イラジエーション③

 たがねが一本、ルイテンの首筋目掛けて飛んでくる。ルイテンは首を傾けてそれを避ける。視界の端に、青い髪がはらりと舞う。

 たがねは通路を真っ直ぐ飛んでいき、接合部の扉に突き刺さる。

 乗客達が悲鳴をあげる。皆、巻き込まれないようにと身を屈め、動かず震えていた。


 面倒なことになった。ルイテンは舌打ちする。遠距離に特化した攻撃性のある輝術きじゅつ。ニコラのそれは、単純だが厄介だ。

 対するルイテンは武器を持たず、対抗手段は自身の拳のみ。接近しなければならないルイテンには、相性の悪い相手である。


「女を渡せば悪いようにはしないさ」


 ニコラは言う。

 ルイテンはそれを信用できない。黙ってニコラを睨めつける。

 

 ルイテンは距離を詰めるべく足を踏み出すが、それを遮るかのように再びたがねが放たれた。足元に三本突き刺さる。

 もう少し先に足を踏み出していたら、つま先を負傷していただろう。ぞっとする。

 足を踏み出すことすらままならず、ルイテンはその場に固まってしまった。


 更に二本、たがねが射出される。ルイテンは身を屈めてやり過ごす。二本とも、接合部の扉に深々と突き刺さり、即座に光へと還り霧散した。

 ルイテンは素早く視線を走らせる。乗客らの安全が気にかかったのだ。


「お客様! いかがされましたか?」


 後方の車両から声が聞こえる。おそらく車掌だろう。

 ルイテンはゾッとした。ニコラは今気が立っている。車両内に誰か入ってくれば、彼は反射的に攻撃してしまうのではないか。


「入っちゃだめです!」


 ルイテンは声を張り上げる。ニコラから一瞬意識が離れた。

 その隙を見逃さず、ニコラは一本のたがねを放つ。真っ直ぐルイテンの腹目掛けて飛んでいく。

 ルイテンは、視界の端にたがねを認識したが、既に手遅れだ。体を捻るが間に合わない。たがねが横腹を掠めて飛んでいき、扉に突き刺さる。


「っ……」


 鋭い痛みが走り、ルイテンは横腹を押さえた。

 急所は外れたが、傷は深い。皮膚が裂け、服に血が滲む。

 血液とともに熱が漏れ出ていくような感覚。途端、額に汗が滲んだ。


「やばい……」


 裂傷。打撃とは違う、死に直結する痛み。

 このまま血を流し続けるのはまずい。直ぐに終わらせなくては。ルイテンは焦る。


「あかいめだまのさそり」


 ルイテンは歌う。

 こんな状態で歌ったところで仕方がない。ルイテン自身もわかっている。

 自身の術が、戦闘に不向きだということは承知の上。少しでも距離を詰めたいのだ。


 くるり、くるりと光が舞う。ルイテンの存在は光とともに、即座にニコラの認識から外れた。


「何処に行った?」


 ニコラはルイテンを見据えたまま、眉を寄せて呟いた。

 否、ニコラの視界は、既にルイテンを見失っている。ニコラの視線が上下左右に動きながら、ルイテンの姿を探す。

 ニコラの認識から外れている今のうちに。ルイテンは足を踏み出す。

 一歩、二歩……


 ズキンと、横腹が痛んだ。


「うっ……」


 息を詰まらせた。

 即座に輝術きじゅつが解ける。ルイテンの体から光が落ちる。

 ニコラの視線はルイテンの姿を捉えた。だが、既にニコラの正面だ。ルイテンは構わず、ニコラの頬を殴りつけた。


「ぐっ……」


 ニコラがよろめく。突然現れたルイテンの攻撃に対処できなかったのだ。

 ルイテンは追撃する。拳を引き、再び殴り掛かる。重い拳に為す術なく、ニコラは仰向けに倒れた。

 ルイテンは肩で息をする。必要以上に殴ることはないと、そう思った。慢心だった。


 ルイテンはニコラを見下ろす。説得の言葉をかけようと口を開いた。


 ニコラの戦意は喪失してなどいない。

 仰向けのまま、ニコラはルイテンを蹴りつける。力無い蹴りだが、横腹の傷には鋭い痛みが走った。

 ルイテンはたたらを踏んだ。激痛に顔を歪ませた。


 ニコラは立ち上がる。再び輝術きじゅつを発動させ、二本のたがねが浮かび上がる。

 

 ルイテンは目を見開いた。肌が泡立つ。横腹の痛みのせいで、歌うことさえできない。


「彫刻の輝術は、何も刺すばかりじゃない」


 ニコラは言う。

 二本のたがねが襲いかかってきた。ルイテンは逃げることすらできず、両腕で顔を庇う。

 体の何処にも突き刺さることはなかった。刺さった先は足元。木製の床。

 ぐるりと一周。二本のたがねは、ルイテンの足元を回る。気付いた時には遅かった。


 床が、円形にくり抜かれてしまったのだ。


 落下する。

 ルイテンは咄嗟に手を伸ばし、車両の床を掴んだ。


 両腕でぶら下がる。目の前には雲とタイヤ、実体のない光のレール。高速で走る列車は、ルイテンを振り落とさんとしていた。

 

 ルイテンは焦る。車内に戻らなくては。

 頭上を見上げると、ニコラがルイテンを見下ろしていた。その顔は歪んだ笑みを浮かべている。


「手を離すか、斬られるか。どっちか選べ」


 そのどちらの選択をしても、ルイテンの体は地上まで真っ逆さまだ。ルイテンの顔は蒼白となる。怖くてたまらず、首を横に振った。

 

 ニコラは何も言わず、ルイテンの右手を踏みつけた。

 痛みが走る。力が抜ける。

 左手だけでは、風に煽られる体を持ち上げられない。

 ルイテンの両手は、車両からずり落ちた。


「っあ……」


 叫ぶ余裕さえない。

 ルイテンの体は、真っ白な雲の中へと落ちていく。

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