水面の月と夜光虫②
アイスはルイテンの好物である。バニラアイスは特に。ルイテンはアイスのフタを取って顔を綻ばせた。
表面に張った真っ白な霜を、木べらのスピーンて取り除く。その下から、クリーム色をした。バニラアイスが顔を出した。
銀河鉄道で販売されているアイスは、とてつもなく固いと有名であった。先ほどクロエがアイスと格闘を繰り広げていたのも、その性質故である。
ルイテンは試しにスプーンでアイスの表面を叩いてみた。およそアイスに似つかわしくない、コンコンという音が聞こえてくる。
これは長期戦になりそうだと、ルイテンは覚悟した。
「ところでさ、ルイテン君、名前読んだら変な顔するの何で?」
唐突に、クロエに問いかけられた。どうやら、性別に対する嫌悪感が表情に現れていたらしい。無意識の行動をどのように答えるべきか、ルイテンは悩む。
そもそも性別の話をすることも苦手だ。だから、ルイテンは無理に話さないことにした。スプーンをアイスの上に寝かせて置くと、ぽつりと一言。
「ルイって呼んで」
クロエは首を傾げた。
「ルイ、で、いいの?」
「うん」
質問の答えにはなっていないが、クロエはそれ以上問うてくることはない。触らぬべきだと判断してくれたようだ。ルイテンは安堵する。
「そういえば、お互いの自己紹介まだだったね」
今更のようにクロエは言った。
互いに名前は明かしていたものの、素性は何も知らない者同士。今更ながら、そのことに気付いたようである。
クロエは自身の胸に片手を添えて、にっこり笑ってこう言った。
「私、クロエ・ヴィラコス。今年十八歳で、念願の会社に入社するんだー。いいでしょ」
自己紹介がしたいというよりは、就職が決まったことを自慢したいようであった。そのことに気付いたルイテンは苦笑いする。
同時に、ルイテンはクロエの名前が気になった。ヴィラコスという姓には聞き覚えがあったのだ。
「ヴィラコスって、あの孤児院の?」
「あ、知ってるんだ? そうそう。私、孤児院出身」
ヴィラコス孤児院とは、カッシーニにある孤児院の名前だった。その名を名乗っているクロエは、孤児院出身ということらしい。
ヴィラコス孤児院には、多くの孤児が暮らしている。その孤児達は、ほとんどが自分の親の顔を知らずに生活する。だがそれも十七歳までの話。十八歳になると孤児院を出ることを余儀なくされるのだ。
その事情を知っているルイテンは成程と呟いた。クロエは今年で十八歳だと名乗った。ルイテンより年上とはいえ、その差はたったの二年。若く見えるのは、実際若かったからなのだ。
「今日のためにバイトして、お金貯めて、晴れて首都に行くの! 就活めちゃくちゃ頑張ったんだよー」
クロエは嬉しそうであった。頬は嬉しさのために紅潮し、クラウディオスでの生活に心躍らせているようだ。
そういった経緯であれば、喜ぶのも当然だろう。クラウディオスでの就職も、人一倍努力したからこそ得られたものに違いない。クロエは自立した女性なのだなと、ルイテンは感心した。
「で、次はルイの番ね」
ルイテンは虚を突かれた。自己紹介と言うからには、自分も名乗らなければならないのだろうとは、ルイテンも理解しているが、自分には語れるものなど全くない。
目線を宙に向けて少しだけ考えたが。
「ルイテン・オルバース。学生」
素っ気なく、それだけを言った。
クロエは、ルイテンの自己紹介に期待をしていた。前のめりになって聞いたにも関わらず返事が素っ気ないのでは、拍子抜けしてしまう。
「えー? もっとこう、あるじゃん。何処の学校で、何が趣味でー、とかさ」
ルイテンは首を振る。名前と身分以外に開示する情報などないと思った。
「いや……別に……」
「えー?」
クロエはアイスをスプーンでコツコツ叩きながら声を洩らす。いまだにアイスは溶ける気配を見せない。
ルイテンは、あまり自分のことを語りたがらない質なのだ。クロエにはそれがルイテンの防御姿勢のように見えていた。
「んー、じゃあ、訊いていい?」
ならばと、クロエはルイテンに問いかける。ルイテンから言ってくれないのなら、自分から訊くしかないと考えた。
だが、ルイテンは一蹴する。
「嫌です」
「いや、訊いちゃう! 嫌なら答えなくていいから」
ルイテンは、ここでようやくクロエを厚かましいと思い始めた。自分のパーソナルエリアにずかずかと土足で入り込む。ルイテンにとっては、苦手な人種であった。
どんな質問が飛んでくるのか、ルイテンは身構える。
「君の
ある程度覚悟していたとはいえ、聞かれたくない話題が出ると不快を感じてしまう。ルイテンは「うっ」と声を詰まらせた。
ルイテンは暫し考える。できることなら話したくない。だが、それはルイテンの我儘だ。
ルイテンが扱う
「
「存在を、消す?」
クロエは首を傾げる。
理解が難しいのだろうと判断したルイテンは、クロエに説明をし始めた。
「歌を歌う間、誰からも認識されなくなる。歌は聞こえないし、姿は見えない。人に触れても気付かれない」
クロエは目を輝かせて聞いている。
一般人にとっては、
だが、ルイテンは自分の
「歌うだけで、
ルイテンは、スプーンを手に取り弄ぶ。アイスの冷たさがスプーンに伝わり、すっかり冷たくなっていた。
「でも継承って、本人が望まなければしないんじゃないの?」
クロエは問う。
そもそも、賢者とは、
そういった常識から、クロエは、ルイテンの
だが、ルイテンの場合は事情が違うのだ。
「
ただ
それはあまりに常識外れで、クロエは目を丸くする。
生まれつき
「え、じゃあ」
「
でも、持って生まれたものは仕方ないよね」
ルイテンは自嘲する。ようやく溶け始めたバニラアイスに、スプーンの先を沈めた。グッと、力を込めて。
なかなか中に入らなくて、ルイテンは刺したスプーンから手を離す。
アイスが食べられるようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。
「あの、私は、ルイのこと見えてたよ」
クロエはぽつりと呟く。だが、ルイテンは首を振る。
「それは、
クロエは何も言わない。ルイテンの地雷に足をかけてしまったことに気付いて、それ以上何もできないでいる。
謝るのも、励ますのも、どちらもルイテンに対して失礼だと判断した。クロエは外の景色に目を向けて、星が散らばる空を見つめる。
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