クルスカル図を描いて③

 部屋の扉を開け、男が一人入ってくる。

 掘りの深い顔、スキンヘッド、見た目は何処ぞの悪役だろうかと思うほどに厳つい。ルイテンは「ぴゃ!」っと言葉にならない悲鳴を上げて、強ばった体を更に縮こませた。


「グリード、遅せぇよ」


「年上に向かって、何だその言い草は」


 レグルスは、グリードと呼ばれた男に笑いながら声をかける。二人はどうやらよく知った仲らしい。グリードはレグルスの言葉にため息をつくものの、さほど怒ってはいないようだ。

 グリードはルイテンの側までやってくると、向かい合うように屈んだ。

 それでもグリードは長身で、椅子に座ったルイテンと同じ高さに目線がある。彼の力強い眼光に見つめられ、ルイテンは悪いことなどしていないにも関わらず、冷や汗が止まらなかった。


それがしは、癒しの賢者、グリード・アスクラピアだ。

 腕を見せろ。怪我をしているのだろう」


 癒しの賢者といえば、蛇使いの一族に属する大賢人だ。ルイテンはそれに気付いた途端、思考が麻痺してすっかり何も言えなくなってしまう。

 グリードに腕を引かれる。袖を捲り上げ、両腕に巻かれたガーゼと包帯を解くと、痛々しい縫合の跡がむき出しになった。両腕に大きな縫い跡が一筋ずつ。小さな縫い跡が散らばり、縫うほどではない極小の傷はガーゼで押さえられているだけ。

 まじまじと自分の怪我を見て、ルイテンは顔を顰めた。輝術きじゅつの効果で痛みはないはずだが、じくじくと痛んでいる気がした。


「一旦抜糸ばっしするぞ」


「え? え?」


 グリードは慌てるルイテンにかまわず、テーブルに治療器具を広げた。その中から、刃先が短いハサミを取ると、慣れた手つきで抜糸ばっしをしていく。

 今日の昼間に受けた傷だ。短時間で傷口が塞がることはなく、糸が抜けると再び傷口は開き、血が滲み出てくる。麻酔の輝術きじゅつが効いていなければ、痛みに呻いているはずだ。

 

 ルイテンは不安を隠さずグリードを見つめる。

 グリードはルイテンの傷に片手をかざした。


「この者の痛みを、苦しみを、癒し給え」


 グリードの言葉とともに、光が辺りに舞い始める。その光はルイテンの腕にまとわりつき、染み込んだ。

 まるでレコードを逆再生するように傷口がふさがっていく。やがて、何事も無かったかのように傷が消え、跡さえ残らなかった。

 ルイテンの腕に残った血液を、グリードはタオルで拭き取る。ルイテンは両腕を曲げ伸ばしして、肌の突っ張りがないことを確認する。

 綺麗に治っている。むしろ、傷なんて最初からなかったかのようだ。


「ありがとうございます」


「かまわん。他者を癒すのは気持ちが良いものだ」


 グリードは鼻息荒くそう語る。彼は本当に、他者に輝術を使えることが嬉しいようだ。機嫌良さそうに笑みを浮かべ、ルイテンから離れて治療器具の片付けを始める。


 袖を直しているルイテンを見ながら、レグルスは声をかけてきた。


「で、今回の治療費なんだが」


 ルイテンは「え?」っと、間の抜けた声をあげた。治療を受ける前に、金銭の話はなかったはず。大賢人の厚意により、無償で治療を受けさせて貰ったと思い込んでいたのだ。

 しかし、旨い話が簡単に転がっているはずがない。ルイテンはそう考え直し、鞄の中から財布を取り出そうとして鞄に片手を伸ばす。


「あー、いや。別にそういうんじゃねぇよ」


 レグルスはそれを止めた。ルイテンは首をこてんと傾げ、鞄を足元に置き直す。

 治療費と言いつつ、求めているものは金銭ではない。何が目的なのか。ルイテンは怪しむ。

 レグルスからの答えはすぐに返ってきた。


「俺らは『喜びの教え』を追ってる。五年前、突然湧いて出たカルト宗教。そいつらが何を目的に活動しているのか。突き止めるためにな。

 ルイテン、お前はそこに所属してるんだろ。知ってることを話してくれ。ちょっとしたことでもいい」


 ルイテンは喉を鳴らす。

 治療費を情報で支払えということだ。流石は外交を得意とする獅子の大賢人である。逃げ道を確実に塞いできた。

 

 ルイテンは悩む。

 大賢人による命である。無償で治療も行ってくれた。何よりクロエは追われている身なのだ。情報を提供すれば、クロエは保護され、降りかかる危険は少なくなるだろう。情報の提供者であるルイテンも、保護の対象になるかもしれない。


「それは……」


 ルイテンは悩む。

 『喜びの教え』には、親友であるドラスも所属している。彼に迷惑がかからないだろうか。

 ケイセルから守ってくれた、あの時のドラスの背中を思い出す。情報を提供するということは、彼への裏切りになるのではないか。


「少し、考えさせてください……」


 ルイテンは、か細い声でそう言った。


「……わかった」


 レグルスは頷く。


「だがレグルス」


「予想の範囲内だろ。ゆっくり考えてくれりゃいい。何も言わねぇからって、責めるつもりもないしな」


 グリードの呆れ声に、レグルスは首を振って返す。

 ルイテンは、レグルスの柔軟さに安堵した。

 

「ただし、ちゃんと答えが出るまでは、ここに滞在してもらう。いいな」


 とは言え、協力の意思があるかないか、その答えが出るまではルイテンを自由にさせる気はないらしい。それに気づいたルイテンは乾いた笑いをこぼした。

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