案内星はかくありき
案内星はかくありき①
ルイテンは甲板に出る。光が目を突き刺して、ルイテンは目を薄めた。
腫れた青空には真白の雲。降り注ぐ朝の日差しが海を照らし、さざ波はそれを照り返している。辺りを飛ぶカモメ達は、絶え間なく鳴き声を響かせていた。
身体中に潮風を浴びる。涼しい風は眠気をすっかりと吹き飛ばしていった。なんて気持ちの良い風だろうか。
ルイテンはクロワッサンとブラックコーヒーを朝食に食べながら、青く広がる水平線をぼんやり眺める。
「あ、ルイ。おはよー」
背中に声をかけられた。クロエが甲板にやってきたようだ。ルイテンは振り返る。
クロエの髪は、昨夜とは打って変わって、落ち着いた
「何か面白いのあった?」
クロエが尋ねる。ルイテンは首を振る。
「いや。なんにも」
「そっかー、残念」
「そう?」
ルイテンは、穏やかな海が好きなのだ。ざわめきのない早朝の甲板は、理想的な世界であった。雑念を頭に浮かべず、ただあるがままの海をぼんやり見つめていると、まるで故郷に還ったかのような懐かしさが、胸にじわりと広がった。
「うわっ!」
突然目の前にカモメが飛来した。カモメはルイテンが持つクロワッサンを狙ったのだ。ルイテンはクロワッサンを抱えて片手を滅茶苦茶に振るのだが、カモメは構わずクロワッサンを
カモメは見た目に反して獰猛な気質である。その力強い
「痛っ!」
手の力が緩んだ一瞬の隙に、カモメはクロワッサンを奪い取り飛び去った。行き先は船首。乗客の立ち入りが禁止されたそこで、カモメは悠々と朝食を楽しんでいる。
ルイテンは痛む右手をさすりながら、カモメが向かった先を目で追った。しかし、手が届かないところまで行ってしまったとわかると、深追いすることはなくあっさりと朝食を諦める。
「はぁ……仕方ないな……」
ルイテンは言い、ため息をついてコーヒーを一口飲んだ。
「取り返さなくていいの?」
クロエはそう声をかけるが、ルイテンは首を振る。
「こんなとこで食べてた
しかし。カモメを見る目は恨めしそうである。
クロエはルイテンの強がりがおかしくて、くすくすと笑いをもらした。
「もうそろそろ着くらしいよ。準備しよう」
クロエはそう言って、船内へと戻っていく。
ルイテンはカモメを見つめた。カモメはこれ見よがしにクロワッサンを食べながら、感情が読めない黒い目で見つめ返してくる。からかわれているような気がして、ルイテンはふいっと顔を逸らした。
✧︎*。
ルイテンは再び陸地を踏みしめる。木製の桟橋を叩く靴底は、タタンと軽快な音を立てた。
ダクティロス港、船着場。一先ずの目的他である。
波の揺れに慣らされていた体は、陸地に降り立つとくらりと揺れた。目を回しそうになりながらも、ルイテンは目をぎゅっと閉じて首を振る。そうすると、少しだけ目眩が落ち着くのだ。
「気持ち悪ぅ……」
クロエは陸に降りるなり呟く。
港から駅まで離れているため、暫く歩かなければならない。クロエはそれに気づくとより一層顔を顰めた。
「早いとこ列車に乗り込もう。ゆっくりしたい」
「あ、でも、先に
ルイテンは自分の口から出た言葉にげんなりしていた。
予定が変わったら連絡を入れる。ディフダとの約束であった。だが、銀河鉄道の人身事故など、信じてくれるだろうかと不安を抱く。帰りたがらないと勘違いされてはたまらない。
また怒られるのだろうなと憂鬱を感じながら、ルイテンはクロエと共に港を後にした。
ダクティロス、通称学問の街。造船技術の発達とともに人が集まり、学問も栄えたという街である。この街の学校に通えるのは、素晴らしい成績で難関受験を突破した者か、名家の生まれの者に限られるとか。
街中には海と繋がる水路が至る所を走っており、観光客向けに遊覧船や渡し船が水路に浮かんでいた。そのいずれもロマンチックな印象を受けた。
中央通りは比較的道幅が広く、少ないながらも馬車が走っているが、主な移動手段は舟か徒歩であった。ルイテンはクロエと並んで街中を歩く。
港から商業通りに入り、入り組んだ路地を抜ける。その先には広い川があった。
「あ、見て見て、渡し船! ねえ、乗らない?」
クロエは目ざとく渡し船を見つけ、それを指差す。
大きな橋の下、そこには細長いバナナ型をした小舟が停まっている。船尾に座っている男性の船頭は、目ざとくルイテン達を見つけ、誘うように片手を振ってみせた。
おあつらえ向きに、ルイテンの目の前には、船着き場に向かうための階段がある。
ルイテンは寄り道することを嫌い、眉を寄せて首を横に振る。
「遊びに来たんじゃないよ」
「えー、いいじゃん。お金は私が払うからさ」
クロエはルイテンの手を握る。ルイテンはそれを握り返すことを躊躇った。だがクロエの力は存外強く、引かれるままに階段を駆け下りて、渡し船へと連れて行かれた。
「すみませーん。ダクティロス駅の近くまで行けますか?」
クロエは、船頭に問いかける。遠目だとわからなかったが、船頭はかなり年老いているようだ。船頭はクロエの顔を見上げると、シワの多い顔を微笑ませて答えた。
「ああ、行けるよ。駅前橋で降ろすようになるけど、いいかい?」
「私達旅行で立ち寄ったので、ダクティロスのこと知らないんです。駅前橋って、駅に近いんですか?」
「ああ、駅前広場のすぐ側だからね。目と鼻の先さ」
クロエは「じゃあ、お願いします」と船頭に声をかけ、運賃として紙幣を二枚手渡した。軽い足取りで、小さな渡し船に乗り込む。
陸酔いはどこに行ったのか、クロエはすっかり上機嫌。観光気分である。
ルイテンは少しだけ渋った。だが船は嫌いでは無いし、行き先が駅近くだと言うのであればいいかと考え直した。おもむろに、船に乗りこむ。
「では、行くぞ」
船頭は、桟橋に小舟を繋ぎ止めていたロープを解く。桟橋を蹴ると、小舟はゆっくりと陸を離れ、水路を進む。
水路から見る街の風景は、非日常的であった。
石畳で舗装された街には、様々な店が立ち並ぶ。喫茶店、パン屋、服屋に雑貨屋。聞こえてくるのはジャズの音色だろう。
時折小舟を見てくるのは、街の住人のようだ。彼らにとって舟は親しみある街のシンボル。中には手を振る住人もいた。
ルイテン達は、それらを全て一段低い場所から見ている。水の上を進みながら。
クロエは辺りを忙しなく見回しては、「あそこのお店なんだろう?」「あそこのクレープ美味しそう!」などとはしゃいでいた。
ルイテンはそんなクロエをぼうっと見ている。
楽しそうな彼女を見ているだけで、ルイテン自身も楽しかった。
「どうかした?」
「いや……別に」
クロエに問われ、慌てて顔を逸らせるルイテン。妙に恥ずかしく思えたのだ。
やがて渡し舟は大きな橋の下に着いた。船頭は、小舟が流されないように、船着き場の桟橋にロープを結び付ける。
ルイテンがボストンバッグを持って桟橋に上がる。水に浮かぶ渡し舟は足元が不安定で、正面につんのめってしまった。
「わ、っとと」
転ばないように踏ん張り、ルイテンは後ろを振り返る。
クロエも船から降りようとして、同じように足をとられていた。ルイテンは見かねてクロエに手を差し出す。
「わぁ、紳士的」
茶化すように言うクロエ。だがすぐに「あっ」と声をこぼし、気まずさに苦笑する。
「ごめん」
「いいよ。気にしないし」
ルイテンは気にしないように努めて、クロエの手を引っ張った。
桟橋に上がり、忘れ物がないことを確かめる。そうして一通り準備を終えると、クロエは小舟を振り返った。
「ありがとうございました!」
船頭に礼を言う。船頭は笑って片手を振った。
二人は橋の向こうを見る。大きな石畳の橋と広場。広場の中心にあるのが、銀河鉄道の駅である。船頭が言っていた駅前広場とは、ここのことだろう。
様々な人種、老若男女が、駅に向かって闊歩している。広場の一角には、アイスクリームを売るワゴンがあり、そこには子供や若い女性が並んでいた。
列車がたった今到着したようだ。汽笛が辺りに鳴り響く。同時に漂うのは、星屑を燻した甘いニオイ。
「駅に着いたら、先に
「うん、わかった」
ルイテンの頼みに、クロエは頷く。歩き出そうと、ルイテンは足を踏み出そうとして。
「……いや、だめだ」
その場から動けない。
橋の中ほどから歩いてくる長身の男。鳩羽色の髪をした彼は、薄く笑みを貼り付けてルイテンを見ていた。
シェダルだと、一目でわかった。
クロエも不審な人物に気づいた。自分達を見つめる目線があまりにも不自然であったため、自分達の敵だと察したのだ。怯えてルイテンの袖を強く握る。
「逃げるよ」
ルイテンは、クロエの手を握り踵を返す。ヒト込みの中に入ると、その流れに沿って歩き始める。
「うまく撒ければいいんだけど……いや、いざとなったら歌うから」
ルイテンは後方をちらりと振り返る。
シェダルの視線は、ルイテンを捉えて離さない。痛いくらいに突き刺さってくるそれに、ルイテンは冷や汗をかいていた。
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