イラジエーション②
それは、隣町フォルティチュードの駅を超えた時であった。
列車の旅を続ける三人。時折談笑したり、クロエは微睡んだりしながら、思い思いに過ごしていた。
アクィラの隣街であるフォルティチュードで列車を降りるヒトが多く、再び列車内は閑散とする。ルイテンは、雲の上の空気を楽しもうと、窓を少しだけ開けて風を顔に浴びる。空へと昇る列車は、星屑の煙を窓の中へと引き込んだ。
「聞こえる?」
ファミラナが、唐突にルイテンへ尋ねた。ルイテンは「何を?」と問いかけようとして、しかし黙った。
耳を澄ませる。前方の車両から、騒がしい物音が聞こえてくる。走っているのか、それとも地団駄を踏んでいるのか。やたら大きな足音だ。
ファミラナは、トートバッグから三つのパーツを取り出し、組み立て始めた。身の丈程の、長く太い棒。ルイテンはそれが何か即座に理解する。
ルイテンはクロエを見た。彼女は呑気なもので、窓にこめかみを押し付けて眠っていた。眠り心地は良くないのか身じろぎしている。
ルイテンは彼女の片腕を掴み、乱暴に揺さぶった。
「んぇ? ルイ、おはよ……」
クロエはへらりと笑う。彼女の意識を覚醒させようと、ルイテンは再度彼女を揺さぶった。
「クロエ、追手が来てる」
「おって……」
ぼんやりとした顔で呟いたクロエだが、その言葉を聞いた瞬間に目が冴えたようだった。彼女の目が見開かれる。
「え、嘘。ここ空の上でしょ?」
「多分、フォルティチュードで乗り込んだんだと思うよ」
ファミラナは立ち上がり、通路の真ん中で
疎らに乗っていた乗客達は、突然武器を握りしめた女性に奇異の目を向ける。だが、次第に近づいてくる怒号に気づいた人々は、不安を顔に浮かべ始めた。
「ルイ、クロエちゃんを守れる?」
ファミラナは問う。ルイテンは覚悟するしかない。
「守ります」
「うん、そうでないとね」
ルイテンはクロエの手を握る。クロエもそれを握り返す。
「多分、一人じゃないですよね」
ルイテンはファミラナに尋ねた。
聞こえてくる足音は、おそらく一人分。しかし、列車という閉鎖空間にたった一人で乗り込むほど、敵も馬鹿では無いだろうと判断した。
ファミラナもそれを想定していたようだ。ルイテンに頷いてみせる。
「多分挟み撃ちを狙ってくると思う。気を付けて」
「ファミラナさんも、気を付けて」
ルイテンはクロエの手を引き、後方車両へと向かう。クロエは置いて行かれまいと早足について行く。
扉を開け、車両を抜ける。一つ後ろの車両は随分静かだ。乗客は皆、不安を顔に浮かべている。
その理由はすぐに知れた。更に先の車両から、男の声が聞こえてくる。
接合部の窓から、後方の車両を覗く。そうしながらルイテンは、クロエに声をかける。
「クロエ、手を離さないで」
「歌……?」
「うん。ファミラナさんには悪いけど、隠れてやり過ごせば、どうにかなると思う」
ルイテンは息を吸い込む。クロエと繋いだ手を強く握る。
「あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ」
揺れる列車の車輪の音を伴奏に、ルイテンは歌う。辺りにひらりと光が散って、くるくると踊り二人を包む。
二人の姿は、誰からも感知されない。歌が途切れない限り、見つかることはない。
ルイテンは歌いながら、隣の車両へと進む。扉を開け、中に入る。
そこには既に怪しい男がいた。男は怒鳴り散らしながら車両内を見回している。
ルイテンは気付いた。いつだったか、『喜びの教え』の集会で、ケイセルと話していた男だった。確かあの時は、
ルイテンは歌を止めることなく、男へと近づいていく。
「あの女が乗り込んでるって情報は聞いたんだ。どこだ、そいつは」
男は苛立ちを吐き出すかのように呟いている。接近するほどに、彼の声はルイテンの耳にはっきりと届いた。
クロエは恐ろしさからか、ルイテンの手を強く握る。
「アンドロメダのくもは」
「あぁくそ。シェダルの奴、下手な情報よこしやがって」
「さかなのくちのかたち」
「俺の神格が上なら文句でも言ってやるのによ」
男に聞こえない歌を歌い、ルイテンは車両内を見回した。安全に男とすれ違うために、空きの座席を探しているのだ。
やがて空きの座席を見つけた。一人分の空きしかないが、すれ違うには十分。ルイテンはクロエを先に座席に押し込み、自分は通路側に近い方へ立つ。
「あぁくそ!」
突然、男の腕が空を薙いだ。それは座席の背もたれを狙ったのだろうが、見事に空振ってしまい、あろうことかルイテンの背中を殴りつけてしまった。
バランスを崩し、ルイテンは前方に倒れる。
目の前にはクロエがいる。彼女の体を押しつぶすわけにはいかず、ルイテンは体を捻って向かいの座席の背もたれに体をぶつけた。
一瞬息がつまる。その瞬間に
悲鳴があがった。突然現れたルイテンとクロエに、乗客が驚いたのだ。
小さく短い悲鳴であったが、教団員である男の注意を引くには十分だった。男は振り返る。クロエの姿を見るなり、ニヤリと笑った。
「
「ひっ」
クロエは息を詰まらせる。
ルイテンは悪態をついた。自分が歌い続ければ見つからなかったはず。ほんの一瞬、歌を途切れさせたがために見つかってしまった。
男の手がクロエに伸びる。
ルイテンは両腕を広げ、両脇にある背もたれを掴む。体を浮かせ、両足で男の胸を蹴りつけた。
狭い車内、男はバランスを崩し、背後にあった座席のひじ掛けに腰を打ち付ける。そのまま座席に倒れ、鈍い音を立てて床に転がり落ちた。
ルイテンはすぐに座席から離れた。
「クロエ、隠れて!」
ルイテンが叫ぶ。クロエは返事をする余裕もなく、元いた車両へと駆けていく。
「貴様、何のつもりだ!」
男は立ち上がろうとするが、ルイテンはそれを許さない。片足で男の腹を踏み、動きを封じた。
「次の駅で降りろ」
ルイテンは声を低くする。威嚇のつもりだった。
ルイテンは、自分が優位に立っていると思い込んでいるのだ。
男はそれを鼻で笑う。
「彫り刻む賢者、我が名はニコラ・ニコル」
男の周りで光が舞う。それは一つの塊を形成していく。ルイテンは「まずい」と判断し、男から離れた。顔を限界までのけ反らせる。
次の瞬間、ルイテンの鼻先を何かが掠めていった。それは車両の天井に突き刺さり、次の瞬間、光となって霧散した。
ルイテンは男から距離を離す。だが、それが良い判断とは言えなかった。
「おう、兄ちゃん。さっきの威勢の良さはどうした?」
男、ニコラはほくそ笑む。
彼の周りには、放射状にたがねがいくつも浮かんでいた。
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