廻り煌めくほうき星⑤
ルイテンは商店街を走っていた。
週末であるためか、人通りは昨日よりはるかに多い。この人込みの中、顔をよく覚えていない一人の女性を探し出すなど、骨が折れることだ。
そもそもクロエに出会えるとは限らない。すでに教団の追っ手を撒いて、列車に乗り込んでいるかもしれない。取り越し苦労なら、それは幸いなことだ。
だが、無事であるとも限らないのだ。抵抗することもできない彼女は、今にも捕まりそうな状態であるかもしれない。
行動しないまま後悔するより、行動して後悔した方がよっぽどいい。
ルイテンは立ち止まる。
昨日立ち寄った純喫茶。カーテンが開かれたガラス窓から、目を凝らして中を覗き込む。薄暗い店内には、老人や子連れの母親がコーヒーを嗜んでいた。
昨日よりは客が多いようではあったが、あの
ルイテンは荒い呼吸を整えるべく深呼吸する。春先だというのに流れて止まらない汗を拭いながら、再び商店街を見回した。
あの
「あー! やっほー!」
背後から女性の声が聞こえ、ルイテンは振り返る。昨日聞いた声、探していたヒトの声だ。間違いようがない。
「クロエ!」
ルイテンの背後には、大きなボストンバッグを抱えたクロエがいた。クロエは笑顔を浮かべ、ルイテンに駆け寄ってくる。
「また会えるなんて嬉しい!」
クロエは呑気に振る舞いながらルイテンに近寄った。
ルイテンは呆れてしまった。昨日は自分に護衛を頼むほどに追い詰められていたではないかと。彼女の呑気な笑顔を見ていると、気が抜けてしまいそうになる。
しかしクロエは、呑気そうな振る舞いをしながらも、内心は不安でいっぱいであったようだ。
クロエは両手でルイテンの手を握る。彼女の震えがルイテンに伝わる。ルイテンはハッとしてクロエの目を見つめた。
虹色の瞳が一瞬煌めく。ルイテンは目を瞬かせた。
クロエは、今、追われているのだ。
「お願い。助けて」
クロエはルイテンに耳打ちする。
ルイテンはクロエの後ろをちらりと見遣る。そこには昨日と同じように、フードをかぶったケイセルがクロエを尾行していた。
ルイテンは覚悟を決める。元より、このためにクロエを探しに来たのだ。
「手、絶対に離さないで」
「うん」
「歌い出したら走るよ。いいね」
クロエは、ルイテンの手を強く握る。ルイテンもまた握り返す。
親しくない女性と手をつなぐなんて、と。このような状況にも関わらず、ルイテンは奇妙な境遇に笑いがこみあげてしまった。フフッと小さくこぼした後、スッと息を大きく吸い込んだ。
「あかいめだまのさそり」
一小節を歌い切らないうちから、ルイテンとクロエを光が包む。それは歌声とともに辺りに響き、誰の耳にも入らない。
光の粒子は赤、青、白に煌めいて、二人の目だけにそれは映った。
「ひろげた鷲のつばさ
あおいめだまの子いぬ」
ルイテンは走り出す。ワンピース姿のクロエを気遣って、小走りに。
クロエは、手を引っ張られるままに、ルイテンに合わせて走る。
彼女らの足音も、姿も、誰に聞かれないし、気付かれない。
クロエは後ろを振り返る。ケイセルは辺りを挙動不審に見回して、悪態をつきながら街灯のポールを蹴り飛ばしていた。「またか!」と言う荒い声が、クロエの耳にも届いた。
「わわっ」
よそ見をしていたクロエは、縁石につま先をひっかけて前につんのめる。辛うじて踏みとどまったが、ルイテンは振り返って、たしなめるように首を振った。
「ごめんごめん」
クロエは謝罪をこぼす。
ルイテンはクロエの手を引き、商店街の真ん中を堂々と走った。時折歩行者にぶつかりそうになるが、歩行者はそれに気付かないし、ぶつかっても気付かない。
クロエは、自分達の状況を不思議に、そして面白く感じていた。
ルイテンは、決して歌声を止めることはない。歌声がクロエの耳に届いている限りは、誰も二人を視界に捉えることはない。二人はきっと、誰の目からも認識されていない状態だろう。
クロエにとっては、
ルイテンの歌声は効果に反し、あまりに綺麗で伸びやかだ。
二人は商店街を抜け、街の大通りへとやってくる。大通りを道なりに進めば、カッシーニ唯一の、銀河鉄道の駅がある。遠くに見える駅の外観と、そこを飛び立つ銀河鉄道。空には淡い紫の煙が広がり、消えていく。
ルイテンは休憩するべく、路地の中へと入った。ビルとビルの間にある細道は、ヒトの通りも視線もない。ここなら、つかの間の休息に丁度いいと判断してのことだった。
ルイテンは歌を止める。踊っていた光は、すぐに地に落ちた。
ルイテンは軽く咳払いする。小走りしながら歌い続けていたため、疲れてしまったようだ。
「ごめんね。一息で行けたらよかったんだけど……」
ルイテンはクロエから手を離し、建物の壁に寄りかかる。胸を上下させながら息を整えた。
辺りにヒトはいない。
油断はできないが。
「あの、ありがとう」
クロエは深く感謝した。昨日断られたばかりだと言うのに、ルイテンは嫌がらずクロエを連れて逃げてくれた。嫌いだと言っていた、自身の
ルイテンは首を振り、提案する。
「いや、いいよ。
それより、駅に行くのはもうちょっと後にしよう。ケイ……あのフード男が先回りしてたらいけないし……」
ケイセルの名前を口にしかけて、ルイテンは言い直す。クロエには関係のないことであったし、自分が同じ教団に所属しているなど、彼女に知られたくなかった。あと数時間の関係だとしても、彼女によくない印象を持ってほしくなかったのだ。
クロエはルイテンの提案に賛成する。
「そうだね。あいつ、私らを見失ってたっぽいし」
「
ルイテンがそう言った瞬間だった。
ルイテンの横っ面が突然叩かれた。予期していなかった衝撃にルイテンは倒れ、目を白黒させる。
クロエを疑い、ルイテンはクロエを見上げた。だがクロエは、ルイテン同様に驚いている。彼女がやったのではないとルイテンは察する。
二人とも声すら出せないほど驚いていた。
「またお前かよ。懲りねえ奴だな、おい」
男の声が聞こえた。
ルイテンは総毛立つ。この声はケイセルだ。
「くっそめんどい。お前死ねよ」
あまりに唐突に、ルイテンの目の前に靴が現れた。視線を脚、腹、顔へと、上にずらしていく。
フードを外したギョロ目の男、ケイセルがそこに立っていた。彼の体から光が煌めいて、やがてそれは地に落ちた。
肌が逆立つのをルイテンは感じた。
「クロエ、走って!」
ルイテンは叫ぶ。ケイセルが自分に怒りを向けている内に、クロエに逃げるように指示したのだ。
だがクロエはおろおろするばかりで、その場から動けないでいる。それを見てルイテンは歯噛みした。
ケイセルはルイテンに手を伸ばす。ルイテンの胸倉をつかんで引っ張り上げ、無理やり立たせる。
その顔は醜いほどに怒りで歪んでいた。
「まあ、丁度いいさ。お前に聞きたいことがあったんだ。
お前、不可視の
ルイテンは、息苦しさに顔を顰める。同時に、今朝も聞いた
「不可視って、君が使ってる術?
「御託はいいんだよ! 吐けや」
ルイテンに責められる。ルイテンは肩を震わせ怯えたものの、答えることができなかった。
ケイセルは、
ルイテンの
だが、それを説明するには、ケイセルは頭に血が昇っていたし、説明を聞き入れてくれそうな状態ではない。何より、説明する義理がない。
ルイテンはギリと歯ぎしりし、ケイセルの腹をちらりと見遣った。
片膝を曲げ、ケイセルの腹を蹴りつける。ケイセルはその衝撃に息を詰まらせ、ルイテンから手を離した。
ルイテンはすぐに体勢を整える。拳を握り、腰を落とし、ケイセルを睨めつけた。
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