廻り煌めくほうき星③

 ケイセルはルイテンを見下ろしている。たとえルイテンが謝罪したとしても、決して許すことはないだろう。ケイセルの目は怒りに燃えている。

 ルイテンは立ち上がろうと膝を立てる。形だけでも謝罪して、暴行の手を緩めてほしかった。だが、周りの大人達がそうさせてくれない。

 男が二人、ルイテンの肩と腕を掴み、羽交い締めにする。ルイテンは再び床に膝をついた。肩が軋み、強い痛みが襲ってくる。

 痛みを堪えるルイテンの哀れな様を見て、周りの大人達はルイテンを嘲笑った。


「ルイ……」


 ドラスがルイテンに駆け寄ろうとするが、女が一人彼の目の前に立ち塞がり、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。こんなに面白い催し物、中断させるわけにはいかないのだろう。

 ドラスはもどかしさに歯を食いしばる。親友が暴力を振るわれているのに助けに入ることができない。見守るか、無理にでも割って入るか、暫し悩んだ。


 ケイセルはルイテンの正面に屈み、右の頬を平手打ちする。乾いた音が屋内に響く。


「ん、く……」


 ルイテンは顔を歪める。白い頬が、痛々しいほどに赤く染まる。口の中を切ったらしい。鉄臭さが舌にじわりと広がった。


「お前、どうやって女を奪った? 女はどうした?」


 ケイセルは問う。ルイテンは首を振る。答えられるはずがない。輝術きじゅつやクロエがどうこうという話ではない。何を言ってもケイセルの逆鱗に触れそうで、怖くて仕方がないのだ。

 再び頬をはたかれた。今度は左。頬が腫れ、髪が揺れる。ルイテンの視界は隠されてしまう。


「もう一度聞く。どうやったんだ?」


 ケイセルはルイテンの顎を掴み、ぐいと上を向かせた。抵抗できないルイテンの目は潤み、恐怖に揺れている。

 ケイセルは苛立っていた。ルイテンの首を片手で掴むと、ギリリと締め上げた。

 ルイテンの顔が苦悶に歪む。脳内は霞んでいるかのように、働かなくなっていく。


「不可視の術は、避役カメレオンの一族である俺らのもんだ。お前が使えるなんざ、おかしいんだよ」


 不可視だって? おかしいだって?

 違うと、ルイテンは反抗したかった。

 誰から奪ったわけでもない。ルイテンの輝術きじゅつはルイテンだけのものなのだ。そもそも、この輝術きじゅつは見えなくなる術ではない。


「もうやめろって!」


 ドラスはたまらず、女を押し退けてルイテンに駆け寄った。

 大男が動くと、それだけで場を圧倒するものだ。ルイテンを押さえつけていた男達はあっさりと手を離し、ケイセルはルイテンを締め上げる手を解いて一歩引いた。


「げほっ……げほっ……」


 ルイテンは両手を床につけ、前のめりになって激しく咳き込む。胃の中のものまで吐き出してしまいそうなほどに。そんなルイテンの背中を、ドラスは優しく撫でた。


 ルイテンは、何故自分がここまで責められるのかわからなかった。

 クロエと教団はどういった関係性なのか。そもそもクロエは、何に追われているのか自分でもわからないようであった。クロエを捉えることで神格を上げるとは、どういうことなのか。誰がクロエを望んでいるというのだろうか。


 そもそも、ケイセルがここまで怒る理由もわからない。怒りの原因は、クロエを助けたことだけではないようにも見受けられる。


 ルイテンはケイセルを見上げる。

 彼の目は、ルイテンを射抜くように鋭い。ルイテンはきゅっと唇を噛んだ。反撃しなければ、やられるのではないか。そう思わせるほどの気迫。


「こいつは、俺が叱っとくっす。だから許してやってください」


 ドラスがルイテンの前に立つ。大きな背中を丸めて、自分よりも背丈が小さな相手に謝っていた。

 ルイテンは目を見開いた。ドラスは、ルイテンが何をしたかも知らない。教団にとって不利益なことをしたかもしれないというのに、親友だというただそれだけの理由で、ルイテンを背に隠し、頭を下げて謝っている。


「はぁ……ったく」


 ケイセルは、先ほどよりは表情を和らげた。相変わらず機嫌は悪いままであったが、いささか落ち着いたようであった。

 ルイテンはケイセルを見詰める。ケイセルはルイテンの視線に気付くと、じっと睨み付けた。

 許されたわけではない。一時的に、怒りをおさえているだけなのだ。


「すみませんでした……」


 ルイテンは、消え入りそうなほどに小さい声で謝罪する。ケイセルからの返事は無い。


「こいつ叱るんで、先に帰らせてもらいます。すんません」


 ドラスはルイテンに目配せする。

 こんなところにいても仕方ない。ルイテンはドラスに頷いた。彼の心配りに感謝しながら。

 二人は連れ立って小屋を後にする。日は既に高く、ルイテンの目を差した。眩しさに目を細める。

 ドラスは振り返らず歩く。彼が肩を怒らせていると、より迫力が増してしまって、ルイテンはおろおろしてしまった。自分のせいでドラスを巻き込んでしまった、そんな罪悪感があった。


 いや、と。ルイテンは考え直して首を振る。そもそも女性を付け回したケイセルが悪いではないか。それを容認し、女性を助けたルイテンを悪者とする教団は、何を考えているのか。

 自分が悪いことをしたわけでもないのに、悪役に仕立て上げられている状況も面白くない。

 それに、ドラス以外の教団員達は、自分をあざ笑っていたではないか、と。


 ルイテンの思考は、恨み言でぐるぐるとかき混ぜられていく。

 

 葡萄通りを抜ける。潮風がドラスのクリームがかった白髪を撫でていく。ルイテンはぼんやりとそれを眺め、考えに耽っていた。

 ドラスが不意に振り返った。ルイテンは立ち止まって、向き合ったドラスに対して頭を下げる。


「ごめん。迷惑かけた」


 ドラスと目を合わせることができず、ルイテンの視線は足元に向かう。


「謝るくらいは別に何ともないっすよ」


 ドラスは言う。彼は、友人のためなら労力を厭わないのだ。それを有り難く思ったルイテンは、頭を上げられないでいる。


「体は平気っすか?」


「うん、大丈夫」


 ルイテンは、自分の腹に触れながら怪我の確認する。

 あまり痛めつけられなかったことが幸いだった。蹴られた腹がじくじくと痛むが、その程度だ。絞められた首が痛むということもない。


「全く……知らなかったんすか? 例のお達し」


 ドラスはため息混じりに問い掛ける。

 ルイテンは、ドラスの言葉に訝しむ。ドラスにちらりと目を向ければ、彼は困った表情をして後頭部をかいている。


「とある女を教団本部まで連れて来なさい。さすれば、神格を上げて差し上げましょう。

 主導者である、歓楽の乙女様からのお達しっすよ」


 ルイテンは首を振る。知らないと嘘をついた方が良いと、咄嗟の判断だ。

 ドラスはルイテンの返事を信用したらしく、それ以上責めることはない。


「じゃあ、次回からは気をつけた方がいいっすね。

 ルイ、アンタはこの件、関わらない方がいいっす」


 これで話は終わりとばかりに、ドラスは締めくくった。今日の集会がなくなってしまったため、ドラスは「帰るっすよ」とルイテンに促す。

 

 ルイテンの脳内は、疑問で溢れかえっている。

 

 教団は、クロエを連れ去って何をするつもりなのか。ケイセルは、クロエを力づくで連れて行こうとしたが、果たして許されることなのだろうか。

 信者同士のいざこざを嘲笑う教徒達の存在も不可解だ。彼らは、自分が殴られるのを面白がって見ていた。止めてくれたのは、友人のドラスだけ。

 ドラスだって、ルイテンの話を聞くことはない。今この場で聞いてくれたっていいじゃないか。


 ルイテンは口を開く。


「昨日、女の子がケイセルに追われてたんだ。此方こなたは、あの子がてっきり襲われるんじゃないかと思って、それで助けただけなんだ」


 どういった返事を期待したのか、ルイテン自身もわからない。ただ、理解して欲しかっただけかもしれない。

 だが、ドラスから返ってきた言葉は、耳を疑うものだった。


「同じ支部なんすから、ケイセルの顔くらい知ってないと。

 ケイセルの神格の権利を奪ったのは事実っすよ。それは、わかるっすね? 次からは上手く立ち回らねぇとな」


 ルイテンは打ちひしがれた。


「い、いや。女の子が襲われてたんだよ? 普通助けるでしょ?」


「は?」


「ドラスは此方こなたを助けてくれたでしょ? それと同じじゃないの?」


 ルイテンははたと気付く。ドラスが神妙な顔をしていた。ただそれは、ルイテンの意見について考えているようではない。


「反省してないんすか? あんな殴られたのに」

 

 ああ、そうか、と。ルイテンは納得した。

 ドラスもまた、『喜びの教え』の教徒なのだと。

 そしてルイテン自身も、あの教団にいたら、同じ考えに染まりかねない。


 自分がクロエを助けた事実は、正しいことなのだと、ルイテンはそう思いたかった。


「……ごめん、帰る……」


 ルイテンはドラスに背を向ける。自宅に向かって、とぼとぼと歩き出した。

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