クルスカル図を描いて④

 光悦茶アンバー色の髪を三つ編みハーフアップにしたクロエは、ルイテンを振り返って子供のように無邪気に笑う。張り切ってお洒落をしたのだろう。凝った髪型は一目で手間をかけていると見受けられる。春らしい、ピンクベージュのワンピース。ふわりと裾を広げて、その場でくるりと回る。


「時計塔、すっごいねー!」


 時計塔の正面で、クロエははしゃいでそう言った。

 ルイテンはクロエに置いて行かれまいと、彼女の元まで駆け寄る。


「五年前に改修したんだってね。昔は大賢人様のモチーフだったはずだけど、今は初代乙女のエウレカ様がモデルなんだっけ」


 クロエは、手に持ったパンフレットへ視線を落として言う。そこには確かに、クロエが言ったとおりのことが書かれていた。ルイテンは、パンフレットを横から覗き込む。

 クラウディオス観光の目玉、時計塔とアズテリスモス神殿。そして法王である、ネクタル・サダルメリクの写真。紫の巻き毛をした法王ネクタル、彼女の印象的な赤眼は、写真の中からルイテンを見つめ返している。

 ルイテンは時計塔を見上げる。文字盤の縁には竜が描かれ、太陽と月の装飾が置かれている。文字盤には窓が二つあり、十二時になると、両方の窓からからくり人形が出てくるのだという。その人形は、初代乙女の賢者を称する少女と、彼女を守った騎士をモデルにしたのだとか。

 現在の時刻は午前十一時。残念ながら、からくり人形を見ることはできない。


「来るのが早すぎたね」


 ルイテンはそう呟いて自嘲する。

 その時、カリヨンが音を鳴らし始めた。街中に響くかのような美しい音色。十一時を知らせるメロディに、二人は聴き入った。

 やがてカリヨンは演奏をやめる。耳に残る余韻にうっとりとしながら、2人はほうとため息をつく。

 クロエはルイテンの顔を見つめると、パンフレットを鞄におさめ、ルイテンの手を引っ張った。


「ねえ。十二時になるまで、あそこの通り回ってみない?」


 ルイテンは、クロエが指差す先を見つめる。そこは、洒落た店が立ち並ぶセンター街。


「うん、そうしよう」


 ルイテンが頷くと、クロエは輝かんばかりの笑顔を浮かべた。ぐいぐいとルイテンの手を引いて、センター街へと繰り出す。


「ちょっと、クロエ、早いよ」


 ルイテンは引かれるままにセンター街へと向かう。早足でクロエを追いかけ、彼女の隣に並んで歩く。

 センター街は道幅が広く、馬車がひっきりなしに走っている。足音や話し声で辺りは騒がしく、ルイテンは目が回りそうになる。


「こういうとこ、苦手?」


 クロエに問われ、ルイテンは首を振った。


「ん、大丈夫。ちょっとびっくりしてるだけ」


 やがて二人は、一軒の飲食店に立ち寄った。喫茶店のような外観だが、店先に立てかけられたメニューボードには、パンケーキのイラストが大きく描かれていた。パンケーキを専門として客に提供している店のようだ。

 店に入り、入口近くのカウンターへと向かう。ルイテンは、ベーシックな蜂蜜とバターのパンケーキ、クロエは苺とホイップクリームを乗せたパンケーキを注文した。飲み物は二人ともカフェラテだ。


 テラス席を希望すると、店先にあるパラソル付きのテーブルへと案内される。二人向かい合うように座り、街の風景を眺めながら、パンケーキが出来上がるのを待つ。


「ルイは、明日帰るの?」


 クロエに尋ねられる。ルイテンはおもむろに頷いた。


「うん。そのつもり」


 そう言ってみたものの、実際に帰ることができるかわからない。大賢人に、『喜びの教え』についての情報を提供するべきかどうか。優柔不断なルイテンは、いまだ決めかねていた。

 今日、ホテルに戻るまでには答えを出そう。そう思ってはいるものの、回答を後回しにしているという事実はルイテンを焦らせていた。


「あ、来たよ」


 クロエが店の入口を指差す。ウエイトレスがテラス席までやって来て、二人分のパンケーキを机に並べた。

 

 焼き立てのパンケーキからは、ふわりと湯気が昇る。

 ルイテンは自分のパンケーキを正面に引き寄せる。狐色のパンケーキに、ちょこんと乗ったバター。パンケーキの熱で溶けて、蜂蜜と一緒にとろりと流れる。

 パンケーキにナイフを入れる。パンケーキはしっかり厚みがあり、生地はふわふわと柔らかい。切り分けた面に金色の蜂蜜が染み込んでいく。

 一口頬張る。柔らかな食感。蜂蜜の強い甘さと、小麦の優しい甘さ。そこへ、バターの塩味が絡み合う。専門店の名は伊達では無い。あまりの美味しさに、ルイテンは目を見開いた。

 

 クロエのパンケーキを見れば、くるりと巻いたホイップクリームが溶けかけて流れていた。ナイフで切り分けた一欠片を、クロエはぱくりと頬張る。途端に彼女の顔は幸せそうに蕩けた。


「おいしいー。クラウディオスに来たら、ここのパンケーキは絶対食べようって思ってたんだ!」


「有名なの? この店」


 ルイテンは食べながら尋ねる。ルイテンはこういった店については疎いのだ。

 クロエは機嫌良く、頬を綻ばせながら頷く。


「パンケーキ好きの間では有名だよ」


「そうなんだ」


 淡白な返事をしたが、ルイテンはこの店のパンケーキをすっかり気に入っているようで、あっという間にパンケーキを一枚食べきってしまった。もう一枚もナイフで一口サイズに切り始め、蜂蜜に潜らせてぱくりと頬張る。


「そうだ。謝礼のことなんだけど」


 クロエは唐突に話を切り出す。

 以前、列車の中でクロエが口にしていた謝礼の話。ルイテンは本気にしていなかったが、クロエは真剣だったのだろう。

 ルイテンは首を振る。貰うべきではないと思った。


「いいよ、謝礼なんて」


「え?」


 クロエは首を傾げる。巻き髪がさらりと肩からこぼれる。

 ルイテンはクロエから目を逸らす。


此方こなたは、別にそういうのいらない」


「でも、それじゃ私の気が済まないし……」


 クロエは言う。

 ルイテンには不安があった。互いの関係を金銭で終わらせてしまうと、二度とクロエに会えなくなりそうだと。僅かでも繋がりを保っておくためには、謝礼を受け取るべきでは無いと。

 だが、クロエは申し訳なさそうに眉尻を下げている。ルイテンは少し考え、へらりと笑って言った。


「じゃあ、時計塔の入館料はクロエに任せていい?」


「そんなのでいいの?」


「いいの」


 クロエは渋々頷く。

 ルイテンは安堵した。少しでも、クロエとの関係を保てたような気がして。

 そう考えて、ルイテンははたと気付く。先程から自分はクロエのことしか考えていない。どうにか関係が途切れないようにと必死で、自分がみっともなく思えた。

 違う違うと、頭の中で呟いて、慌ててパンケーキを口に運ぶ。蜂蜜が喉に絡まり噎せてしまう。


「ルイ、どうしたの? 大丈夫?」


 そんなルイテンを見て、クロエは心配し顔を覗き込んでくる。

 虹色の瞳に見つめられ、ルイテンの心臓が大きく跳ねた。


「だ、大丈夫。蜂蜜が、喉、引っかかっただけ……」


 慌ててカフェラテで喉奥に流し込む。暫くそうしている内に落ち着いた。一連の行動があまりに滑稽で、ルイテンは赤くなった顔をクロエから逸らした。


 その時だった。

 ルイテンは目を見開く。


「まさか……」


 ルイテンの視界に、思わぬ人物が映りこんだ。

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