案内星はかくありき③

「賢者が相手かよ、めんどくせぇ」


 男は呟く。


「それはこっちの台詞だよ。引いてくれればありがたいんだけど?」


 青年、アヴィオールは男を煽る。

 両者睨み合ったまま動かない。男側は、アヴィオールの輝術きじゅつがどういったものかわからないため、迂闊うかつに行動できないのだ。

 アヴィオールはちらりとルイテンに目配せする。


「頼むよ」


 アヴィオールが小さく呟いた言葉で、ルイテンは察した。先の輝術きじゅつの効果、そして、目眩でふらつく自分へかけた一言。つまり、アヴィオールのそれは防御の術であり、攻撃手段は持たないのだ。

 だが、アヴィオールの余裕を湛えた笑みを見て、ルイテンは彼を「信用できる」と判断した。防御は全て、彼に任せてしまってかまわない。

 ルイテンは男を睨む。視界はやたらぼけているが、人物の判別くらいならできるまでに回復している。背を丸め、前傾姿勢となって、男の顔を睨みつけた。


「糞が!」


 男は短剣を逆手に持ち、大股に足を踏み出す。アヴィオールに接近し、短剣を振りかぶった。


「白鳩よ」


 アヴィオールは男に人差し指を向け、くるりと円を描く。それに従い、白鳩が飛ぶ。

 男が破れかぶれに振りかぶった短剣は、白鳩の体当たりによって弾かれた。状況に似合わない、金属質な音が辺りに響く。


「行って!」


「はい!」


 アヴィオールの声に合わせて、ルイテンが地面を蹴る。立ち上がる勢いのまま駆ける。

 男は、短剣を弾かれた衝撃で体勢を崩していた。くらりと後ろによろける体。迫るルイテンの攻撃を避けることができない。


 ルイテンは、男の腹に拳を埋めた。

 

 男は呻くことすらできず後ろに倒れた。痛みと苦しさに悶え、四つん這いになって地面を掻く。


「やったぁ! 二人ともすごい!」


 クロエはたまらず声を上げて勝利を喜ぶ。ルイテンも気を緩めそうになるが。


「気を抜かないで」


 アヴィオールの声に、ルイテンは再度身を引き締めた。

 こちらに向かってくる足音が聞こえる。教団員の足音だろうかと考え、ルイテンはふらりと立ち上がった。

 まだ腹の痛みは取れない。戦うことになったら厄介だと、ルイテンは舌打ちした。


「あぁ、悪い子だ。こんなに簡単にやられてしまって」


 表通りから裏通りへと入ってきたのは、鳩羽色の男、シェダルであった。彼は口元に微笑みを浮かべていた。

 ルイテンは、クロエを隠そうと彼女の前に立ち塞がり、シェダルと向き合った。緊張で心臓が跳ね、息がわずかに上がる。

 シェダルは、自分のことを知っている。それがクロエに悟られてしまったらどうしようか。それを想像すると恐ろしくて仕方なかった。


 だがシェダルには敵意がないようである。足元で呻く男を見て、実に愉しそうに笑う。


「あはは。こんな子供に負けたのかい? 役立たずだねぇ」


 シェダルの視線は、男からルイテンへ、その後ろに立つアヴィオールとクロエへと流れていく。

 クロエはその視線に射抜かれたように体を強ばらせた。彼女の怯えを、シェダルはさも面白そうに見つめて目を細める。

 アヴィオールは、シェダルのことを危険だと判断したらしい。白鳩をいつでも呼び出せるように、辺りに光を漂わせた。


「あー、なるほど。船の賢者か」


 シェダルはぽつりと呟いた。微笑みはそのままに、しかし目は冷たく無機質であった。

 シェダルはルイテンへと視線を戻す。

 いまだルイテンは、腹の痛みを耐えている。顔色は青く、息も荒い。

 だがシェダルは、それでも自身の状況を不利だと判断したようである。


「今のところは引くよ。君達、運が良かったね。君だけならともかく、船の賢者もいるなら無理だなぁ」


 シェダルはくつくつ笑いながらそう言った。足元に転がる男の肩を足で小突き、「帰るよ」と促す。

 ルイテンもクロエも、状況がわからず首を捻る。それはアヴィオールも同じで、シェダルを呼び止めようと口を開いた。

 だが、シェダルは口元に人差し指をあてて、アヴィオールの発言を拒否した。


「君には関係ない。でしょ?」


 アヴィオールは口を閉じる。シェダルの気が変わらないうちに、立ち去ってくれた方が良いと判断した。

 シェダルは踵を返す。


「じゃあ、またね」


 シェダルはひらりと片手を振る。その後を追いかけるように、男はふらつきながらも去って行った。


 後に残ったのは、ルイテン達三人のみ。

 ルイテンは緊張が解けたようで、その場にうずくまって腹を抱えた。

 今にも戻してしまいそうな程に痛いし、苦しい。無論、戻してしまわないよう堪えているが。


「ルイ、ごめんね。大丈夫?」


 クロエがルイテンに駆け寄る。隣に屈み、ルイテンの背中をさすってやった。

 アヴィオールは、二人の様子、そしてシェダルが消えていった方向を見て、おもむろに口を開いた。


「君たち、追われてるの?」


 唐突な質問、なおかつ的確に言い当てられ、ルイテンはアヴィオールを見上げて目をしばたかせる。


「何か悪いことしたの?」


 更なる質問。ルイテンはどう答えようかと迷う。追われる理由を明かすには、自分が所属する教団について明かさなければならないし、明かすとなるとクロエにもその事実を告げなければならない。ルイテンはクロエの味方だ。要らぬ心配を、疑いを、してほしくない。


「追われてるのは私です。ただ、何で追われてるのかまではわからなくて……」


 アヴィオールの問いにはクロエが答えた。ルイテンは安心して小さく息を吐き出す。


「君ら、この街のヒトじゃないよね? もしかして、他の街から追われて来たの?」


「カッシーニから来ましたが、ここに立ち寄ったのは偶然で。私、首都に行くつもりなんです」


「首都に……あぁ、そういえば、列車止まってるんだっけ?」


 ルイテンは、二人の会話をただ聞いている。自分が口を挟む理由はないと考えたからだ。だが、いつまでも黙っているわけにもいかないらしい。ややあって、アヴィオールはルイテンに質問を投げかけた。


「君は、彼女の兄弟?」


「あ、いや……此方こなたは……」


 どう説明しようかと迷う。クロエとは友達でもないし、ましてや兄弟でもない。雇われ用心棒と言うには、自分はあまりにもお粗末だと考えた。


「私の友達です」


 すかさずクロエはそう言った。迷いなく。

 ルイテンは目を見開く。知り合ってたった三日、そんな風に思ってくれているなんて、思ってもみなかった。

 だが同時に「あぁ、此方こなたを好きって言ってたっけ」と、昨日の告白を思い出す。クロエの態度はあまりにもさっぱりとしすぎていて忘れかけていた。


 アヴィオールは「ふぅん」と小さく洩らす。顎に片手をそえ、考えている。

 ルイテンは首をこてんと傾げて、アヴィオールの顔を見上げた。


「なんだか、君達のこと、放っておけないや」


 そう言ってアヴィオールは笑った。荷物を抱え直し、アヴィオールは二人に手招きする。


「ついてきて」


 ルイテンはクロエを顔を見合わせた。

 偶然通りすがっただけのヒトを信用して良いのだろうか。彼は何かを企んでいるのではないだろうか。そんな心配が、ルイテンの脳裏をよぎる。

 だが、彼が自分たちを助けてくれたのは事実だ。


「ついて行ってみようよ。優しそうだし」


 クロエは言う。

 出会ったばかりのヒトを信じるだなんて、何とも不用心だ。ルイテンは苦笑しながら立ち上がる。いまだに腹は鈍く痛んでいる。

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