クルスカル図を描いて②
向かった先は、クラウディオスの中央通りにある一軒のホテル。ビジネスホテルを想像していたルイテンは、エントランスホールの煌びやかさに面食らってしまった。
巨大なシャンデリアが二つ吊り下げられた天井。光源として使用される星屑の結晶は柔らかなオレンジ色で、温かな雰囲気を醸し出している。
アイボリー色の壁やウォルナットの手すりに星屑の光が反射しており、ルイテンはその眩しさにくらくらしていた。
「ルイテン・オルバース様ですね」
「は、はい……」
受付カウンターで、サテュロスのフロントマンに名を呼ばれる。ルイテン本人で間違いがないか確認しているのだ。豪華絢爛な高級ホテルに泊まるのは初体験で、緊張したルイテンは、小さな声で返事をしている。
「こちらが鍵です。八〇五号室へお願いします」
フロントマンはカウンターに鍵を置いた。鍵につけられた木製のタグには、部屋番号の八〇五という数字が書かれている。
ルイテンはそれをおずおすと受け取った。
ファミラナとはクロエを送り届けるため、ホテルに入る直前で別れていた。ルイテンはただ一人、慣れない空間でチェックインをしている。
緊張の面持ちであるルイテンに、フロントマンは思い出したように声をかけた。
「オルバース様、お客様がお部屋でお待ちです」
ルイテンは眉を寄せた。フロントマンの言葉を訝しむ。
わざわざ自分を訪ねるためホテルに来るなんて誰だろうかと。そもそも、このホテルを予約していることなど、ルイテン自身知らなかったことだ。尋ね人に心当たりがなく、ルイテンは「はぁ……」と曖昧に返事をした。
「くれぐれも失礼のなきよう、お願いいたします」
フロントマンはそう言って、深々とお辞儀した。ルイテンもつられてお辞儀を返す。
ルイテンはエントランスホールを横切り、エレベーターへと向かう。二つ並んだエレベーターの内一つに乗り込むと扉が閉まる。八階のボタンを押して暫く待つ。
エレベーターが動き始める。ルイテンはぼんやりと文字盤を見上げた。
来客のことが気になって仕方ない。まさか『喜びの教え』の教団員ではないだろうか。そんな不安が頭をよぎる。
ややあって、エレベーターは八階にやってきた。ドアが開き、ルイテンはおそるおそるエレベーターを降りた。
真っ白な壁に、ボルドー色の絨毯。足音は絨毯に吸われ、全く響かない。
廊下に沿って進むと、すぐに八〇五号室の扉が目の前に現れた。ルイテンは鍵穴に鍵を差し込み、回す。
感触が軽い。既に解錠されている。
鍵を抜き、ノブを握り、捻る。
ドアをゆっくりと静かに開ける。
部屋の中は随分広い。廊下と同じ色、柄の絨毯が敷き詰められており、中には高級と思しき調度品が並んでいる。
部屋の中へと進む。入ってすぐに見えたのはリビングだ。テーブルが一台、二脚の椅子。内一つに座る、一人の男性。
癖のあるプラチナブロンドの髪。まるで獅子の
「お前がルイテンか。待ってたぜ」
ルイテンは反射的に背をピンと伸ばした。
雑誌や新聞で、彼の顔を見たことがある。目の前に座る男性の名は、レグルス・ネメアーディアス。獅子の大賢人だ。
ルイテンは合点がいった。このホテルの予約をしてくれたのはレグルスだ。彼がこの部屋に居てもおかしくないのだ。
「この度はお心遣い、ありがとうございます」
ルイテンは深々と礼をする。レグルスはそれに対し、砕けた返事を返す。
「あー、いいよ、気にすんな。とりあえず、こっち来い」
レグルスはルイテンを手招きする。ルイテンは誘われるままにレグルスの正面まで進み、促されて椅子に座った。
「荷物、そんだけか?」
「あ、はい」
ルイテンはボディバッグを床に下ろす。
とても旅行者とは思えない荷物の少なさに、レグルスは訝しんだ。
「女の子を一人、守ってきたんだろ?」
「いえ、アヴィさんやファミラナさんがいなければ、守りきれませんでした。お恥ずかしい話です」
ルイテンは目を伏せる。
きっとレグルスはファミラナと知り合いだろうし、詳しい話も聞いているだろうと、ルイテンは考えた。レグルスも知っているだろうに、自分から力不足であったことを申告することを恥ずかしく思ったのだ。
レグルスは、ルイテンの様子を見て後頭部を掻く。
「あー……あいつらは、お前みたいな一般人には手に負えねぇよ」
ルイテンは目を丸くした。
レグルスの言葉は、クロエが教団から追われていることを知っているかのような発言だ。
「『喜びの教え』を、知ってるんですか?」
レグルスは頷く。
「ファミラナから電話で聞いた。列車の中で襲われたんだろ? その後に警察が尋問して、その情報が俺のとこにも来てる」
ルイテンは、列車内での騒動を思い返す。ジブジアナの駅に到着した後、ファミラナは教団員達を連れて行ったはず。あの後に彼らへ尋問したのだろうと思い至った。
「で、な。そん時に、ニコラだっけ? あいつが言ってたんだと」
レグルスの表情が厳しいものになる。細めた目は、肉食獣のように鋭く、ルイテンを射抜く。ルイテンはたちまち怯えてしまい、体を強ばらせた。
「お前、同じ教団にいたんじゃないか?」
ルイテンは思い出す。
以前出席した集会で、ルイテンはニコラの顔を見た。ニコラもその時、ルイテンの顔を見たのだとしたら。それを彼は覚えていたのだとしたら。
まずいことになった。ルイテンは生唾を飲み込んだ。
「『喜びの教え』を知らなきゃ、逃げるべき相手もわからないもんな。知ってたんだろ、追っ手が何か。
けど、わかんねぇんだよな。何であいつらは、一人の女に執着するんだ。何でお前は、彼女を連れて、同じ教団の奴らから逃げてるんだ」
レグルスの問いかけに、ルイテンは答えることができない。
まるで口が縫い付けられたかのように、全く開かない。答えなければ、自分の立場が危ういというのに。臆病が邪魔をして、発言できないでいた。
「失礼する」
扉が開く音がして、ルイテンは振り返った。
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