廻り煌めくほうき星④
ルイテンは玄関を開ける。
「ただ今戻りました」
その声には覇気がなく、足取りは重い。
リビングを通りがかると、リビングの椅子に座って新聞を読んでいたディフダが、顔を上げてルイテンに笑いかけた。
「ルイ、おかえり」
ルイテンはぺこりと頭を下げて、リビングを通り抜けようとする。今はもう、何も考えずに自室にこもりたい。それなのに、不快感は頭から消えてなくならない。
ルイテンの思い悩む表情に気付き、ディフダは新聞を畳んでルイテンに声をかける。
「何かあったか?」
「何もないです」
ルイテンは首を振る。顔はうつむき、海色の髪が目元を覆い隠している。
ルイテンの唯ならぬ状態にディフダは気付く。立ち上がり、ルイテンに近付く。
「や、やめてください」
弱々しく言葉を発するルイテンだったが、抵抗する気力はないようであった。
ディフダはルイテンの腕を掴んで引き寄せる。ルイテンの前髪をすくい上げると、顔を覗き込んだ。
ルイテンは泣いていた。竜胆のように深い青紫の瞳から頬へと流れるように、二筋。涙の跡が残っている。
「見ないでください。どうせ女々しいとか言うんでしょう」
ルイテンは、ディフダに反抗的な台詞を投げ付ける。
彼のことはわかっているつもりだ。男にも見える自分に対して、涙を見せるなという躾をしているのは、他ならぬディフダ自身だ。
ルイテンの反抗的な態度は、ルイテンなりの防御姿勢であった。今の精神状態で、更に刺激されるようなことがあれば、今度こそ耐え切れず号泣してしまいそうだ。
情けなくて仕方なくて、ルイテンの視界が再び滲む。我慢しようと目をきつく閉じたものの、その隙間からほろりと涙が溢れてきた。
「頬、腫れてるじゃないか」
ディフダはただそれだけを言った。
ルイテンは、意外な言葉を聞いて警戒心を解く。
てっきり、自分の女々しさを揶揄われると思い込んでいた。だが、ディフダの口から出てきたのは心配の言葉であった。
ルイテンは頬に触れる。ケイセルから殴られたそこは未だ熱を帯びている。指先が触れると、じわりと痛みが広がった。
「待ってろ」
ディフダはキッチンへと向かう。
程なくして戻ってきた彼は、濡れたタオルを持っていた。それをルイテンに差し出す。
「冷やしとけ」
「……ありがとうございます」
ルイテンは、腫れた頬にタオルを押し当てる。
水で冷やされたタオルが、腫れた患部に気持ち良く、ルイテンは目を細める。優しくされたことで、ルイテンは警戒を解いた。
「お前が『喜びの教え』に傾倒してるのは知っていた」
ディフダが洩らす。
ルイテンは肩を震わせる。指摘をされたことがなかったため、ディフダには知られていないと思い込んでいたのだ。『ユピテル教』の信者である彼は、きっと『喜びの教え』に傾倒している自分を否定するだろうと、ルイテンは考えていた。
だが、ディフダの考えは違ったらしい。彼は言葉を続ける。
「お前が何をしようが、何を信じようが、お前の自由だ。だから何も言わなかった。
その頬は、教団の奴らにやられたのか?」
ルイテンは何も言わず、ただ頷く。
ディフダは、ルイテンの言葉を待っていた。ルイテンの口から、何があったのかを聞きたかった。だが、暫く待っても何も言ってくれない。そんなルイテンにやきもきして、つい語気が荒くなる。
「何もやり返さなかったのか? やられっぱなしなど情けない」
ルイテンはやはり何も言わない。
聞いているのか、いないのか。
「ルイ、確かに、無闇に人を殴るもんじゃないと教えてきた。だが、やられっぱなしでいろと教えたつもりはないぞ」
「だって……!」
ルイテンはようやく言葉を発する。言葉を探し、選んでいるのだろう。視線があちこちに泳いでいる。
「
「そんな卑怯な奴らに負けて、悔しくないのか」
ルイテンは唇を噛んだ。悔しくないわけではない。だが、あの時は怖くて堪らなくて、ドラスの背中に隠れているしかできなかった。それをディフダにも知られたくなかった。
情けなくて仕方なくて、また涙が流れる。
「あいつら、女の子を攫おうとしてて、
ディフダはそれを聞き頷きながら、ルイテンの頭をくしゃりと撫でた。何があったのか推し量ることしかできないが、弟子の涙ながらの言葉は信用することができる。
「それは、ルイが正しい」
ルイテンはゆっくりと頷く。身内に肯定され、安心感に包まれた。
「どうする。警察に行くか」
ディフダはルイテンに問いかけた。
警察に任せてしまうのが、一番楽で手っ取り早い方法だ。実際、そうすることが当たり前なのだ。
ルイテンは頷こうとして、はたと気付いた。
教団が摘発されれば、所属しているドラスはどうなるのか。まだ未成年とはいえ、摘発されることによる影響は大きいのではないか。
友人を不幸にしたいわけではないのだ。それに、助けてくれた恩を仇で返すようなことになっては、ルイテン自身嫌なのだ。
とはいえ、クロエが危険に晒され続けるというのは、他人と言えども後味が悪い。
ルイテンは悩む。
「ルイ、選択肢はもう一つあるが、おそらくお前の手には負えんぞ」
何故ディフダはそう言ったのか、ルイテンにはわからない。だが、それはディフダから与えられたヒントのように思えて仕方なかった。
選択肢はもう一つある。
クロエを探し出し、安全にこの街から脱出させてあげればいい。そうすれば、少なくともクロエがこの街でいざこざに巻き込まれることはなくなる。
ルイテンはディフダを見つめる。
ディフダはルイテンを見る。彼は小首を傾げて笑っている。
覚悟を問われた気がした。
「
「必要以上に深入りするなよ。ちゃんと無事に帰って来い」
「わかりました」
いざとなれば、手段はある。使うのは
ルイテンは踵を返し、駆け足で玄関に向かう。そこに置きっぱなしにしていたボディバッグを掴んで、一度だけ振り返った。
「行ってきます!」
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