まらず口を閉じる。

 クロエは暫く待っていた。何から追われているのか、はっきりさせたいのだ。ルイテンには、クロエの思いがわかっているからこそ、この質問にはきちんと答えるつもりでいる。


「『喜びの教え』は、『ユピテル教』とは違う教えを説いている新興宗教だよ。『歓楽の乙女様』を指導者として崇めてる」


 クロエは眉を顰めた。

 宗教国家であるアステリオスで、異教を信仰するなど異端であった。

 そして、ルイテンの話を信用するならば、その教団員は今まで何度もクロエを襲ってきたということになる。


「それって……カルトじゃないの……?」


 クロエの口からそんな言葉が出てきても不思議ではない。

 ルイテンは首を横に振る。


「カルトじゃない」


 否定しなければ、ルイテン自信がカルトの一員だと言われているようで悔しかった。

 クロエは、ルイテンへ更に問いかける。


「じゃあ、何で『喜びの教え』は私を追ってるの? ルイやファミラナさんを殺そうとしてまで……何が狙いなの?」


 ルイテンは口を閉ざす。

 それについては全くわからない。説明のしようがないのだ。


「……わからない」


 クロエはルイテンを疑う。じぃっとルイテンの顔を見つめる。


「嘘。ルイはカルトにいたんでしょ」


「本当にわからないんだ」


 ルイテンは、再度頭を横に振る。海色の髪が揺れ、うつむいた顔を前髪が覆い隠す。


此方こなたが聞いたのは、光悦茶アンバー色の髪と虹色の瞳を持つ女を連れて来いって話だけ。それを知ったのだって、クロエと初めて会った次の日のことだ。

 此方こなたは手を引けって言われた。でも、クロエを助けたことを、間違いだなんて思いたくなかった。

 だから、クロエを放っておけなかったんだ」


 きっかけは、ルイテン自身の身勝手からだ。放っておけないから助けただなんて、優越感を満たすための行為だ。それでも、クロエを助けたいと思うこの感情は本物だと、そう思いたかったのだ。


 クロエは、ルイテンの前髪を指で押し上げる。

 ルイテンの瞳に、じんわりと涙が浮かんでいる。クロエはそれを見て小さく笑った。


「ルイは、私の味方なんだよね?」


「味方だよ」


 ルイテンは即座に、はっきりとそう答えた。それは決して曲がることがない、ルイテンの決意だ。

 

「わかった、信じる」


 ルイテンは表情を弛めた。途端に涙を溜めきれなくなって、ぽろりと雫が頬を流れ落ちた。


「もー。何で泣くのよー」


「いや、ちがくて……これは……」


 ルイテンは袖で無造作に涙を拭う。

 そこへ。


「ふぅん。君、姿消せるの? 面白いね」


 突然聞こえた声に、ルイテンは振り返る。

 路地裏の暗がり。そこにいたのは一人の男性。

 ルイテンはクロエを庇うようにして、男性の正面に立つ。


「誰ですか?」


 見知らぬ人物である。だが、警戒しておくに越したことはない。


「現を描きし賢者、我が名はイーズ・カプタイン」


 男性はノートとペンを取り出し、サラサラと何かを書いていく。敵か一般人か判断しかねて、ルイテンはその場から動けない。

 クロエをちらりと見遣る。彼女だけでも逃がすべきではないか。だが、自分の目が届かないところで、クロエが危険な目に遭うことを恐れ、指示を出すことができない。

 それが間違いであった。


「できた」


 イーズがそう言った瞬間。

 何も無かったはずの頭上から、巨大な檻が降ってきた。


「っ!」


「きゃっ!」


 ルイテンは反射的にクロエを突き飛ばす。クロエはその衝撃で地面に倒れてしまった。

 地面と鉄がぶつかる重々しい音。ルイテンは思わず頭を抱えた。

 頭に何かぶつかるということはない。だが、身動きがとれなくなっていた。


「ルイ!」


 クロエはルイテンに駆け寄るが、ルイテンを囲むように落ちてきた鉄格子に阻まれてしまう。

 ルイテンは、頭上から落ちてきた檻に閉じ込められてしまったのだ。


「女の子を捕まえようと思ったんだけど、まぁいいか」


 イーズがクロエに迫る。クロエは肩を震わせた。


 ルイテンは歯噛みする。

 檻には鍵どころか扉さえない。持ち上げようにも、鉄の檻はあまりに重くてびくともしない。今の自分にはなにもできない。


「クロエ、逃げて」


「でも」


「逃げろ!」


 ルイテンは声を荒げる。

 クロエは目をきつく閉じた。ルイテンの覚悟を見て、弾かれたように走り出す。

 だが。


「はいはい、逃げないでね」


 イーズは容易くクロエを捕まえる。彼女の腕を掴み、後ろにひねり上げ、口元をハンカチで押さえた。

 何かの薬でも塗られていたのだろう。クロエは暫く暴れていたが、呼吸を繰り返すうちに大人しくなった。その目が閉じられ、体はだらりと脱力する。


「クロエ!」


 ルイテンが叫ぶ。

 自分のせいだと。ルイテンは胸中で自分を罵った。様子見などせずに、すぐに逃げ出せば捕まることなどなかっただろうにと。


 突然のことだった。

 脱力したクロエの体が、淡く光り出した。


 否、彼女の髪が、先日の夜と同じように、虹色の光を放っていたのだ。


「ああ……ああ、これは……」


 イーズは、腕の中で気を失っているクロエを見て、薄く笑う。

 やがて、クロエの光はおさまり、元の光悦茶アンバー色に落ち着いた。


「ああ、だから乙女様は、この子を探していたのか」


 そう呟いて、イーズはクロエを横抱きにし、路地を進む。


「返せ! クロエを返せ!」


 ルイテンは鉄格子を掴み、力の限りに揺さぶった。

 その程度で鉄格子が壊れるはずもなく。


 辺りに、ルイテンの声と金属音が響いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る