クルスカル図を描いて

クルスカル図を描いて①

 この国・アステリオスの首都にあたる、クラウディオス。

 駅に列車が降りたのは、日が落ちかけ、街並みが橙色に染まり始めた頃だった。

 駅構内は、カッシーニのものと比べ物にならない程に広い。いくつもホームが並び、あちらこちらから汽笛が聞こえてくる。

 ファミラナは公衆電話からどこかへ電話をかけているようであった。クロエもその隣に並び、ファミラナに促されるまま受話器に話しかけている。

 

 ルイテンは暇を持て余し、ホームをぐるりと見回した。

 

 行き交う乗客達は、実に様々な表情をしていた。

 客人を迎え、花が咲くように喜ぶ少女。

 家族を見送り、涙を浮かべ悲しむ夫婦。

 気ままな一人旅に胸を躍らせる青年。

 彼らを眺めて、ルイテンは暇をつぶしていた。ヒトビトの背景を想像するのは、実に楽しい。

 

 ルイテンは鼻をひくつかせた。

 構内には、星屑の甘ったるい匂いが溢れている。それとは別に、どこからか香ばしいバターと小麦の香りが漂ってきた。クロワッサンでも焼いているのだろうか。

 ふと思い出す。今朝、カモメにクロワッサンを奪われ、食べられなかったこと。


「ルイ、お待たせ」


 クロエに声をかけられ、ルイテンは我に返る。

 ファミラナがクロエを連れて、ルイテンのそばに来ていた。


「思ったより電話が長くなっちゃった。ごめんね」


 ファミラナはルイテンに謝罪する。


「いや、そんなに待ってないですよ」


 ルイテンは慌てて首を振った。人間観察をしているうちに時間が経っていたため、待ち時間の長さを気にしてはいなかった。

 また、ふわりと香ばしい匂いが漂ってくる。クロエはそれに気付いたようだ。


「ねえ、おなか空いたし、パン食べませんか?」


 クロエはファミラナを振り返って言う。ファミラナもパンの香りには気付いており、「いいね」と言って歩き出す。

 ファミラナの足取りには迷いがない。店の配置をよく知っているらしい。やがて一軒のパン屋に着くと、店先の販売窓口に並んだ。

 そのパン屋では、一部の商品は店に入らずとも窓口から購入できるようだ。窓口には、一口サイズの小さなクロワッサンが積み重なったバッターが置かれている。


「あ、クロワッサンでいい? ここの美味しいんだよ」


 ファミラナは問う。ルイテンもクロエも頷いた。

 

 小さなクロワッサンを紙袋いっぱいに詰め込んでもらい、ファミラナはそれを購入する。

 ルイテンが「払います」と主張したのだが、ファミラナは首を横に振ってお金を受け取らなかった。そして、クロワッサンの袋をルイテンに差し出す。


「ほら、食べてみて」


 ふんわりと香るバターの匂い。鼻腔を刺激し、思わず喉を鳴らしてしまう。ルイテンは、開けられた袋から遠慮がちに一つ取り出すと、それを口の中に入れた。

 表面はサクッと軽い歯触り、中はしっとりとしている。バターの甘みと塩味が口いっぱいに広がっていく。


「美味しい……」


 クロワッサンは焼きたてふわふわ。一口サイズというところも良い。何個でも食べられてしまいそうだ。

 クロエも、ファミラナに勧められるままクロワッサンを頬張る。その瞬間、クロエの表情がとろんと惚けたものになる。美味しさを噛み締めているようだ。


「ルイにも話しておこうと思うんだけど」


 ファミラナもクロワッサンを齧りながら、駅の出口へと向かう。クロエは当たり前のようにファミラナについていき、ルイテンは何処へ行くのかわからないまま二人の後ろ姿を追いかける。


「レグルス君がね、ホテルの予約を二泊分取ってくれてるらしいから、ルイはそこに泊まるといいよ。お支払いは済ませてあるって」


 ルイテンは目を丸くした。ホテルの確保と支払いを、大賢人がしてくれるなんて思ってもみなかった。ルイテンは慌てて口を開く。


「あ、いや。そこまでしてくれなくても」


 本来は自分で安いホテルを確保するつもりであった。しかし、宿泊費を安くすませるにはリスクも付きまとうものだ。


「ルイはまだ子供じゃない。変なところに泊まって危ない目にあってもいけないでしょ」


「え、でも……」


 ファミラナはカラッとした様子で言う。


「もう支払いはしちゃった後だし、甘えちゃっていいんだよ」


 ファミラナの言う通りだ。治安が悪い場所に泊まって、万が一事件に巻き込まれてはいけない。

 何より、宿泊費は既に支払われている。遠慮したところで、相手は会ったこともない他人なのだ。返却のしようがないことにルイテンは気付き、小さく頷いた。言われるまま甘えることにする。


 続いて、ファミラナの視線はクロエに向く。クロエはボストンバッグを抱え直して、ファミラナの顔を見つめ返す。


「クロエちゃんは、この後社員寮に行くんだっけ?」


「はい。今日から寮にお世話になります」


「入社は明日から?」


「明々後日からです」


 ルイテンは二人の会話を後ろで聞いている。

 三日後からの入社ということは、クロエは明日暇なのだろうか。少しだけ期待を込めて、ルイテンはクロエに問いかけた。


「じゃあ、明日は暇?」


「うん? 暇じゃないよ」


 クロエの返事を聞いて、ルイテンは肩を落とす。引っ越し直後は、荷解きで忙しいものだ。あまりに当たり前のことを失念していたルイテンは、急に恥ずかしくなってしまった。

 そんなルイテンに、クロエは笑顔を向けた。小首を傾げて言葉を続ける。


「だって、明日一緒に遊ぶでしょ?」


 その悪戯っ子のような問いかけに、ルイテンは目をしばたかせた。口元が弛むのを感じ、片手で隠す。


 クロエの言葉に一喜一憂してしまう。

 そういう感情ではないのだと否定したって、仕方ないのだ。

 ルイテンは頭を振って、を振り払おうとする。余計なものではないにも関わらず。


「行かないの?」


 クロエは再度問いかける。ルイテンの顔を、虹色の目でじぃっと見つめる。

 ルイテンは慌てて答えた。


「行く。行きたい」


「じゃあ明日、駅に集合でいい?」


「もちろん」


 食い気味に頷くルイテンに、満面の笑みを浮かべるクロエ。それを見て、ファミラナは何を想像しているのか、ニヤけた口元に片手をそえていた。

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