案内星はかくありき②

 ルイテンは走る。

 クロエも走る。


「オリオンは……高くうたい……

 つゆ、としもと、を……げほっ、えほっ……」


 走りながら歌うなど無茶だった。ルイテンは足元をふらつかせながら、時折声をかすれさせる。

 シェダルは撒いたはずだ。だが、次から次へと別の教団員が現れて、どこに逃げても誰かに遭遇してしまう。

 クロエを捕えるために、どれだけの人員を割いているのかと、ルイテンは頭の中で悪態を吐いた。


「ルイ……休もう……私、限界……」


 クロエが音をあげた。脚をもつれさせ、やがてその場にくずおれる。

 華やかな表通りとは打って変わり、ここは薄暗い裏通り。

 白い外壁に青い屋根。道なりに並ぶ民家に陽光が遮られ、影が落ちている。人通りはない。

 ルイテンの肌が泡立つ。逃げ先としては、あまりに場所が悪い。ルイテンは人目を避けてここに来たつもりであった。だが、まるで誘導されたような気がして胸がざわついた。


「クロエ、立って……逃げないと……」


 一刻もこの場を離れたくて、ルイテンはクロエに声をかける。その言葉は荒い息に邪魔されて、途切れ途切れに発することしかできない。


「ルイ、だって……疲れてるじゃん」


 それをクロエは指摘した。ルイテンは反論できない。ただ、クロエの腕を引っ張るのみ。

 ルイテンもクロエも、ぜえぜえと荒い息をこぼしていた。このまま走り続けるなどできない。


「やーっと追い詰めた」


 ぞわりと、背筋に寒気を感じた。ルイテンは目を丸め、後方を振り返る。

 そこにいたのは、いかにも軽薄そうな若い男。彼の視線はクロエに向いている。

 先ほどの台詞、そして視線。にんまりとほくそ笑むその口元。彼は『喜びの教え』の教団員に違いない。

 ルイテンは息が整っていないにも関わらず、クロエと男の間に立ちふさがり、クロエを守ろうとする。


「ひゅー、かっこいいねぇ、カレシくん?」


 男は口笛を吹きからかった。ルイテンは否定の言葉を口にする。


「彼氏じゃない」


 男は、腰のベルトに刺していた刃物を取り出した。細身の短剣、スティレット。

 ルイテンは戦闘を避けられないと判断し、拳をかまえた。


「そうこなくちゃな」


 短い剣を振るうには、ルイテンとの距離が離れすぎていた。男は一歩踏み込む。

 ルイテンはそれに合わせて、男の腹を蹴りつけようと足を振り上げる。男はそれを片腕で払い、ルイテンの胸を狙ってスティレットを突き出した。

 ルイテンは、脚を払われたことで僅かに体勢を崩す。だがその程度でよろめくことはなく、瞬時に体勢を整えた。右足を軸に、左足を振り上げて、スティレットの刀身を蹴り上げる。

 つま先がスティレットの先端に触れた。武器を弾き返され、男は舌打ちする。

 男は一旦距離をとる。なるほど、多少の武器の心得はあるらしい。

 

 ルイテンは内心穏やかではなかった。先日ケイセルと戦った時は、相手が素人だから勝てたのだ。格闘経験者との実戦となると、ルイテンには勝てる自信がない。


 男は再び突きを繰り出す。ルイテンは軌道を辛うじて見切り、左手で男の手の甲を払った。

 男は短剣をくるりと回す。逆手に握り直し、横に薙ぐ。ルイテンは、意表を突かれたために対処が一瞬遅れた。

 短剣が服を僅かに切り裂き、切っ先が肌に食い込んだ。


「いっ……」


 横腹に受けた鋭い痛み。直前に身を引いたものの、腹を浅く斬られてしまった。たまらずルイテンは、男を蹴りつけようと片足を上げた。男の腹を狙う。


「おっと」


 男は怯むことなく踏み込んだ。ルイテンの肩に手を伸ばした。掴まれた肩をぐいと引かれる。

 ルイテンは怯んで、一瞬体を硬直させた。バランスが崩れ、前のめりになる。


 どすん、と。重い衝撃が鳩尾に響いた。膝蹴りだ。


「っ……は……」


 ルイテンは目を見開く。呼吸できない。喉を詰まらせたかのように。

 その場にくずおれる。あまりの痛みに視界が明滅する。


 男はルイテンから手を離した。ルイテンは体を支えることすらできず、うつ伏せに倒れた。体が上手く動かない。呻くしかできず、腹を押さえて浅い呼吸を繰り返す。


「ルイ!」


 クロエの呼びかける声が、ぼやけて聞こえた。意識を失う直前というのは、こんなにも感覚が朧気になるのかと、ルイテンはやけに冷静に考えていた。


「やっと捕まえた」


「やめて! 離して!」


「っるせぇ。暴れんな」


 クロエの悲鳴が聞こえる。

 ルイテンはうずくまったまま、視線だけをクロエに向ける。

 男に腕を掴まれて、それを振り解こうと抵抗している。彼女は華奢でか弱くて、抵抗するだけの力もないだろうに。

 

 ルイテンは、腹の痛みを堪えて起き上がる。視界はぼやけていたし、平衡感覚は狂っていた。

 だが、クロエをみすみす攫われるのは許せないと。そうなったら自分自身を許せないと、そう思って。

 意地だけで立ち上がった。


「だめ!」


 男の背中に縋り付くように、ルイテンは掴みかかる。

 背後の動きに気づいた男は舌打ちした。


執拗しつこいんだよ、お前はよ」


 振り向き様に振るった短剣が、ルイテンの首を捉えた。

 かに思えた。


「白鳩よ!」


 突如、声が聞こえた。

 ルイテンの背後から、光を纏った白鳩が現れた。それは弾丸のように男へと向かって飛んでいき、その手に持つスティレットに突き刺さる。

 まるで身代わりのように突き刺さった白鳩を見て、ルイテンは驚き目を見張った。


「なん、だよ、これ!」


 白鳩により武器を押し返され、男は困惑する。ルイテンから、クロエから離れ、白鳩を振り解こうとスティレットを振るが、白鳩は抜けてくれない。


「お兄さんさ、子供相手に何してんの?」


 聞こえた声に、ルイテンは振り返る。その時目眩がルイテンを襲い、その場に尻餅をついてしまった。


「ルイ、大丈夫?」


 すぐさまクロエが駆け寄り、ルイテンの顔を覗き込む。ルイテンは頷いて、白鳩の主を見上げた。

 そこにいたのは一人の青年。鮮やかなオレンジ色の髪を、一つの三つ編みに結っている。


「君達、大丈夫? 襲われてたみたいだけど」


 青年はルイテンに声をかけながらも、視線は男を睨みつけたまま。

 男はやっとのことで白鳩を振り解く。白鳩は光となって霧散した。


「お前、賢者か。そいつらの仲間か?」


 男に問われ、青年は肩を竦める。


「ただの通りすがり。君こそ、この子達襲って何しようとしてたの?」


 青年の問いに、男は答えない。代わりに短剣を構える。

 青年は仕方ないとばかりにため息をついた。ルイテンとクロエを守るように、男の前に立ち塞がる。


「船導きし賢者、我が名はアヴィオール・リブレ」


 青年の声に応え、彼の周りを光が踊る。それは一点に集まり、白鳩となって羽ばたいた。

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