クルスカル図を描いて⑥

 ルイテンは言葉に詰まる。

 一体何なのかと問われても、今この場で、一から十まで説明する時間などない。

 ルイテンはドラスをちらりと見た。彼はただ窓に寄りかかり、ルイテンの顔をじっと見ている。


「今はそれより」


 逃げようという言葉が出てこない。クロエに睨まれているからだ。


 自分の正体を言えないのは、クロエの目を恐れているからではないのか。

 不安を与えたくないと言って、その実、自分が恐れているだけなのではないのか。


 などと。

 ルイテンの脳内では、ぐるぐると思考が掻き混ぜられていく。


「ルイ、あんたが言えねぇなら、俺が説明してやるっすよ」


 ドラスを見る。

 その声も、顔も、いつもと同じ。ルイテンを心配して庇護するかのような、穏やかなもの。

 ルイテンは首を振る。ドラスに説明させてはいけない。これはあくまで、ルイテンとクロエの問題だと。そう思って……


「ルイは、『喜びの教え』の教団員。でも、あんたのために教団を裏切ってるんす」


 ドラスは語る。クロエは振り向き、ドラスを見る。


「ルイは、あんたを守ろうとしてるんすよ。

 ケイセルからのを受けても懲りねぇなんて、バカっすね、ルイは」


 クロエはルイテンに視線を戻す。その目は、いまだ疑いの色が濃い。

 ルイテンはギリと歯軋りした。


 こればかりは、親友と言えど許せない。


「ドラス! なんで勝手に!」


「あんたが臆病風吹かせてるからっすよ」


 ドラスの腕が動いた。柄の長い何かを振り上げ、それを壁に叩きつける。

 突然、壁が轟音を立てて吹き飛んだ。


「危ない!」


 ルイテンはクロエの手を引き、腕の中に引き寄せる。飛び散る破片からクロエを守ろうと、彼女の体を抱きしめて覆い被さる。背中に細かな石粒がぶつかるのを感じるが、大きな欠片が襲いかかってくることはなかった。

 クロエは目を見開く。ルイテンの行動にも驚いたが、それ以上に、ルイテンの後ろに見える光景に驚愕していた。


「クロエ、お願いだから。今は此方こなたを信じて」


 ルイテンは顔だけで振り返る。

 ドラスは親友だ。だからこそ、彼のことはよく知っているのだ。


 打ち壊されたレンガ壁。そこからヌッと出てきたのは、見上げるほどに巨大な体躯。

 ドラスは――どこから取り出したのか――身の丈以上に大きなハルバードを担いでいた。


「まずいまずいまずい」


 ルイテンは慌てる。

 かつて、ドラス本人から見せてもらったことがあった。

 ドラスは賢者だ。自身の武器であるハルバードを、どこからともなく取り出して素振りをしているところを、ルイテンは一度だけ見たことがあった。

 否、と。ルイテンは思い返す。ドラスはそれをから取り出していたはずだ。それが何処か、思い出せない。


「どうするんすか」


 ドラスが問う。

 ルイテンはクロエを見る。


 クロエは疑念を目に浮かべてはいるものの、ルイテンを見上げて手を握っている。

 ルイテンの手を、握っているのだ。


「ドラスは此方こなた輝術きじゅつを知らない」


 ルイテンはクロエに耳打ちする。


「歌い出したら走る。いいね」


 有無を言わせない言葉。クロエは小さく頷いた。

 ルイテンは息を吸う。


「よそ見してっと……」


 ドラスはハルバードを振り上げる。斧の部分を下に向け、振り下ろした。


 轟音が響く。地面に叩きつけた斧は、石畳を砕く。

 ルイテンの足元、ギリギリを攻めた振り下ろし。ルイテンを外したのは、言うまでもない。ルイテンはぞっとした。


「俺は、あんたとやり合いたくねぇんすよ」


此方こなただって……!」


 ルイテンは、悲痛な声で叫ぶ。


 その時、突然空から人影が落ちてきた。


「うおっ!」


 人影はドラスの首にしがみつき、落下の勢いに任せて彼の巨体を引き倒す。

 女性だ。狼の耳を頭につけている。ワーウルフだろうか。

 ルイテンもクロエも、目の前で起きた出来事に唖然とした。


「逃げろ!」


 ワーウルフの女性が叫ぶ。

 ルイテンは弾かれたように走り出した。


「クロエ、行こう!」


「え、あの人は」


「いいから!」


 ルイテンは息を吸う。姿をくらますために歌い始める。二人の体に光が纏う。

 二人は走ってその場を離れた。


「……あぁ、めんどくせぇことになったっすわ」


 ドラスはよろりと立ち上がる。その首には、いつの間にか首輪がつけられていた。

 ワーウルフの女性は、ドラスが立ち上がるや否や、飛びずさって彼から離れる。華奢な彼女では、大男とまともに組み合ったら勝てない。


「何すか、つーか、誰っすか、あんた」


 女性は口の端を吊り上げる。


「年上への礼儀がなってないね、少年」


 そう言って、腰ベルトからダガーナイフを抜く。


叛逆はんぎゃくの賢者、リュカ・アルカディア」


 リュカはナイフを逆手に握り、ドラスの懐へと飛び込んだ。

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