案内星はかくありき④

 ルイテンは、とある家の一室で手当てを受けていた。服を腹までまくり上げると、脇腹に青黒い痣ができていた。


「い、っつう……」


 ルイテンは痛みで顔を顰める。膝蹴りを食らったのだ。痣で済んだだけマシだろう。悪くすれば臓器まで傷ついていたかもしれないのだ。


「いや、しかし女の子だったとはね……ごめん」


 アヴィオールは、ルイテンの腹に湿布を貼りながら謝罪する。

 つい先ほど、アヴィオールが手当のために服を脱げと指示をし、クロエはそれを怒ったのだ。クロエから平手打ちを食らったアヴィオールの頬は赤く腫れていた。

 ルイテンは乾いた笑いを洩らし、アヴィオールの言葉には曖昧に対処した。


「女の子って、言ってないもん」


 クロエは一人でぶつぶつと呟いているが、それはアヴィオールの耳には入らないほど小さいものだった。


 ルイテンは服を整えて、家の中を見回した。

 かつては時計屋であったのだろうか。時が止まった壁掛け時計が所狭しと並べられていた。部屋には埃一つなく、綺麗に掃除されている。

 一方、設置された陳列棚やカウンターは本来の用途を発揮していない。棚には本が乱雑に詰め込まれているし、カウンターは誰かの机として使われているようで、ノートや紙束が高く積まれていた。

 この部屋は、今は誰かの書斎として利用されているのだろう。

 ここに来た時に、アヴィオールの家なのかとルイテンは問いかけたのだが、アヴィオールはそれを否定していた。


「ここ、誰の家なんですか?」


 ルイテンは再度問いかける。アヴィオールは隠す素振りもなく、一言返事した。


「彼女の家」


「え? 勝手に入っていいんですか?」


「ん、いいよ。大丈夫」


 ルイテンは目をぱちくりとさせる。アヴィオールは、よほどその恋人と仲が良いのだろう。とはいえ、知らないヒトを、他人の家へ勝手に招いていいものなのか。


「で、君達、どうするの?」


 アヴィオールは改めて問いかけた。

 ルイテンはクロエを見る。クロエはカウンターの向こうにある椅子に腰かけ、床に届かない足をぷらぷらと揺らしている。

 

 ルイテンの目的は、無事にクロエを首都へと送り届けることだ。そのためには、まず駅へと向かわなければならない。

 だが、懸念もある。一旦引いたとはいえ、シェダル率いる教団員が、再び襲ってこないとも限らない。ルイテンが輝術きじゅつを使いながらクロエに付き添えばいいのだろうが、ルイテンの精神力の限界を考えると、とても現実的ではなかった。


「そもそも、君達何でクラウディオスに行くの?」


 アヴィオールが更なる質問を投げかける。それにはクロエが答えた。


「私、クラウディオスの出版社に就職するんです。引っ越しのために首都へ行くんです」


「就職、ね。君は?」


 アヴィオールはルイテンにも目的を問うた。ルイテンは答えるべきか暫く悩み、小さな、本当に小さな声で答えた。


「クロエの、その、用心棒というか……」


「用心棒?」


 アヴィオールは素っ頓狂な声をあげる。彼の目は、ルイテンの薄い体を見て、眉間に皺を寄せていた。信じられないとでも言うように。

 ルイテンは恥ずかしさで消えたい気持ちであった。肩を縮こませ、頭を下げて、無意識に自分の体を小さく見せようとする。

 そんな自信のなさが、アヴィオールにも伝わったのだろう。彼は真剣な顔でルイテンに語る。


「あの、さ。守るって簡単なことじゃないよ。守り切る自信がないなら、やめた方がいい。君が怪我するよ」


 ルイテンは、竜胆色の目に涙を滲ませた。

 そんなこと、ルイテン自身がよくわかっている。先ほど教団員との闘いに負けたことで痛感していた。

 自分だけの力では何もできず、みすみすクロエを攫われていた。アヴィオールが通りがかったから良かったものの、次回もこのような幸運が訪れるなど有り得ない。

 やはり、身に余る依頼など受けるべきではなかったのだ。


「私が、ルイに護衛を頼んだんです」


 ルイテンではなく、クロエが口を開いた。

 ルイテンはクロエを見る。クロエはルイテンを見つめていた。その目に浮かぶのは同情ではない。信頼だ。


「ルイはお腹を蹴られても、私を助けようとしてくれたんです」


「確かにそうだけどね……」


「私の護衛は、ルイじゃないと嫌です」


 クロエの意志は強い。

 ルイテンには理解できなかった。護衛役が頼りないとわかった以上、共に行動するなど非効率的だ。足の引っ張り合いになりかねない。


此方こなたの歌は万能じゃないんだよ」


「そうじゃない。私は、ルイじゃないと嫌」


 クロエは意見を曲げるつもりはないようだ。

 アヴィオールは腕組みする。クロエを見て、ルイテンを見て、再びクロエに顔を戻す。思うところがあったのだろう、ため息混じりにふっと笑った。


「昔の僕らみたいだ」


「……え?」


 ルイテンは顔を上げる。アヴィオールの言葉が気にかかるが、アヴィオールは首を振ってしまった。 そして、一つの代替案を提示する。


「いや、何でもないよ。そうだね、じゃあ、もう一人護衛をつけるという案は?」


 ルイテンはクロエを見つめる。

 クロエはやはりアヴィオールの提案に否定的な感情を抱いているようだ。頬を膨らませ、アヴィオールの顔をじっと睨む。


「別に、君達のためだけじゃない。友達がクラウディオスに向かう予定だから、それに便乗したらどうかなと思っただけ」


「友達、ですか」


 ルイテンは眉を寄せる。護衛と言われたから、てっきり人を雇うのかと思ったのだ。だが、アヴィオールの口から出た言葉は「友達」である。


「心配しなくても、彼女はかなり強いよ」


「彼女……女性ですか?」


「うん。からすの賢者って言ったら、わかるかな?」


 ルイテンは目を瞬かせた。

 からすの一族に属する賢者。四年前よりアクィラという街を統治している領主である。以前は鷲の賢者が統治していたが、持病により亡くなってからは、からすの賢者が跡を継いだ。

 その賢者のことだろうか。


「あ、と言っても、領主じゃなくて彼の娘の方ね。正式にはまだ賢者を継いでないらしくて……」


「はぁ……」


 込み入った話は理解できず、ルイテンは生返事する。

 だが、アヴィオールの提案は良いものではなかろうか。ルイテンはクロエの顔を見つめた。


「クロエ、頼ってみない?」


 自分の力量がないことは、ルイテン自身がよくわかっていた。頼れるものがあるなら頼りたい。


「さっきだって、此方こなた一人じゃだめだったかもしれない。保険はかけておくべきだよ」


「……わかった」


 クロエは渋々頷く。

 ここまで彼女が頑ななのは、おそらく彼女の髪の件だろうなとルイテンは思った。きっと他人に見られたくないのだ。だが、今日中に首都へと行って別れれば、問題はないはずだ。


「決まりだね。じゃあ、ちょっと連絡するから待ってて」


 アヴィオールは立ち上がる。カウンターに置かれた電話の受話器を持ち上げて、ダイヤルを回した。

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